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バリケデリック旅行記 🌿 はじめに + チベット 瞑想の話

誰しも子供のころに体験した体感で覚えている恐怖があると思うんですが、私にとってのその恐怖体験の最たるものがバリ旅行でした。7歳の頃、両親と訪れたウブドは私が住む東京とはまるっきり別世界で、そこにあるすべての当たり前が私にとっての日常圏外。五感に入ってくる全てのものを、危険と恐怖という感情をもってして、そこに確かに存在する真実として受け入れるのを一切断固拒否していたのを今でも体感として覚えています。おそらく私にとってのある種の初めてのサイケデリック体験がバリであり、自分にとって「何か」の出発点がそこにはあったなと振り返ります。

非日常という常識を突きつけ私の安全地帯を揺れ動かす土地ウブドへ、25年ぶりに10日間の一人旅に行ってきました。そんなバリケデリックな日々の体験を、今回は連載殴り書きという形をとって書き表わしたいと思います。(校正なしの拙文スタイルでよろぴく)

まず手始めに、ある瞑想ワークショップの話を

いきなりの内容に驚く方もいらっしゃるかもしれませんが、ウブドは「ヒーリング」で有名(らしい)です。離婚や失恋を経験した後にウブドに来る女性は多いらしく、今回私もその1人と勘違いされることが多かった。「ヒーリング」ってなんやねん、というツッコミはバリ初日にホテル従業員にその言葉を聞かされた私も思ったこと。なんせ私は癒さねばいけない傷をあいにく持ち合わせていないときた。っくー、せっかくならスーツケースに入れて持ってくればよかったァー。なんてジョークをかましながら(しかし世界に誇るヒーリングとやら、この目で見てきてやろうではないか)と天性の好奇心を爆発させ Dr.Martinのブーツをいつもよりも硬めに締め探検隊モードを発動。電動二輪のタクシーおっちゃんの後ろにまたがってタンデム姿でウブドの村へくりだしました。

瞑想について

話は逸れますが、私は2020年から瞑想というものにお世話になっています。瞑想はどんなものかを語るほどの身ではないけども、私個人の意見を恥を承知で述べさせていただきますと「普段抑圧された自分の本来の声を聞くスペースを作る」ために私にとってかなり効果的に機能してくれています。普段、私の頭の中でピーヒャラピーヒャラと何かとひっきりなしにアナウンスが流れています。嬉しいことを目の前にしても、悲しい嵐に飲み込まれそうな時も、このアナウンスは常にピンポンパンポーンと私のアテンションを奪っていきます。私はこのアナウンスに従って、やっべーあれやってないと焦り、あーどうしてこうしなかったんだろうと後悔し、あ!そうだこれをすればいいんだ!と躍起になり、きゃーそういえばこんなことあったやんとパタパタと舞い上がり、でもこれじゃだめだァ〜と落胆します。別にADHDだとか言っているわけじゃありません。これが多くの人にとっての通常運転モードなんじゃないかと思います。アナウンスに反応して、感情をアップダウンさせたり、行動をしてみたりしてみなかったり。このアナウンスのボリューム音を限りなく絞って場内に静寂を取り戻すのが、私にとっての瞑想です。アナウンスのない会場では、もうアナウンスに反応して走り出す必要はなくて、その場におっこいしょと座ってられます。そこにある静寂は、超ピース。そして次に、アナウンスに向けられていたマイクを取ってきて「はい、ではTomoaさん。長らくお待たせしました。あなたは何がしたいですか?」とマイクをそっと優しくむけてあげるのも、また瞑想。マイクをむけられた私はだいたい静寂に耳を傾けて満足そうにただ黙っていますが、たまに口を開く時があります。そん時になんかめっちゃいいことを言います。「え、あんたそんなこと思ってたん?!」と16歳の息子が初めてのバイト代で買ってくれた花に添えられていた手紙に涙を流すお母ちゃん並みに驚きの感心を感じます。そんな感じで、私にとって瞑想は自分の奥底に住まう私と繋がるツールとして、歯磨き並みに非常に重要なものとして私の生活を支えてくれています。

チベットおっちゃんの眼差し

世の中にはいろんな瞑想があります。有名なところだと、マインドフル瞑想やヴィパッサナー瞑想などなど。ウブドではそこらじゅうでいろんなおもしろワークショップが行われていて、私は目を輝かせました。毎日3-4個は行きたいワークショップやイベントが連なります。その中で一際目を引いたのが「チベット」という文字。私は The Beatles の影響でチベット密教の大ファンで(ファンってなんやねん)、壁に張られるフライヤーに1人鎮座する頭を丸めたメガネのおっちゃんと目が合いました。おっちゃんは、チベットのドニパトロ、いわゆる シンギングボールを持って真剣にこちらを見つめてきます。チベットという文字とおっちゃんの眼差しで、私は参加を即決しました。

