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映画『すばらしき世界』感想 世界の捉え方を問う大傑作


 2021年を代表する傑作になったと思います。映画『すばらしき世界』感想です。


 雪が降りしきる旭川刑務所から、独りの受刑者が出所した。殺人の罪で13年の刑期を終えた三上正夫(役所広司)は、今度こそ堅気になるという強い決意を胸に、東京での暮らしを始める。
 時を同じくして、小説家を志しTV製作会社を辞めたばかりの津乃田龍太郎(仲野太賀)の元に、プロデューサーの吉澤遥(長澤まさみ)から、三上の密着取材の依頼が舞い込む。三上は、自分の「身分帳」(受刑者の個人経歴を綴った台帳)をノートに書き写してTV局へ送り、幼い頃に生き別れた母親探しを依頼していたのだ。
 不器用ながら、真っ直ぐな性根を持つ三上に、様々な人が手を差し伸べる。だが、思っていたよりも社会の障壁は大きく、三上は苛立ちを募らせる…という物語。

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 『ゆれる』『ディア・ドクター』『夢売る二人』など、数多くの名作映画を連発している西川美和監督による最新作。特に前作の『永い言い訳』は、個人的にベストといえる最高傑作でした。
 けれども今作品も、また別方向で大傑作だったので、ちょっと凄すぎて、恐ろしさすら感じますね。

 西川監督は、今まで全作品で自ら脚本を書き下ろして撮影をしてきているんですけど、今作は佐木隆三のノンフィクション小説『身分帳』を基とした、初の原作ものになっています。
 今までの作品とは毛色が違うものになる予感はしていましたが、やはり内容的にもちょっと特殊な作品になっていたように感じました。

 これまでの作品は、登場人物の両面性、あるいはその行動がもたらしたものの両面性を描いていたように思えます。善良に見える人間の裏の顔(もしくはその逆パターン)や、ある犯罪行為が、実は善良な結果ももたらしていたなど、善悪とひと口で区切れないものを描いていたと思います。そして、その判断を物語内では提示させず、観客の判断に委ねる形にするのも大きな特徴でした。

 ただ、今作に関しては、さほど登場人物の二面性という形で描くことなく、多くのキャラクターが善良な人間に描かれている印象でした。西川作品の中でも、最も優しい空気に溢れている映画だったと思います。
 けれども、その優しさを描くことで、より社会の厳しさや理不尽さ、広げるならば世界の残酷さというものが強調されるようになっていると思います。

 ヤクザ者が、社会から受け入れられずに彷徨うという構図は、時を同じく公開されている『ヤクザと家族』にも似ていますが、あの作品がヤクザ組織全体を描いているのに対して、この作品はあくまで三上という個人に焦点を当てています。

 この三上という主人公は、素直な心を持っていて人から好かれる性質ですが、自身が犯した罪に罪悪は感じておらず、出所後も激高しやすく暴力を選択肢として捨てていない人間として描かれています。その暴力性も、素直な心から発しているものなので、本当に裏表のない人間性なんだと思います。これまでの西川作品のような二面性というものとは、程遠いキャラクターになっていますね。

 その三上に関わる人々も、ほとんどが優しく、嫌な人間というのがあまり登場しません。けれども、その優しさを打ち砕くように、三上が社会に弾かれて足掻く様が描かれていくんですね。人の情けはあっても、社会制度は無情のものであるという描き方になっていると思います。

 今作で西川監督は、この世界そのものの美しさと醜さの二面性を描いているように感じました。タイトルの『すばらしき世界』というのは、皮肉でもあるし、真実でもあると思うんですよね。

 もちろん、刑期を終えた人間に対して社会復帰が厳しすぎるという制度の問題を描きつつも、原因はそれだけでなく、三上自身にも問題があるという描き方もされていますね。冒頭の刑務官との会話で、殺人を犯した事自体には反省をしていないことが描かれています。
 ただ、その原因も、三上の不幸な生い立ちに関わってくると連想されるので、「じゃあ、どうすれば良いのか?」という思考がぐるぐる回り続けることになります。こういう気持ちにさせられるのが、西川美和作品の世界だと思います。

