NHK 朝ドラ「エール」2020年6月3日放送分について

 はい!やってまいりました。孝太の雑録。
今更ながら6月から前振りを統一させていただきました。元々タイトルのない雑記帳だったのですが、今後は「孝太の雑録」で通させていただこうと思います。

 さて、今日はタイトルの通り、朝ドラ「エール」の6月3日分について、お話ししようと思います。といってもネタバレではなく、史実についてです。

 まず、このドラマ、20世紀の超大物作曲家 古関裕而の一生をもとにドラマ化したもので、結構人気があるみたいです。
 登場人物の名前は、微妙に変えてますが(古関裕而→古山裕一 三浦環→双浦環 等)、基本的には史実通りの内容です。

 時は昭和初期、古関裕而はコロムビアレコードと契約したものの、売れない日々が続いていました。ところがある事がきっかけで一気にスター街道を走ることになります。
 1935年(昭和10年)、高橋掬太郎の作詞による「船頭可愛や」という曲をリリースしました。ちなみに歌っていたのは音丸という歌手です。最初は、あまり売れなかったようです。しかし、ここで転機が訪れます。三浦環より「自分もこの曲を歌いたい」という申し出があったのです。三浦環といえば当時の超大物オペラ歌手でした。そして三浦環が歌う形で「船頭可愛や」は再び発売されました。結果大ヒットとなり、更には音丸が歌った旧盤もヒットしました。
 この事がきっかけで彼の名は全国に知れ渡ります。
 超大物歌手に認められた事で無名作曲家からスターになった彼は、その後も「長崎の鐘」、「六甲おろし」、「闘魂込めて」等の数々のヒット曲を世に送り出し、1989年(平成元年)、80歳で亡くなりました。
 彼の恩師としては、山田耕作、菅原明朗が挙げられますが、そういった意味では三浦環は恩人といえるでしょう。
 
 古関裕而の偉大さは、単なる一発屋で終わらず、その後も名声を維持し続けてきた事ですね。何より大変なのは、自分の地位を維持し続ける事。ましてや移り変わりの早い世界です。気を抜けば、すぐに滑り落ちてしまう。でもその中で現状に甘んじる事なく、精進を重ねて世に曲を送り続けました。それには自分を後押ししてくれた人達への恩返しもあったのでしょう。

 お恥ずかしい話ですが、歴史好きを自負していた僕ですが、このドラマを見るまで古関裕而はおろか、近現代の音楽史について詳しく知りませんでした。でもこれがきっかけで興味を持つ様になりました。

 「現状に甘んじる事なく、日々精進を重ねる」
年齢に関係なく大事な事です。この精神を忘れる事なく生きていきたいですね。

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