construction

私の家の近くに工事中の道路がある。その道は幹線道路に出るちょっとした小道で、迂回路も豊富にあって交通に必ずしも必要な道路ではない。だからか、その道路は常に封鎖されている。道を塞ぐように真ん中に立ち入り禁止の看板が置かれていて、その横には警備員の絵が描かれた看板も立っている。工事の現場は少し奥にあるらしい。現場には厳重に柵で封鎖されていて、何をしているのか窺いしることはできない。

私の家から駅まで歩く道の途中にその道路があるから嫌でも目につく。何の工事をしているのか、あんなところ工事なんて必要なんだろうか、少なからず気になっていた。でも、仕事をしている身では、平日の昼間に前を通ることもできないので実際の工事の現場を見ることもできない。建築工事のように説明看板でもあればよかったのだが、そういった類のものもない。だから、その工事がどのような目的でどのような内容なのか知るよしもなかった。

工事が始まってどれくらい経ったか。おそらく一ヶ月は経っていたと思う。その頃になると、私も工事現場が当たり前の風景になって特に気を留めることもなくなっていた。その日、日中はとてつもなく暑い日で、夜になってもその余韻が残っていて、あたりはモワッとした熱気で包まれていた。私の仕事は大抵その時期は忙しいことが多く、その日も仕事が立て込んで最寄りの駅に着いた時には0時を回っていた。急ぎ足でコンビニで買い物を済ませ帰路につき件の工事現場の前を通ると、いつも道の真ん中に置いてあった立ち入り禁止の看板がなくなっていた。おかしいなと思い近づいてみると看板はなくなったわけではなく、倒され端に追いやられていた。誰かが倒したらしい。乱雑に投げ捨てられているようにみえた。そして、現場を囲っていた柵の方に目をやると、少しだけ柵が開いているようだ。あたりはいつも通り電灯があるにもかかわらずなんだか薄暗くてはっきりと見えるわけではなかったが、柵に隙間ができているように見えた。その隙間はちょうど人が横になってなんとか通り抜けられるくらいの幅で、その奥は暗くて何も見えなかった。

誰かが故意に開けたのだろう。こんな時間に工事をするわけはないから、私と同じく何の工事をしているのか気になった誰かが開けたのかもしれない。そうだとしたら、私も同じように隙間から中を覗けば、何の工事をしているか知ることができる。もうかれこれ一ヶ月以上やっているその工事の内容を確認することができる。しかし、この暗闇のせいか私はなんだか怖くなって、その隙間に近づくことができない。何の工事でもいいじゃないか。どうせ道路にできた穴か何かを修復しているのだろう。わざわざ確認する必要もない。そのような思いが頭をめぐるが、心臓は音を立てて大きな鼓動をうっている。私の好奇心がむくむくと顔を出してくる。私はじっとその隙間をみつめている。どうやら私は見たくてたまらないらしい。恐怖心に苛まれながら、それでも私はその隙間から目をはなすことができない。私の足が自然とそしてゆっくりと動き出し始める。私はその動きを止めることができない。いつのまにか私は柵のすぐ近くまできている。もう隙間は目の前だ。ちょっとだけ顔を前に出し覗き込めば、工事現場を見ることができる。何の工事をしているのか確認することができる。私はつばを飲み込んだ。心臓は相変わらず大きな鼓動をうっている。私は何をしているのだ。こんなことする必要があるのか。そう思いながらもゆっくりと頭を前へ出していく。暗闇の中へ頭が吸い込まれていく。

次の朝、その道を通ると工事現場の柵は取り払われていた。夜の間に工事の柵が撤去されるなんて聞いたことがない。しかし柵は跡形もなかった。道路は特に変わったところもなく、どこにでもあるようなアスファルトの道路にしかみえなかった。一ヶ月前との差は確認できない。まるで工事なんて全くしていなかったようだ。昨日の私の行為が原因なのだろうか。私は呆然として、その道路に立っている。昨日のことは夢だったのか。そうなのかもしれない。それであればどれだけよいか。でも、工事は確かにしていた。看板も立っていたし、柵で囲われていた。しかも、私は見たのだ。この目で。その現場を。おそらく私は取り返しのつかないことをしてしまったのだ。私のせいで現場はなくなってしまった。私はなんてことをしたのだろう。あんなことしなければよかったのだ。あの時私が軽い気持ちで覗いてしまったせいで、こんな事態になったのだ。私は犯した罪の重さに慄きながら、その場に立ち尽くした。

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