 三上を演じる役所広司の演技、元々が国宝級の演技力を持っているのは既成事実なんですが、その期待を上回る素晴らしい演技だと思います。気の良い初老男性の顔から、暴力性を帯びた鋭い瞳に変わるのを、何の矛盾もなく同じ人間として演じ切っていて、ちょっとレベルが違う演技でしたね。
 打ち解けた人たちが、三上の犯罪歴や元ヤクザであることを、冗談交じりにイジるシーンが何度かあるんですけど、ちょっと表情がピリついていて、ホントに怖いんですよね。特にその場で激高する展開になるわけではないのに、こういう空気を作っているのが凄く上手いと思います。
 それでいて、母親に捨てられてはいないと信じ切っているという、子どものような顔も見せられるので、怖さも有りつつ、感情移入もしてしまうんですよね。裏表ではない多面的な人間表現をしていると思います。

 この映画、脇を固める役者陣も、素晴らしい演技なんですよね。スーパーの店長役の六角精児さんもまた良い演技ですし、『ヤクザと家族』でのバリバリのヤクザ役から一転して、公務員役となった北村有起哉さんも、本当に同じ役者かと疑うほど真逆の演技です。ラストシーンに繋がる重要な台詞を持つ、キムラ緑子さんも素晴らしかった。

 難を言うならば、TVプロデューサーの吉澤役の長澤まさみさんの演技が、通り一遍な感じで浮いているように感じられました。ただ、この役は、他の人物と違って、三上に対して踏み込まず、徹底的に外から観察して正論を述べるだけの人間なので、浮いているのが合っているのかもしれません。計算かどうかはわかりませんが、正論では人は救えないという演出にもなっているように思えました。

 そして、役所広司に続いて名演技だったのが、津乃田役の仲野太賀さんですね。本っっっ当に名演だと思います。津乃田が三上を見つめる眼差しの変化、三上の人生に踏み込んでいく過程が、この物語の、本当のクライマックスなんだと思います。僕は、三上の人生を目の当たりにして泣いているのではなく、津乃田の眼を通じて三上の生き様を見つめていたから、涙したように思えました。

 この作品は、その物語にも感動して泣けたのはもちろんなんですけど、泣けるシーンとかではなく、役者の演技が凄すぎてとか、画面演出の素晴らしさとかで、感動して泣いてしまいました。
 例えば、三上が公衆電話で職探しをするも上手く行かずという場面。振り向くと、営業の電話に出るサラリーマンや、工事現場の交通整理の人など、労働している人々が目に入って、職無しの惨めさを味わうという演出ですが、この働いている人たちがあまり活き活きとしていないんですよね。この演出をしようとすると、どうしてもポジティブに働いている人を描いてしまいそうなんですけど、そこはリアルに疲れながら働いている人にすることで、その苦労も味わえない辛さというものを描いていると思います。僕はここで、三上に同情するよりも、この表現の巧さに感動して涙が出てきたんですよね。

 三上が母親探しに求めていたものは、母親に会うことだけではなく、母親と離れたことで自分が失った少年時代の時間なんだと思うんですよね。刑務所で過ごした時間と同じか、それ以上に三上にとって失ったものが大きいと思います。その事実に気付いたから、施設の子どもたちとのサッカーで遊んでいる最中に、泣き崩れたんだと感じました。このシーンの三上の背中、それを見つめる津乃田の表情、思い出しても胸が締め付けられます。

 ラストに関しては、はっきりとした「終わり」を見せてはいますが、西川監督らしく、また解釈が分かれる結末になっているようにも思えました。社会のルールに適応したから、あの終わりを迎えたようにも見えます。ただ、一つ言えるのは、あの時の三上は、確実に津乃田を始めとする周囲の人々のために生きていたんだと思います。それまでは、人助けとなる暴力でも、自分が不快だからという理由が優先されていたように思えます。それが、ようやく本当に大事な他者のために自分の行動を決めるようになっていたんだと感じました。

 その結末を、哀しいと思うか、幸福と捉えるか、観る人で判断が分かれると思いますし、先述したように『すばらしき世界』というタイトルをどう捉えるかの判断にも繋がるものだと思います。その問いかけは、我々がこの世界でどう生きるかの判断を迫るもののように感じました。

 長々と書き連ねてしまいましたが、それでも言い尽くせないほどの大傑作だと思います。西川監督、役所広司さん、仲野太賀さんには、最大の賛辞を送ります。


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