minus

全てはこの救いようのない世界に終止符を打つためだ。私は私自身の手でこの世界を終わらせようと思った。もう救いようがないと判断したのだ。仕方ない、私は私に接点のある世界を少しづつだが削除することにした。なにも世界を物理的に破壊するわけではない。それは相当の手間がかかることだ。それに犠牲もでる。だから、私は私の意識の中にある世界を削除していくことにした。必要か不必要か判断をすることもしない。とにかく目の前にあるものから順に削除をしていく。そうやっていつしか世界を完全に削除をするのだ。

まずは情報を削除する。情報は人間が作り出したもの中で一番不必要でくだらないものだ。社会という概念の中核にあり、世界を低俗たらしめているものだ。だから、私は一番初めに削除することにした。私はまずテレビを破壊し、雑誌を破り捨て、小説を焼き払った。そして、パソコンを捨て、スマートフォンを捨て、インターネットを遮断した。私は情報を一切断絶して、世界から独立した存在となるのだ。

次は言語だ。言語があるからコミュニケーションが生まれ、情報が発生し社会が生まれる。原因は取り除かなければならない。私は、話すことをやめ、読むことをやめた。そして、言葉の概念を捨て、すべてのイメージを言語化しないように努めた。

そして、最後は感覚だ。自分と世界の接点は徹底的に削除する必要がある。だから、私自身がもっている感覚から解放される必要がある。人間には五感がある。五感を順に削除していく。視覚を削除し、なにも見ないことにした。聴覚を削除して、なにも聞かないことにした。臭覚を削除して、なにも嗅がないようにした。味覚を削除して、味わうことを放棄した。そして、触覚を削除して、接触を無感にした。

こうして、私は私の意識の中にあった世界を削除した。私の中に残っているのは感情だけで、だから私は自由だ。私は世界にとらわれることのない発想をもつことができ、他人を意識することのない純粋な感情を発露することができる。完全に私は自由で、かつ純粋で無垢だ。私はどんなものにもなれる。私は削除を続け、不要なものを処分した結果、私は新たな何かを産む余地を作り出すことができた。マイナスを続けることによって、最終的にはプラスを手に入れたのだ。さて、私はなにをすればよい?

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