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#016 昔から、大地を耕すのは男性ではなく女性であった。しかし農業プログラムは男性だけに開放されていた。|Novel

Gilbert stood up and swung around decisively. ’Can you drive a car?' he asked.
'Yes,' Makhaya said.
'Driving a tractor is much easier,' he said. 'Part of your job would be to learn tractor ploughing and the use of planters, harrows, and cultivators. The other half would be to teach women agriculture.'
Makhaya stared at him in amazement. ’But I know nothing about agriculture,' he protested.
’I have the lectures,' Gilbert said, almost impatiently. ’I know what's needed but I can't teach. I can't put my ideas over somehow, and not only because my grasp of Tswana is poor.’
He sat down on a chair and for almost an hour talked eagerly, the way he had with the paramount chief, only this time to a keenly attentive listener.
He felt that he had stumbled onto one of the major blockages to agricultural progress in the country. The women were the traditional tillers of the earth, not the men. The women were the backbone of agriculture while the men on the whole were cattle drovers. But when it came to programmes for improved techniques in agriculture, soil conservation, the use of pesticides and fertilizers, and the production of cash crops, the lecture rooms were open to men only. Why give training to a section of the population who may never use it but continue to leave it to their wives to erode the soil by unsound agricultural practices? Why start talking about development and food production without taking into account who is really producing the food?

"When Rain Clouds Gather" 『雨雲のあつまるとき』1968
 ギルバートは立ち上がり、何かを決めたように振り向いた。「車、運転できるかい?」
「できるよ」とマカヤは言った。
「トラクターを運転するほうがずっと簡単さ。君の仕事の一部は、トラクターでの耕作、播種機と砕土機と耕運機の操作をおぼえることだ。残り半分の仕事は、女性たちに農業を教える担当だ」
マカヤはびっくりして彼を見つめた。「いや、僕は農業のことなんて何にも知らないよ」と反論した。
「いま、レクチャーをやっているんだ」待ちきれないように、ギルバートは言った。「俺は、必要なことは知っているけれど教えられないんだ。自分の考えを伝えることができないし、それは俺のツワナ語が拙いからだけじゃないと思う」
ギルバートは椅子に腰掛けると、一時間近くかつてパラマウント・チーフに対してしたように熱心に語った。今回ばかりは、とても熱心に耳を傾ける相手に向かって。
ギルバートは、ボツワナ農業発展の大きな阻害要因に躓いていた。昔から、大地を耕すのは男性ではなく女性であった。女性が農業の根幹を支え、男性は牛追いであった。しかし、高度な農業技術や土壌保全の知識、農薬や肥料の使用方法、換金作物の生産などのプログラムの話になると、教室は男性だけに開放されていたのである。なぜ、技術を使わずに妻たちにすべてまかせっきりで、不健全な農業の慣習で土地を侵食させるままにしておくような住民の一部に、そのようなトレーニングをするのか。なぜ、開発や食料生産について語るのに、誰が本当に食物を生産しているのかを考慮に入れないのだろう。

1968年、最初に出版された長編小説"When Rain Clouds Gather"より。

南アフリカから亡命してきた元ジャーナリストの青年マカヤは、ボツワナの村で3年間農業開発に専念してきた熱い英国人青年ギルバートと出会い意気投合する。政治犯として2年間投獄され、そのあとアパルトヘイトから自由を求めて国境フェンスを超えてボツワナまで逃れたマカヤにとって、まるでバックグラウンドの違うギルバートの熱意は、心動かされる新しい世界だった。

こうして農業はまるで素人だったマカヤは、初めて農業の知識を吸収し村の生活になじんでいくことになる。

このくだりは、マカヤと同じく南アフリカで元新聞社に勤め、政治活動にかかわり(投獄はされていないけど)ボツワナに亡命してきた作家ベッシー・ヘッド自身が、まさにモデルとなった英国人の農業専門家とともに農業開発に携わっていく実体験をベースに書かれている部分が多い。

また、ベッシー・ヘッドがこの作品を発表してから50年余りがたっても、未だに開発とジェンダーの課題が残っていることに、開発コンサルタントとしては苦笑してしまう。今でこそ開発とジェンダーは考慮されるようになってきたが、農業だけでなく様々なことが、何も配慮しなければどうしても男性主体になってしまう。例えば、防災に係る知識を男性に普及させたとしても、男性が家に不在であれば女性は勝手に避難することも出来ず、家にとどまってしまう。津波の被害者の多くは女性や子供だ。

こういうことを、作家ベッシー・ヘッドは50年も前に作品の中でシャープに描いている。

この後、マカヤとギルバートがどうなったのか。タバコ栽培の農業プロジェクトはどうなったのか。それは、またいずれどこかで。

作家ベッシー・ヘッドについてはこちらのマガジンをご参照

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