携帯電話の履歴書2

 はい!やってまいりました。孝太の雑録。
 今回は前回の続きになります。前回はこちら

 まあ、色々あって機種変更を繰り返してきた僕ですが、2006年10月1日よりナンバーポータビリティが導入され、更にそれが加速します。というか元々節操のなかった僕が、更に悪くなるみたいな(笑)。では早速行ってみましょう!

1 最初の乗り換え(vodafone→au)

 vodafoneのサービスに不満があり、いつか乗り換えたいと思っていた矢先、ナンバーポータビリティの導入です。早速実行に移しました。vodafoneからauへの変更です。同時期vodafoneは携帯事業をSoftBankに売却して話題にはなっていましたが、そんなのは気になりませんでした。とにかく変えよう、その時はそれしか考えてなかったような気がします(笑)。そんなわけで開始当日早速、乗り換えました。

 14台目となったのはauのW42SAのピンク。J-SA04いらいの三洋電機の携帯電話です。これは歴代では4番目に良かったですね。特筆すべき点はありませんが、とにかく使いやすかった。ボタンも押しやすい、画面も見やすい、それでいて操作もわかりやすかったですしね。また、サブディスプレイも綺麗なカラー画面だったので着信の確認もしやすかったです。
 余談ですが、この時期から1人暮らしを初めて、生活における携帯電話の使用頻度が高くなったため、使いやすい事が必須条件になりました。

 そしてau2台目となる15台目。これも久々の松下電器、W52Pのゴールドです。色は正直余り好みではありませんが、松下電器が欲しくて買いました。というのも2002年以降、殆どDoCoMoでしか松下電器の携帯電話が発売されておらず、目にすることがなかったんですね。それだけに色よりメーカーを重視して買いました。ワンプッシュオープンと持ちやすさが魅力でしたね。他の項目についてはW42SAとそんなに変わらなかった気がします。

 16台目は、W61Sのピンク。初めてのスライド型携帯電話で802SE以来のソニーエリクソン製です。802SEと違い、こちらは国内製なので何ら不便はなく、また画面も白ではなく青ベースですが綺麗だったし、カメラもそれまでの倍以上の500万画素だったこともあり、ボタンも大きいので押しやすい。とにかく使いやすかったですね。僕が持った機種の中では歴代3位ですかね。それまでソニーに対して良いイメージを持っていなかったのですが、これで一気に変わりました(笑)。

2 2度目の迷走(複数台保ち)

 最初に携帯電話を持ってから、ここまで11年。人生においても絶頂期でしたが、ここから転落と同時にまた迷走し始めます。
 北九州赴任が決まった日、今でも理由は思いつかないのですが、何故かもう1台携帯電話を買おうと思い立ちました。いつもだったら「金がないんだから無理」と思うのに、その時だけは歯止めがかかりませんでした。こうして買ったのが、SoftBankの920P(松下電器)のピンク。カウントはどうしようかな。新規契約だけど順を追ってと言うことで、17台目としましょうか。

 北九州へ引っ越した後、暫く2台持ちで過ごしますが、徐々に920Pは使わなくなり、W61Sだけ使うようになります。とはいえ、解約した場合、多額の違約金がかかるため、一番安いプランにして予備として所持していました。そんな中、1年程して、W61Sの電池が保たなくなってきました。
 
 そこで次に登場するのが、18台目となるSH001(シャープ)のピンクです。この機種もサブディスプレイはないものの、画面は回転できるし大きさも手頃で操作も分かりやすく、非常に使い勝手が良かったです。2年近く使って、その間にSoftBankの920Pは解約。再び1台体制に戻ります。

 そしてまたここからまたカオスな状態になります。19台目になるのが同じくシャープのSH008の赤。これが・・・曲者でした。何回も故障を繰り返したんですよ。修理しても戻ってきて1週間くらいすると又異常が出る。こんな事がずっと続き、さすがに我慢の限界が来たため、半年経たずに解約しました。

3 2度目の乗り換え(au→DoCoMo)

 SH008が何度も故障した事、そしてauの対応が悪かった事も鑑み、また乗り換えする事に決めました。今度はモテるからと言う理由ではなく、単にこの機種が欲しいと理由で、再びDoCoMoへ。

 20台目となったのは松下電器のP-04Bのピンク。画面が横に開けること、ワンプッシュオープンが魅力でしたね。920Pを使いやすくした感じが良かった。
 ただ、この頃から仕事関係の電話が異常に入るようになり、プライベートが全くといって良いほどない状態になりました。まあ、ブラック企業ですからね。会社のために命を削れなんて当たり前の会社でしたから。しかも当時は地元に帰ることは出来ないため、どんどん追い込まれていき、またも愚かな選択をしてしまうのです。

