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多様性って言葉なんてなくなればいい


わざわざ、多様性を大切に!!って言わないと、多様性は大切にされない。

一方で、多様性を強調するから、多様性はより特別なものだという認識が強まるようにも感じられる。多様性がない組織(学校だったり、会社だったり)が大半で、多様性を重んじているところは少数派だという認識。

もちろん、多様性が当たり前になるためには、意識的にその重要を主張し、多様性を取り入れる組織が増えていくことが大切である。

多様性って言葉なんてなくなればいい

っていうのはもっと未来の話。多様性なんて言葉を使わなくても、みんな違うことが当たり前で、そこに名前をつける必要がない社会になって欲しいという願いを込めた言葉。





多様性っていうと、特技があって、何か秀でたものがある集まりのようにも感じられる。でも本来の多様性はもっとナチュラルな、大して違いもしないけれど、同じでもないそんな話だと思っている。

AちゃんとBちゃんは性格似てるよね。っていわれても、全くの同じことなんて当たり前だけどありえない。同じ発言をした人がいたとしても、きっとその言葉の裏側にある経験には違いがある。

なのに、似てるを同じ部類と括り、無意識下で同じ人のように扱っている。
そんなこと、ある訳ないのに。

多様性って言葉なんてなくなればいい

っていうのは言葉の定義の話。みんな同じところもあるし、違うところもある。大して違わなくたって、すっごく秀でる何かがなくたっていい。十人十色な意味合いをもつ言葉になって欲しいという願いを込めた言葉。

多様性って言葉なんてなくなればいい

もっと未来の話なんて言わずに、今の世の中が、みんながちょっと生きやすくなる社会になりますように。





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