携帯電話の履歴書 1

 はい!やってまいりました。孝太の雑録。

 今日はですね。携帯電話のお話です。これまでも何回か取り上げはしたんですけど、僕の歴代の携帯電話についてはまだ書いていなかったので、今回はそれについてお話しようと思います。

1 学生時代(IDO、DOCOMO)

 僕が携帯電話を持ったのは、1997年からです。当時はPHSが主流で、携帯電話は通話料が高かったのですが、未成年だった僕は両親の許可証が必要であり、話をしたところ、「これからは携帯電話の時代になる。それに高い分無駄遣いはしないのだからPHSではなく携帯電話にしなさい。」と言われまして、買った次第です。
 
 最初に買ったのはIDO(現au)の506G(三洋電機)のピンクです。確か0円だったかな。この当時は携帯電話は契約優先で0円で買えたんですよ。電話番号でメールは出来たんですけど、まだ漢字には対応しておらず、カタカナでしかやりとり出来ませんでしたし、液晶もモノクロで画面も小さい機種でした。これは半年くらい使っていたかな。
 
 そして2台目が同じくIDO(現au)の508G(京セラ)。リンクには残っていませんでしたが、浦和レッズ限定モデルで色は赤でした。こちらはフリップタイプで506G同様、漢字非対応かつモノクロの小さい液晶でした。ただ新要素として着信音が自作できました。まあ、自作と言ってもこの時代は着メロはまだ登場しておらず、簡単な着信音のみでした。

 3台目は、DoCoMoのP156(松下電器)のシルバー。今はなきシティフォン(1.5GHz)で、他のメーカーにないものでした。当然電話番号は変わりました。
 そこまでして何故変えたのか?きっかけは、今思うと本当にバカというか情けない話です。今思い出しても自分に腹が立つし、後悔しています。当時とある女性に想いを寄せていた事、その人がDoCoMoだったからです。しかしこの恋は無様な結果に終わり、敗北と共に多くの物を失いました。ここで「敗北」という言葉を使ったのは、多くの物を失った自分への教訓としてです。何があったかは、書くことは出来ませんが、その後の自分の人生を変えてしまう程の出来事とだけ言っておきます。
 さて、肝心の機種ですが、使い勝手は非常に良かったです。液晶はモノクロでしたが、画面も少し大きくなり、漢字対応だったので電話帳も見やすかったです。着メロも自分で作れましたしね。通話エリアが関東地方と関西地方と福岡市に限定されていた(実際は福井市と郡山市の中心部は問題なく使えた)分、料金も安めで快適でした。問題点は実家の電波の入りが悪かった事かな。これは結構困りました。本来ならこの機種でDoCoMoは完結のはずだったのにまた、スケベ心を出したせいで、その後も続く事になります。

 4台目はDoComoのSA207(三洋電機)のシルバー。これに決めたのは1.5Gが下火となり、800GHzが主流となってきた事、誰も使ってない機種だったし、僕が三洋電機製の携帯電話が好きだったことですね。更には当時、「DoCoMoの携帯電話(800GHz)を持ってると女性にモテる」と言われてたから(笑)。実際、地味ながら結構良い機種でした。画面は見やすい、非通知着信機能も(この機種から)完備してたし、電池保ちも非常に良く、歴代でも2番目に使いやすかったと思います。

 5代目はDoCoMoのN502i(NEC)のピンクです。当時人気のiモードかつ折り畳み機種です。思えばこれが最初だったんですね。モノクロですが大画面で文字も見やすかったし、ネットにつないでも遜色なかったです。また、4和音の着信音も音が綺麗で、暇つぶしによく聴いてました(笑)。ちなみに僕の携帯はここから大体ピンクか赤になります。当時は周りからは「男が、ピンクなんて気持ち悪い」と言われたものですが、最後の方には「孝太はこの色しか合わない」と言われるようになってました(笑)。

 6台目はDoCoMoのP503i(松下電器)の赤。なお、一旦DoCoMoはここで終了となります。買った当初、周囲の反応は皆、「そう来ると思ったぜ。」でした(笑)。画面は初のカラー液晶。256色とはいえ、大画面で見やすかったし、ゲームもやりやすかったです。そして着信音も16和音になり、色々とダウンロードしてましたね。折り畳みからストレートに戻りはしたものの、かえって使い勝手は良く、困ることは何もありませんでした。ちなみに大学生としては最後の携帯電話でした。

 しかし、事情により番号を変える必要が生じます。その理由とは、小学校の同級生からの宗教勧誘。詳細は控えますが、同窓会気分で会ったら、車でその宗教本部まで連れて行かれそうになりました。その後も電話とメールがひっきりなしに鳴り続け、やむなく番号自体を変えることになります。
 ところでDoCoMoにしたら女性にモテたか、という話ですが、全くそんなことはなく、むしろ余計にモテなくなったよ(怒)!この頃には僕の周囲ではDoCoMo一強ではなくなってましたしね。