いざチベット瞑想をしに会場へ

仕事を終え、またも荒い運転をするおっちゃんの後ろにまたがって、夜風を切ってタンデムで会場で向かいます。夜7時の会場はポツンポツンとロウソクが灯り、畑に囲まれた周りからはゲコゲコと蛙の合唱。フライヤーで真剣な眼差しでこちらを見ていたおっちゃんが今度は3Dで会場の真ん中で鎮座して、その前にはシンギングボールが大小8個ほど連なっています。頭を中心に向けて寝るように促され、20名ほどの参加者と共に円を作ります。横になって瞑想なんて寝ちゃわないかな〜と心配をよそに、おっちゃんは一言 "Just relax, that's the best way." と訛りの効いた英語で一言。ガイダンスも手短に瞑想が始まります。私はシンギングボールという名前とその見た目から、てっきりヒーリングミュージック的なものを想像していました。よくマッサージで流れているアレです。綺麗なチベットの音に導かれ、私は無意識の中への旅を〜・・・と音に委ねようとした瞬間、シンギングボールの趣旨はそこにはないことを知らされます。

不快、不快、不快

シンギングボールは、なんとも言えない振動をしてその音を響かせます。それが2つや3つとも重なると不協和音を超える痛みとなって、頭部に直接ギンギン響きます。その後頭部の痛みを皮切りに、今度は床との接地面である両肩に痛みを感じます。次に腰、そして足。このまま接地面から骨が出てきてしまうのではないかという痛み。初めに私はこの痛みをどうにかして緩めねばと作戦を立て始めました。立つわけにはいかないし、寝返りを打つわけにもいかない。よく考えたら周りの誰も動いていない、これはもしかしたら私の横になり方が間違っているのか?いやそんなわけない。じゃあ私の体に問題があるに違いない。私は特殊な体をしていて、このまま横になり続けたら私の体がダメになってしまう。そうだ私は私の大切な体を守らねばならる。これは勇気ある寝返りなのだ・・!!!!!
とそのとき "Just relax, that's the best way" と訛りある英語がどこからともなく聞こえてきます。チベットのおっちゃんの声が、心の中で再生されます。自分の身を守るという超大切ミッションに差し掛かろうとしていた私は、おっちゃんの声にハッとされます。せっかくはるばる来たバリでやってるチベット瞑想。仕方ない。最後に一度だけおっちゃんの言葉に従ってみることにしました。そこまで言うなら、とことんリラックスしてやろうではないかと体の隅々までリラックスし尽くしてやります。

"Just relax, that's the best way"

リラックスしてるか?と私は身体中を点検しながら見回りしました。むむ、硬直してるではないか、リラックスしろ、と身体中を刑務官のごとく小突きます。その指示に従って、痛みに争う腰がしぶしぶ床に落ちて、肩も落ちて、最後に頭が諦めて床に沈みます。重力ってこんなに強かったっけと、床との接地面にGを感じます。痛みに体がまた硬直しそうになるので、リラックスを心がけます。硬直を見つけては、リラックス。硬直しては、リラックス。リラックス、、、リラックス、、、争わない、、、リラックス。痛みが少しづつですが確実に引いていくような感覚。それに従って、頭の中でビンビン鳴っていたアラートモードが緩まっていくのを感じます。頭の中が正常モードに戻ります。ん?待てよ?ほう、ふむ、そうか。この瞑想の目的は、争うことを諦めて身を委ねることを学ぶためにあったのです。

終わった後の会場


私は普段、自分の周りにある不快さを解消しようと常に躍起になっています。不快さに対するトーラレンスが極めて低い。マズローの5大欲求の三角形をジグソーパズルで作ったとして、一つでも小さなかピースが欠けたらそれをいかに素早く補充するかに常に殺気立っている。そんな感じ。不快感に対して常に即時対処したくて、対応できないとたまらなくストレス。そもそも不快感が自分の身に起きることに不条理と怒りを感じていて、常にどこかでファイティングポーズ。自分がどうにかしてやらないと、といつも目をギラギラさせていて、そんな役目を私に押し付けてくる社会を、そしてこの人生自体に対してどこかでいつもたまらなく怒ってる。

「降参する」という最強カード

今回の瞑想体験で感じたのは、「降参」というカードが持つその効力。一見一番出してはいけないと信じてきて今まで奥底にしまっていた手札を、今回たまたま出してみたら、あら不思議。なんとこんなに効果があったなんて。降参でなく、「身を任せる」というのが適切かもしれない。自分でなんでもどうにかしようとしない。そのままを受け入れて、just relaxしてみる。全ての不快感は一時的なもので、どんなものも過ぎていく。だから抗おうとしないで、ただ身を任せて今を生きてみましょう。抗おうとする力が痛みを生み出す、だからあるがままを受け入れて身を任せる。それが人生における隠れた最強カード。そんなことを感じたのでした。

ちゃんちゃん(続く🧘)


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