見出し画像

職はある、仕事はない。

今日も、何もしないことをした一日が終わった。

朝8時前、会社でパソコンを立ち上げてため息をつく。恐ろしく長い10時間がまた始まると思うと、もはや吐き気すらする。

今に始まった事ではない。配属されてから10ヶ月が経った。私は社内ニートをしている。


ここは、自分で希望した場所だった。理由は「人と話すことが好きだから」「忙しい仕事がしたい、一日中席に座っている仕事は苦手」。

誰もが経験したことのない某ウイルスのおかげで、人と話す業務はほとんどなくなった。代わりに私に与えられたのは、一日中席に座ってPCと睨めっこする業務だった。

はじめのうちは、仕方ないと思っていた。慣れるまでは頼まれた業務を一つずつ着実に、覚えていこうと思っていた。きっともう少しすれば忙しくなる、そう信じていたのは、最初の1ヶ月だけだったかもしれない。

徐々に会社の雰囲気に慣れて、周りを見渡す。「忙しそうに」している人しかいなかった。やるべき業務が終わったら、ある程度の業務を残して、煙草を吸う。そうして、上司が帰った会社で酒を飲んでいた。

それが悪いとは言わない。好きにしたらいい。私には何の迷惑もかかっていない。

ただ、ここは私の居場所ではないと思った。


「置かれた場所で咲きなさい」

決してまだ長いとは言えない私の人生の中で、大切にしている言葉だった。どんな場所でも、私は自分の居場所を作るのが得意な方だった。だから今回も、きっとうまくいく。どんな仕事でも、どんな会社でも、私らしく楽しく働ける。そう思っていた。

その言葉を信じて、社内ニートを脱する努力はしたつもりだ。一度教わったことはもう一度聞く作業が発生しないよう、暇な時間を使ってマニュアルを作成した。手伝える業務がないか、毎日聞いた。

「なにか手伝える事ありますか?」返ってくる言葉はいつも「特にないよ、ありがとう」だった。

最近、社内ニート歴が長くなってきたことで聞き方を「私何すればいいですか?」に変えたら、先輩は困った顔をしていた。悩んで、しばらく経ってから5分で終わる業務をくれた。

一日中やるべき業務がなくて、あと一時間で帰れると思ったときに残業しないと終わらない業務を与えられても、明日テレワークの予定だったのに帰る直前に「やっぱり明日出社で」と言われて、出社したらやることがなくても、それでも仕方ない。

私の努力が、足りなかったのかもしれない。自分の仕事は自分で探すべきだったんだろうか。やり方を一つも教わっていないのに。


すぐに会社を辞めなかったのは、プライドがあったからだ。自分でも嫌になる程、プライドの高さには定評がある。一年も経たずに辞めるなんて。周囲にそう思われたくなかった。

それでもやはり、会社を帰る頃になると毎回言いようのない悲しさに追い込まれる。悲しさに追い込まれるという表現はないけれど。ああ、やっぱり辞めたい。そう思ってまた、シャワーを浴びながら涙を流す。


Instagramでよく投稿を見ている、好きなOLさんがいた。その人が突然『社内ニートあるある』という投稿をした。まさに今の私だった。驚いた。そしてその投稿へのコメント数の多さ、共感の嵐。また驚いた。こんなにも同じ境遇にある人がいるのだと、私だけじゃないんだと、安心した。その人は、今は暇で辛くてもいつかは必ず仕事が来るからと、その投稿を締め括っていた。そうなのかな。そうなのかもしれない。

けれど、今、もしくはこれから、私の毎日が急に忙しくなったとして。やるべき業務が積み上げられたとして。果たして「辞めなくて良かった」と思うだろうか。思ったとして、それは、一体いつだろうか。

自分がどうしたいのか、はっきりとわかった。この場所で、仕事をしたいわけではないということ。この場所で、成長したいわけではないということ。

職場の環境を変えて欲しいわけではない。会社が悪いとも、上司が悪いとも思っていない。ただ、相性が悪かったと思っている。この場所にぴったりの人がたくさんいるように、私には私の場所があると思う。今はまだわからないけど。


仕事を辞めよう。そう決意してからは幾分会社に行くのが楽になった。ご時世的に、ちょうどその時期にテレワークが増えて必然的に出社回数も減った。そうして自分と向き合う時間がまたできて、転職活動を始めた。新しく住む場所も探さなくてはならない。

この先どんな未来が待っているのか、わからない。転職活動がうまくいかず、フリーターになり実家に帰ることになるかもしれない。たとえ就職したとしても、その職場が合わないかもしれない。可能性はいくらだってある。

けれどきっと私は近い将来、「辞めて良かった」と思えるはずだ。だから私は明日も、会社に行く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?