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#003 セロウェ:砕け散った欠片が織り成されていく|ベッシー・ヘッドの言葉|Essay

Somehow, by chance I fled to this little village and stopped a while. I have lived all my life in shattered little bits. Somehow, here, the shattered little bits began to come together. There is a sense of wovenness; of wholeness in life here. There were things I loved that began to grow on me like patches of cloth...

どういうわけか、わたしはこの小さな村にやってきてしばらく留まった。それまでの人生をずっと砕け散った小さな欠片のように生きてきた。何とは無しに、この場所で小さな欠片たちは寄り合わさり始めていった。ここでの生活の中で、織り成されていく感覚、一体感があるのだ。わたしの愛するものたちが、やがて自分の中で布の切れ端のように育っていく……

The New African 4.10 (1965): 230

ベッシー・ヘッドがまだボツワナに亡命してまもない頃の印象的な一文。それまで南アフリカでは両親もなく「カラード」(彼女の場合は、母親が白人で父親が黒人なのでいわゆる南アフリカでのカラードとは少し違う)として生まれ、拠り所もなかった彼女の人生は決して楽なものではなかった。アイデンティティを模索しながら政治に翻弄され、亡命したボツワナの村の静かな生活をベッシーは愛したし、その一方で、この平和に見えるボツワナも含む南部アフリカに広がる人種差別構造というものの現実に直面することにもなった。

ベッシーによるセロウェ村の描写はとても美しい。どの小説にも読んでいくだけで美しいボツワナの風景が広がっていくようなため息をつくような描写がある。その美しい風景のキャンバスの上に、差別、社会構造の歪み、歴史、経済、政治のことを塗り重ねていくような魅力がある。

1981年にはインタビューなどに基づき村のことを書いた"Serowe: Village of the Rain-Wind"を発表している。ちなみに、ここで取り上げた文章はもっと長くて美しい箇所があるのだが、書ききれない。ここでいう「愛するものたち」とは、乾いた大地に降り注ぐ雨、寒い冬の朝、美しい鳥たち、冬眠から覚めるカエルの気配、などなど、美しい描写が続く。


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