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わたしのイカイ地図⑧ #創作大賞2024


    第八話
翌日は部屋の明かりが点いたらすぐに部屋を出た。
ラボ前にはもう既に来客の列ができていた。でも不安なのは私が一番。押し潰されそう。
 
ラボの扉が開くと、私は職員に呼び止められた。別室に案内されしばらく待っていると、貫禄のあるイカが現れた。
「お待たせして申し訳ない。彼のことを何と呼んでらっしゃいます?」
「B氏です」
「B氏は意識を失くして倒れましたが、今はもう回復しています。ただ検査の結果、重大な病気が見つかりまして、これから療養に入ります。後任は追ってお知らせします」
それだけ言うと貫禄は立ち上がった。
「待って。待ってください。B氏に会わせてください」
「それはどうでしょう。一応B氏に知らせますが了解はいただけないでしょう」
「どうして?」
「あなたとは仕事上のお付き合いだからです。そうである以上、任務外で会うことはないと思います」
「会いたがっているとお伝え願えますか」
貫禄は深く頷いてくれたと信じている。
 
新任のイカが間もなく部屋を訪ねてきた。これといって特徴のない彼。空色の爽やかっぽい服が若さを表している。
挨拶を済ませて帰ろうとする背中を呼び止めた。
「前任者の方、ご存知でしょ?彼はどこにいるの?」
「もちろん自宅ですよ。完全看護状態ですから安心してください」
「彼の住居ってどこだっけ?」
「そんなの知りません」
そんな捨てゼリフのようなものを残して、新任のイカは帰って行った。
近ごろの若いやつは!
あれは本当に知らないな。ではどうすればわかるんだろう。
 
翌日も朝一からラボに出かけた。
地方行政長官と連絡が取りたいと話すと、空気がヒリついたのがわかった。やっぱりかなりの大物。
要件を訊くので、服と風呂の件とだけ答えておいた。これは嘘じゃないし、問題になることはないだろうと踏んだ。
 
またあの新任の担当者が出て来て言った。
「お忙しい方なので、すぐに対応というのは難しいようです。自宅でお待ちください。時間ができ次第連絡します」
如何にも定型文の棒読みだ。
「そう。私の順番は何番目とかわからないの?」
「そこまでは・・・」
「よね。いい。じゃ待機してる。できることなんてないんだから」
新任はホッとした様子を見せた。どうやら服とお風呂の件の引き継ぎはなされてないことがわかった。通常の業務の引き継ぎじゃないんだから仕方がないんだけど。

夕方にもう一度ラボを訪ねると、新任がめんどくさそうに体を揺らしながら現れた。
新任はめんどくさそうにのらりくらりと話す。
―あなた、私から嫌われてるって知ってるでしょ―そんな言葉を吐きそうになった。
遠い昔、母に向かって投げつけた言葉だった。お母さんごめんなさい。私、こんな体たらくで今、鏡に向かってその言葉を言いたい。でも私、一生懸命やらない人は嫌いなのよ。何でも一生懸命やらないとおもしろくないでしょ。
帰り際、新任が手の先に付けていたものをパチンと外した。イソギンチャクだった。いつか店頭で見た色とりどりのあれは手袋だったんだ。
「ついでに海には行けるようになったかどうかも訊いといて」と新任に向けて心の声で言ってみたが、全く反応はなかった。

私にはわかってる。なんとなくわかってる。でもそれでいいの。私はエイリアンだって自覚はあるんだから。
3日。それでも3日は何もせずに待つと決めた。
部屋の主に訊ねると、留守中に連絡が入ったら転送できるということなので、出かけても大丈夫。
 
それから3日間、無為な時を過ごした。TVもビデオも読書さえできない。イカ語さえわかれば娯楽はあるのだろうけど、まずはそれが大前提。イカのドラマを観ても入り込めるとは思えないけど・・・。
できることといえば唯一の話し相手、部屋の主にいろいろ質問することくらい。でも部屋の主の知識は知れていて、全く話しごたえがない。
 
それでイカ語の発声練習をしてみることにしたが、ロシア語よりタイ語よりスワヒリ語より断然難しい。
「こんにちは」
「キャ%☆しゅ△ェ#ナタ$」
全く聞き取れない。いったいどこから声を出してるの?って思うけど、そもそもの声帯が違うのだから仕方ない。イカの声帯はその辺は柔軟にできてるよう。とことん優れた生物。結局「こんにちは」さえまともに言えなかった。
 
人間は何なら勝てるだろう。ケンカしたって勝てる気はしない。あの長い手足を絡められたらおしまい。頭脳も優秀。私だって一応有名女子大を出て、一流商社で働いてたんだし、並以上だって自負ある。それでも完敗なんだから。
何なら勝てるの?
この街には芸術的な要素に欠けている。右脳なら勝てるかも知れない。
 
結局、3日間で生命体と話したのは、食堂のオヤジだけだった。
 
翌日は朝から考えてた作戦を実行する。住宅を歩きながら、心の声で話しかける。あの新任とも、食堂のオヤジとも心の声では話せない。反応してくれるのはひとりしかいない。
 
住宅地の入り口にあたる場所には、住宅地図が掲げてあって、各戸に番号なり記号なりが振られているらしい。読めないけど。
 
ザッと地図を頭に入れて、ほとんど念じるようにB氏に呼びかけながら歩き回る。この心の声がどれくらいの範囲で有効なのか確かめようがないから、なるべく各戸のドアの近くまで行ってみる必要がある。
最初の説明だと人口は100万頭。いつ終わるとも知れない作業だけど、おそらくこれしか方法はない。結局最後はアナログなんだよ。と自分を慰めながら歩き回る。
 
久々に夕陽でも見てみようと地上に上がると、店が営業の準備を始めていた。この街の地上は夜に動き出すんだな。歌舞伎町のゲートが過った。
 
帰り着くと毎日、部屋に連絡はなかったかと訊ねるが、そんな珍事はない様子。荷物が届く予定も、何かの勧誘もないだろうから、連絡が来るとすればラボからしかない。そこからソッポを向かれた今となっては、自分のことは自分で考えなきゃならない。
 
私はエイリアン。いよいよ本格的にそうなってきた。まだ基本的生存権は与えられているようで、今も食事はできている。殺す気になればいつでもできるはず。でもそれをしないのは、まだ存在価値が多少は残っているのかも知れない。
 
ここの街並みはどこもかしこも同じで、綺麗に整備され過ぎていて、全く区別がつかない。地球の住宅の多様さ。自然との融合は捨てたもんじゃない。地球人として花を愛でる心は失わないでいよう。そう思って毎日心に花を咲かせている。
     つづく


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