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よく出来た蜃気楼みたいに

ふた駅分歩いた理由は、音楽が聴きたかったからとか、太りがちなのを気にしているのにシュークリームを食べてしまったからとか、春物のコートを今年はじめてタンスから出したからとか色々と思いつくけれど、どうであるにしても花粉のすごさは全く想像の上をいっていて、目のかゆみをごまかしたくてわざとあくびをして涙をためた。

やっぱりでも音楽が聴きたかったのは確かで、わたしはどうも散歩しているときに聴く音楽が一番素直に聴ける。レコードの前で足をくんでパイプをくゆらせる、なんてキザに聴くのも良いだろうけれど、わたしにとっては昔から、音楽は耳元のイヤホンからさらさらと流れ行き、街いく情景と混ざりあう星砂のようなものだった気がする。

1977年のアルバムが歌う街から、随分と2021年の夜は離れているはずだけれど、涙で玉ぼけした遠く渋谷駅のネオンサインは、まるでよく出来た蜃気楼みたいに曲調に馴染んでいた。

「シャンペン・グラス 浮かぶ パーティ抜け出して」なんて、ぜったいいわない。おかしくって少し笑いかける。その衝動でたまった涙がほおをつたって暖かな一筋をつくり、かっちりとした景色がもどってきた。

「星の降る夜空は 青いガラス・ドーム 誰も知らないまに 時を超えて星座になるよ」

ハイ・ファイ・セットが、キラキラな夜の恋路を歌っている。


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