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(1)作家ベッシー・ヘッドとアフリカと(本マガジンの主旨)

1.はじめに

作家ベッシー・ヘッドは南アフリカ出身だ。1937年、南アフリカで白人の母親と黒人の父親の間に生まれ、アパルトヘイト(人種隔離政策)下の南アフリカ社会でジャーナリストとして活動した。1960年代にボツワナへ亡命し、1986年に48歳の若さで亡くなるまでの人生の多くを、ボツワナ中部のセロウェという村で過ごす。
アパルトヘイトで南アフリカが人種主義や憎しみ、暴力に晒されるなか、作家となってからはボツワナの農村を舞台として描いた作品を生み出している。しかしながらその作品群は、アパルトヘイトや人種主義、差別や分断、ジェンダーなどボツワナの農村という小さな世界に留まらない普遍的な課題について驚くほどシャープに切り込んでいくと同時に、一度読めば心に深く入り込んでしまうハッとさせられるような美しい表現に満ちあふれている。彼女の才能は世界中で愛され、その作品群には亡くなって34年あまり経た現在でも多くのファンがおり、多くの国で翻訳され読者層を広げている。

私は大学生だった1990年代後半から作家ベッシー・ヘッドのことを研究し始め、論文にしたり多くの場所で文章にしたり発表したりということをしてきたが、そのほとんどが断片的であるという反省から、ここである程度の形にまとめることとした。
また、日本では1990年代のアパルトヘイトの終焉前後に、ベッシー・ヘッド作品が幾つか日本語で出版されている。この十年来、ベッシーの小説のうち未訳作品の日本語版翻訳出版の実現を望み画策してきた。まだ出版は実現されておらず、数年に渡り未だ各所と交渉中である。

このマガジンでは、ベッシー・ヘッドの作品と生き方の魅力的を日本語で発信することによって、多くの方に知ってもらいファンになっていただくことを望んでいる。本記事では、作家ベッシー・ヘッドと本プロジェクトに係る概略を記載し、次回以降各項目を掘り下げることにしたい。

2. 作家ベッシー・ヘッドの生涯(概要編)

では、作家ベッシー・ヘッドとはどのような人物か。1937年、ベッシー・アメリア・エメリー(Bessie Amelia Emery)は南アフリカのピーターマリッツブルグの精神病院で生まれた。母親は裕福な家の白人女性で、父親は不明だが黒人のアフリカ人であると言われている。南アフリカでは、アパルトヘイトという国家制度が採用される前から人種差別的な法律が存在していたが、その政治体制が本格化されたのは1948年からで、その後、1994年の全人種参加総選挙が行われて撤廃されるまで、「合法的」な人種差別主義を強行していくことになる。その根幹となる法律の一つである「背徳法」(Immorality Act) はすでに1925年に成立しており、異人種間の恋愛関係、その後性交渉を法的に禁止している。ベッシーはつまり、「違法」な存在としてこの世に生まれ落ちたのだ。

「カラード」とは南アフリカでの人種グループの一つとされてきた名称で主にケープタウン周辺地域に居住するいわゆる「混血」の人々のことを指す。(カラードの定義については本マガジンに後述することにしたい)ベッシーは主に自身を「カラード」もしくは「アフリカ人」として定義する表現をエッセイなどに書いている。幼少期、カラードの養父母に育てられたベッシーは13歳でダーバンのセントモニカ孤児院(当時)に入れられることになり、初めて養父母が実の両親ではなく自分の母親が白人であったことを知った。ここからベッシーのアイデンティティの追求の長い旅が始まる。

彼女の生涯は、南アフリカのアパルトヘイトの歴史に大きく動かされ、翻弄された波乱万丈なものとなった。学校を卒業し、ダーバンで教師の職を得るもののその後ジャーナリストに転身。ヨハネスブルグやケープタウンでタブロイド紙などの仕事に就き、1961年に同じくジャーナリストのハロルド・ヘッドと結婚し、一人息子のハワード・ヘッドを授かる。その後、結婚が破綻し、1964年ベッシーはボツワナ(当時のベチュアナランド英国保護領)で教師の職を得て、出国許可証を手に幼い息子を連れて南アフリカを去る。アパルトヘイトが過酷であった当時、政治活動に関わっていたベッシーに南アフリカ政府はパスポートを与えることはなく、ベッシーは亡くなるまで南アフリカに戻ることがなかった。

ボツワナでしばらくは教師として働いていたが止むを得ず退職したベッシーは、ボツワナ中部のセロウェ村で貧困と孤独とともに生き、原稿を執筆して米国や英国などに送りながら生活するも、その暮らしぶりは楽ではなくベッシーは徐々に精神を病んでいくことになる。やがて、1968年に小説「When Rain Clouds Gather(雨雲のあつまるとき)」がニューヨークの出版社から出版されると少しずつ作家としての注目を集めていき、1971年に「Maru(マル)」1973年に「A Question of Power(力の問題)」を出版し作家としての成功の道を歩んでいくが、1986年に48歳の若さで肝炎を患って亡くなってしまう。