2 社会人(J-PHONE(vodafone))~1度目の迷走

 さて、携帯電話の番号を変える事にはなったものの、このままDoCoMoを継続するか、他メーカーにするか悩むところではありました。しかし番号を変えるなら使ったことがないキャリアにしたくなり、TU-KAかJ-PHONEの2つに絞られました。結果、当時既に落ち目だったTU-KAを使うのではなく、J-PHONEに決定しました。そしてどうせなら、電話番号も自分で決めようと思い立ち、わざわざ桶川から大宮のルミネ内にある電気屋まで行って買いました。そうして今の携帯電話の番号が確定したわけです。しかし、誤算がありました。当時はSIMカードはなく、端末自体に番号が配布されていたため、希望の色には出来なかったのです。番号を優先した結果、7台目は、J-SH07(シャープ)の白になりました。本当はピンクにしたかったんだけどね(笑)。これも使い勝手は良かったですよ。画面も大きいし、何より65,536色のカラー液晶が素晴らしかった。そして僕にとっては初のカメラ搭載機種。当時は田代まさしの事件があったから、色々言われたけど(笑)、結構使いました。ただ、ある時急にボタン操作がきかなくなり、修理しても高くつくことになったのでやむなく機種変更となりました。

 ボタンの故障により、やむなく買い替えたのが8台目になるJ-SA04(三洋電機)のピンク。これは、正直全機種より性能が劣化しました。見た目は悪くなかったのですが、画面も少し小さくなり、カメラの画素数も10万から5万に落ちたせいでかなり見劣りする(汗)。メールもご操作で送信されてしまう事が多く、結構トラブルになってました。関係ない話ですが、この機種を使っていた時に当時の彼女と別れたのですが、理由の一つが「DoCoMoの方がカッコいいのにJ-PHONE使ってるから嫌だ!」という意味不明なものでした(笑)。まあ、どう考えても後付でしょうけどね(笑)。いずれにしても長く使わなかったことは確かです。

 そして9台目。J-P51(松下電器)の黒。これは過去最高の機種でした。簡単に言えばDoCoMoのP503iの強化版で画面は65,536色のTFT液晶かつ40和音のPCM音源、しかも操作性も抜群に良く、不満は全くありませんでした。しかもこの後からvodafoneに変わるのですが、良い機種が全く出てこなかったんですよ。前の焼き直しみたいなのがずっと出ていて、他のキャリアは着うたや和音数も64に強化されているのにvodafoneは的外れな機種ばかり出していて、実際ユーザーはかなり減ってましたからね。そんなわけで3年くらいこの機種を使っていました。

 しかし3年も使えば、消耗も激しくなり、限界を迎えます。どうしよう考えていた所、ようやく強化された機種が発売されます。それが10代目となるV602SHの赤。着うた、64和音に対応していて、性能は申し分なかったのですが、変な位置にサブディスプレイがあるのと、2Gで着うたをダウンロードするとパケット代がやばいことになってしまい、結局長く使わなかったですね。

 そしてここから迷走が始まります。何をして良いのか分からず短期間の機種変更を繰り返してしまうのです(;゚ロ゚)11台目は海外製のSONYエリクソンの機種、802SEのオレンジ。72和音と着信音は非常に良かったのですが、何と標準言語が日本語ではなかったため、操作も一苦労。しかも海外ならではの機能が多数あり、なかなか理解できず、使いこなすことが難しかったです。この頃、機種変更の時期縛り(通常6ヶ月以上)がなくなったため、さっさと次の機種に変えてしまいました。

  そして12台目は東芝の902Tの赤。初めて使う東芝機種です。DoCoMoのP505iSを見たときにこういうの欲しいな~。と思っていたらメーカーは違うけど同じタイプの機種が発売されたので早速買いました。これもなかなか良かったですよ。着信音も遂に最大の128和音になり、画面も見やすかったしね。メールも普通に使ってました。ただ、このあたりからウェブが定額使い放題になったため、際限なくつなぐようになって、電池保ちもあまり良くなくなってきましたね。

 次はvodafone最後の機種。13台目も東芝の904Tの赤。これは可もなく不可もなくって感じだったかな。画面が回転するのとカメラ性能の良さを売りにはしていたけど、僕個人としてはそこまで重用しなかったしね。ただ、902Tと比べると、画質や音質は結構良かったなと思います。

 この時期においてもvodafoneは他のキャリアと比べると融通が利かないところがあり、不便さを感じ得ませんでした。とはいえキャリアを変えれば電話番号も変わりますから、それはそれで色々と面倒なんですよね。
 しかし、それを解消する出来事が起きました。ずばり、ナンバーポータビリティの導入です。これにより番号を変えることなくキャリアを選べるようになりました。乗り換えする人も多くなり、僕も例に漏れず、それを行いました。次回はその事についてお話します。

 今回はここで終わります。最後までお読み頂きありがとうございました。

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