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わたしのイカイ地図⑥ #創作大賞2024


    第六話
B氏とラボの傍にあるエレベーターに乗っている。どこと言って不思議なところのない普通の箱だった。
「これを使うには許可がいるんです」
B氏はそう言って胸、たぶん胸と言っていいところから、自分のチップを取って見せた。
「どうしてですか?」
「住人は基本的に与えられた環境で与えられたタスクを熟す必要があります。それさえすればあとは自由なのですが、自分の街で終始完結するように求められています。ですからこれから行くような他の街を知ることはありません」
「ではどうして私を?」
「これから行くところで、会ってほしい方がいるのです」
エレベーターは地下で止まった。ただ地下のどれくらい深いところなのかはわからない。
 
扉が開くとそこはプラットフォームのようで、ごく短い電車のような車のようなものが真っ白く輝いていた。電車に乗るように乗り込むと、電車のように扉が閉じた。
やはりシートはなくフラットな床に腰を下ろす。
 
「もう気づいてらっしゃいますか。私たちの会話のこと」
「何のこと?」
「気づいていませんでしたか。私はあなたに話しかける時、頭の中に直接語りかけています」
思い当たる節はあった。話しかけられると、B氏の表情もわかるから。なんとなく抱いていた違和感の理由がわかった。
「ですからあなたも私に話すつもりで語りかければ、声に出さなくても話すことができますよ」
私はB氏を思い浮かべて頭の中で言った。
「そうですか。やってみます」
「はい。それで大丈夫です。これは誰に対してもできることではありませんから、お間違えないように」
「よく行ってるご飯屋のオヤジにはダメですか?」
「それは無理だと思います」
「残念」
きっと摩訶不思議な技術が用いられているのだろうけど、それ以上突っ込むのはやめた。まだ慣れないけど、とっても楽に話せる。
 
気がつくと電車は走り出していた。
「どこに行くんですか?」
「隣町です。隣町はこの地方の中心都市で私たちの街の5倍ほどの規模があります」
「すごい!」
「大きいだけで基本的な機能は変わりませんよ」
 
車窓に海が見えた。美しい海が輝いている。その輝きは一筋の線を為して、私を指差しているように見える。その手前にはなんでもない雑木林。それに心が動いた。そういえばここに来てから自然に触れていなかった。街中では植物を一切見かけない。
「どうして街には植物がないんですか?」
「私たちは植物との共生を求めていません。おそらく歴史上もそのようなことはなかったと思います。ただその存在は重要視しています。いわゆる住み分けを行なっています」
「私は生活の彩りだと思っているんですけど」
「もうそれは文化の違いとしか説明のしようがありません」
 
話しているうちに電車はまた地下に入っていた。感覚的には1時間くらいで目的地に到着した。
エレベーターで上に上がると、そこはラボと見分けのつかないところだった。この旅はまやかしだったのでは?と、どこかに自分の形跡があるのではないかと見回した。
「どうかしましたか?」
B氏が平然と言う。
「私のいたところと変わらない」
「ええ、同じです。どこまでも作りは同じですが、街が一回り大きいのです。違いはそれだけです」
「納得」
そうなんだ。ここはイカの社会的合理性から生まれた社会。だとすると、街ごとに違いを、特徴を出す必要なんてない。
 
入った部屋には初めて会う黒い服のイカがいた。
「ようこそいらっしゃいました。地方行政官です。私の名前、固有名詞はお聞き苦しいでしょうから申し上げません。Sとでもしておいてください。旅は苦痛ではありませんでしたか?」
「いえ、自然に触れられて感激しました」
「そうですか。あの風景がお好きなのですね。ではそこに自由に行けるように配慮いたしましょう。どうぞお座りください」
私は床に胡座をかいた。
 
「既にお聞きおよびでしょうが、私たちは多種の生物から医学発展のきっかけを探そうとしています。ご協力感謝します」
「素晴らしい取り組みだと思います」
「ありがとうございます。そこであなたにお願いがあります。あなたの血液を少しだけお譲りいただきたい」
「少しとは?」
「ほんのこれくらい」
黒服は腕の先から指を伸ばして、2cmくらいの幅を作って見せた。
「もちろん協力します。今はどんな研究を?」
「私たちの体は全身で均等に呼吸しています。したがって体液中にヘモグロビンを必要としません。体液が青いのはそういう理由なのですが、その色が茶褐色に変化する病気があります。その原因究明が目的です。おそらく何かに汚染されたのだと推測しています」
 
「ここにお招きいただいたのはそれが目的ですか?」
「そうです。私たちの社会では他者から何かを取り出すことは基本的に許されていません。もちろん緊急の場合は除かれます」
「はっきり申し上げて、こんな成熟した社会に触れて驚きを通り越して困惑しています」
「私たちは過去の過ちに学びました。そこが私たちの出発点です。ご協力感謝します」
 
私は別室で、別のイカの見事な手捌き指捌きでほんの少量の血を提供して、今回の役目を終えた。
 
帰りは二人とも黙っていた。海が見えた時、B氏がボソッと言った。
「この海にはもう生物はいないのです。死んでいるのです」
それはとても悲しい言い方だった。その目に涙が光っているのではないかと思ったほどだった。表情が見えなかったのは直接口から話された言葉だったから。
「そうですか。汚染が原因なんですね」
私も直接話したが、B氏はそれ以上何も言わなかった。
 
この惑星でも公害・汚染はやはりあったんだ。生命体が成長・発展を遂げるには、それは避けて通れない道程なのかもしれない。その手つかずの自然の美しさがいっそうその事実を悲しいものとしていた。
     つづく

  第五話   第七話

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