4 3度目の迷走〜はっきり言って異常・・・意味のない3台持ち

 今思うと、判断力も落ちてたんでしょうね。「携帯は公私分けよう」、何故かそう思った僕は再び新規でauの携帯電話を購入します。この時も無理矢理電話番号を選んで、購入しました。21台目となったのはT005のピンク。シンプルで使いやすかったです。必要最低限の機能は完備しているし、特に困ることもなく会社には知られずに結構長期に渡って使っていました。

 そしてここでまた、無駄遣いをやらかします。今度は興味本位で初代iPhoneを買ってしまいました。これが22台目で色は黒。当時はスマートフォンという言葉自体がまだ出ておらず、iPhoneはパソコンに近い携帯電話と言った認識でした。使い方を調べつつも段々と慣れていき、自分流にカスタマイズしていくのは楽しかったですね。

 しかしこんな事が長く続くわけもなく、徐々に台数を減らしていくことになりました。

5 戦い済んで日が暮れて・・・3、4度目の乗り換え、そして所持台数削減

 タイトルがオーバーすぎましたね(笑)。
 相変わらずP-04Bは仕事用として使い続けていました。この頃から中古携帯が出回るようになっていたので予備で通算2台程購入もしましたが、これはカウントから外します。

 さて、世もスマートフォンが出回り始め、僕もそろそろかとauの005TをシャープのIS11SH(ピンク)に機種変しました。23台目です。当時はタッチパネルが主流でしたが、まだボタン操作が出来る方が良かったので僕はこれにしました。特に不満はなかったですよ。むしろタッチパネルは嫌いだったし、あくまで普通に使いたかったから、スマホらしいネット閲覧やアプリ活用もこの時はそれ程しなかったと思います。

 そしてここでまた、乗り換えをする事になります。auからSoftBankです。理由は当時付き合っていた彼女がDoCoMoからSoftBankに変えるので、一緒に変えようと言われたから。そして変わったのが24台目のSoftBank、007SHのワインレッドでした。まだこの時点では僕はタッチパネルよりも折り畳みに魅力を感じていたので、折り畳み型スマートフォンというコンセプトだったこの機種にしました。しかし、使い勝手はかなり悪かったです。まずOSがついて行ってないせいか、すぐバグる。起動時間も遅い。更にはアプリを少し増やしただけで、すぐに「これ以上ダウンロードできません」という表示が(泣)。今思うと小さい端末に無理矢理機能を詰め込んでいたのかもしれません。

 この頃にはもう、色々と限界に来ており、仕事も辞めることを考えてました。手始めにiPhoneを解約。ついで007SHを通話のみの軽い状態に戻し、実家へ譲り渡しました。最終的に残ったP-04Bも劣化してきたので、再び乗り換えすることにしました。DoCoMoからSoftBankに乗り換えて、結局振り出しに戻ってしまいました(笑)。

 この時に再びガラケーに戻し、109SHの赤に変えました。これが25台目。スマホから通常の携帯電話に戻ったことで多少の不便は感じましたが、この頃になると大して不満は感じませんでした。それよりも生活の方が大事ですし、安い料金で持つことを第一に感じていたしね。
 それに複数台所持していたことについての後悔の方が大きかったんですよ(笑)。「俺、何してたんだろう。終わってみたら空しいな」みたいな。引っ越しもあったからこれで十分だと思っていました。
 しかし、時代は容赦なく進み、結局スマホを使うことになるのです。

 福岡に引っ越して生活やら何やらで色々と考えて行くうちに、やはりスマホがあった方が何かと便利だなと思い、また、スマホに機種変しました。それが26台目になるA202F(ピンク)です。これはねえ。画面も大きいし、処理も早かったから結構重宝しましたね。初めてスマホをフル活用したのがこの機種かもしれません。とにかく色々試したし、出来なかった事はあまりなかった。それだけに寿命は短かったですね。フリーズしやすくなり、ずっと変な通知が出続けて、同時に電池保ちも悪くなりました。

 ここでまた機種変更する事になりますが、それは次回お話します。
 しかし、改めて見ると僕の携帯電話への執着は異常ですね。当時はそうは思わなかったけど、今思うと我ながら気持ち悪い(笑)。

 今回はここで終わりとします。最後までお読みいただきありがとうございました。 

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