3. 現代社会における作家ベッシー・ヘッド作品の意義

詳しくは後述することにしたいが、ベッシー・ヘッドが亡くなって34年余り経た現在でも根強いファンが世界中におり、今でも毎日のように誰かしらがSNS上で彼女のことを話題にしている。作品の翻訳も世界各国で出版され、ボツワナでも教科書に使われたりするなど人気が高い。
その作品の多くがボツワナの農村の人々を題材にした小説であるが、南アフリカのアパルトヘイトに翻弄され生きてきたベッシーにとって、農村をモチーフに描くのは人種主義という人間の根源的な悪であったりグローバルな社会構造、ローカルな社会構造の歪みであったり、ジェンダー、不平等、貧困についてなど、その世界を見る目は実に切れ味が鋭く厳しい。だが、表現力の圧倒的な秀逸さと繊細さ、そして美しさが読む人の心を捉える。そして何より、現代社会にも通じる核心を突く指摘が美しい文章の中にしっかりと仕込まれている、その技術の高さとセンスの良さが、出版後年月を経ても色褪せずしっかりと身近に感じられる強いメッセージとして息づいている。このことが、ベッシーの衰えない人気の秘密なのかもしれない。その意味では、Black Lives Matter (BLM)の活動が世界中に広まった今、そしてコロナ禍に見舞われ様々な社会と人々の分断が明るみに出るようになった現在に、ベッシー・ヘッド作品や彼女の言葉が伝えようとしたメッセージはより今日的な意義が深まっていると言える。

4. 本マガジンの主旨

現在、ベッシー・ヘッドが残した大量の原稿や書簡は、ボツワナ・セロウェ村のカーマ3世メモリアル・ミュージアムに保管されており、世界中の研究者やファンなどがセロウェを訪れ彼女の研究をしている。私は、1998年大学4年生の時にセロウェを訪ねることができ、学部卒業論文のために彼女の残したアーカイブに触れた。最初の一ヶ月は首都ハボロネのボツワナ大学でお世話になり文献調査を行い、その後はセロウェ村で研究者が宿泊できるミュージアム敷地内の小屋に寝泊まりして毎日ベッシーが残した原稿や膨大な数の書簡などをめくっていた。この時にお世話になったボツワナ在住の研究者とは、今でも連絡を取り合っている。

大学卒業後、私は英国スコットランドのエディンバラ大学アフリカ研究センターで大学院修士課程を修了し、ここでもまた作家ベッシー・ヘッドについて修士論文を書いた。文学研究としてではなく、社会科学的見地から見た南アフリカの歴史とベッシー・ヘッドの生涯、そして作品の存在意義やメッセージは、研究対象としても個人的にも非常に重要なものとなっている。その後は、ベッシー・ヘッドのことを断片的に発信しつつ、彼女の小説の一つの日本語での出版を目指し、何年ものあいだ翻訳と出版社探しに翻弄を続けている。なお、2015年には学部生時代にボツワナと南アフリカを訪れたことについてKindleでエッセイにまとめている。(『セロウェの夜明け、鳥の声を聴いた』

まずはベッシー・ヘッド作品の出版の実現に向け、ベッシー・ヘッドという作家と彼女の作品の魅力、現代社会における意義について整理をしておくこととしたい。

このマガジンの概要は、以下の通りである。

【目的】ベッシー・ヘッドの生き方、作品や文章の魅力を日本語で発信することを通じベッシー・ヘッドのファンを増やすこと
【対象層】海外文学ファン、出版関係者、アフリカや海外への関心の高い層、これまでアフリカに馴染みのなかった一般の人たち
【コンセプト】
■ベッシー・ヘッドの作品や文章の魅力を知ってもらう
■ベッシー・ヘッドが伝えるメッセージの今日的意義を知ってもらう
【コンテンツ】
■ベッシー・ヘッドの生涯について
■作品、エッセイ、書簡からの引用を交えた考察
■ベッシーの作品や文章に見るアパルトヘイト、人種主義、ジェンダー等の現代社会へのメッセージの考察

■ベッシー・ヘッド作品の翻訳出版に向けた「ワークインプログレス」

これまで学部、修士課程での研究を除けば、いくつかのささやかな講演や寄稿、Kindleのエッセイ本執筆、ブログやnoteなどに断片的かつ抽象的・主観的な文章を書いてきたに過ぎない。ベッシー・ヘッド研究を始めた時代には存在しなかった様々なツールが活用できるようになった現在、私の中で重要なライフワークであるベッシー・ヘッドのことについて、書きまとめることの重要性を再認識し、これを始めることとする。まずは、これを通じベッシー・ヘッドの魅力と今の社会に向けた大切なメッセージを多くの人に知ってもらうこと、今までほぼ公の場所に公開してくることのなかった比較的客観的な考察を、ここで改めて書き記すこととしたい。


作家ベッシー・ヘッドによる小説(日本語未訳)の日本語版翻訳を出版してくださる出版社を探しています。もしご検討くださる出版社・編集者、もしくは出版ご検討いただける方をご紹介できるという方がいらっしゃいましたらお知らせ頂けますと幸いです。詳細をお送りいたします。(こちらのページ一番下にお問い合わせフォームがあります)

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