![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142038057/rectangle_large_type_2_c86da0c3aa6377694d46f3f7e3e4fc21.jpeg?width=1200)
飲み会という名のオーディション
◆自意識について
人から自分がどう見られているかを気にすることを「自意識」というが、自意識がつよすぎると、どうしたって人との会話が楽しめない。
たとえば、「仕事の飲み会がたのしくない」という話題に対しても、
【自意識がよわい人】
「どうしたら飲み会が楽しくなるかな~」
【自意識がつよい人】
「どうしたら相手に気に入ってもらえるかな~」
なんて、まったく違う観点から話をしている。
自意識過剰な私は、友人との遊びだって、仕事の飲み会だって、常に ”オーディション” を受けているような感じがする。
まわりの人たちは審査員で、自分の一挙手一投足をジャッジメントされているような感覚。
飲み会も遊びも、4人以上になると、帰るころにはもうぐったりしている。審査員の人数が増えれば増えるほど、緊張感が増すのと同じである。
誰の好みに合わせてパフォーマンスしたらいいのだろう?いつのまにかそんなことを考えている。
それに対して、自意識がよわい人は、常に主人公のようでうらやましい。
きっとその ”オーディション” すらも、「どんなパフォーマンスをしたら楽しいかな?」なんて考えている。
![](https://assets.st-note.com/img/1714819975065-qrP0bkJVtA.jpg?width=1200)
この違いに気づけなかった自分は、これまでずっと不思議だった。
・どうしてみんな、そんなに人と会いたがるのか?
<<だってオーディションなんて緊張するだけじゃん!>>
・どうしてみんな大人数で会いたがるの?
<<だって審査員ふえるだけじゃん!>>
こんな感覚をずっともっていた。
でも。きっと中には、ほんとうにジャッジメントしているような人もいて。自分にとって”都合のいい人”を口を大きく開けて待っている人もいる。
純粋に、人と人とのつながりを楽しんでいた過去の自分は、そんな人に出会うたびに、びっくりしてしまって、
そんな人を見抜けなくなってしまって、怯えているのかもしれないなって。
オーディションなんだとしたら。
どんなオーディションを受けるのか、自分にだって選択する権利はあると思う。
どんな人にだったら、ジャッジメントされたいか。
憧れの人には、点数をつけてもらえたら、それだけで嬉しいかも。
そんな風に、審査員を選ぶ権利も、きっとある。
オーディションを受けることが目的になって、辛くなって、自分が嫌いになるくらいなら。
受けたいオーディションが開催されるまで、待ってみてもいいんじゃないかな。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139496497/picture_pc_48f18693b599dc95a25471846b3dd4ec.png?width=1200)
そんなことをふと考えた、晴れた日のカフェにて。
昨日はひさびさに大学時代の知り合いたちに合って、嬉しい気持ちもありながら、ちょっぴり疲れてしまった。
残りのGWも無理せず、楽しんでいこ~っと。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139496538/picture_pc_ebb5260612847f3be19dabcc5b892abe.png?width=1200)
この記事が参加している募集
よろしければ、サポートお願いします🤝いただいたサポートは、たまにの自分のご褒美を買ったり、企画を立てたり、記事にさせていただきます!