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年越しそばを食べたら、新たな自分で生きられる説

大晦日。

毎年、年越しそばを食べる。理由は考えたこともない。イベントごととして紅白歌合戦とセットというだけだ。今年も早かったとか、今年も頑張ったなとか、そうやって一年を振り返る。

しかし今年は娘が聞いてきた。年越しそばってなんで食べるか知ってる?

ん?知らんな。

おそばって切れやすいだろ?今年の悪縁をスパッと切るためなんやって。諸説ありやけどな。

私は一瞬、良縁も切られてしまうではないかと思ったが、それだけ今年とは違う新しい自分になれるのかもしれないなと、新たな年に光を見た。

私たちは記憶に縛られている。記憶は大事だが、新しい自分になることをはばむものでもある。平凡で退屈な自分にとどまらせる。

こんな話を聞いたことがある。足枷で繋がれていた象はその足枷を外されてもそれ以上の範囲を動こうとはしない。仕切りをつけられたノミは仕切りがなくなっても飛ぶ高さを変えることがないとか。飛べるのに、動けるのにだ。

私たちも何によって制限をつけられたのかは分からないが、これ以上はできないということを記憶していて、現状に見えない綱でつながれている気がする。それでいいなら別に変える必要もないが、もっと広い世界があるのだとしたら、その綱を切って飛んで行きたいのだ。

今年からは年越しそばを食べるたびに思える。

今年とはスパッと切れた新たな年への希望。

今年も良かったけれど、来年はまた新たな私を生きよう。



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