#ひとつだけ記事を残すなら
山根あきらさまのこちらの企画を知ったとき、なんて素敵で有用で面白い企画なのだろうと思った。こんなにもいろんな方の記事を読み漁ってみたくなるハッシュタグがあるだろうか。
だって、書き手自身が選ぶたった一つの記事。
そこにはきっと何かしらのかけがえのない想いがあって、必ずその人の芯に近いようなものが伺える要素が詰まっている、そんな気がするのだ。
「初投稿にこそ、その人のnoteを始めるきっかけや、書きたいことの方向性が集約されている」
これは、私自身の初投稿を振り返ってみても、あながち間違いではないなと思う。
けれど、それから年数を生きて、「書く」ということに関しても少しは成長した今、初投稿の拙い記事だけを読んでなにかいろいろと判断されるのは「ちょっと待って!」という思いがあるのも否定できない。
だから、今の自分が選ぶたった一つの記事。
考えてみた。私がひとつだけ記事を残すなら。
正直「ひとつだけ私があなたの記事を読むとしたら、どの記事を一番先に読んでほしいですか?」という趣旨には応えられそうにない。
その記事はこれから年内あるいは来年には書く予定だからだ(笑)
今ある記事はどれも、たった1記事でその役を担うには力不足なのだ。
でも「もし自分の記事を敢えてひとつだけ残すとしたら、あなたは自分のどの記事を残しますか?」
この問いには、明確に1本「これ」という答えが出た。
2021年6月にnoteを始めてから、まる2年と1か月。
今日までに投稿した記事の数は、この記事を含めず117記事。
比較的少ないのでホームで一覧を遡るのは容易だった。
ザーッとタイトルを一周して、意外にもすんなり決まった。
決めるにあたって想像した。
「もしこのnoteアカウントの記事が、たった1本を残してすべて消えてしまうとしたら、守りたい記事はどれか」
「日記記事」は真っ先に除外だった。私は日記を書きたくてnoteをやっているわけではないから。
そういう意味で言えば、じゃあ残すのは「小説」?
と思うかもしれないが、今投稿している小説たちはどれも現時点で書き直したい&やり直したい部分が割とあるので、いっそ一から書き直すのはアリだなくらいに思っている。
加筆修正が必要ないのは『その指に恋をして』くらいかな。個人的に『トランセル』も完成度は高いけれど、ちょっと異質すぎる気がする。
「エッセイ」も同じでほとんどの記事が、今の自分が読むと「もっと推敲できるわ」と思ってしまう。
でもそれをしないのは、皆さまから頂いたコメントが宝物だからです。そのコメントを頂いた時のありのまま置いておきたい。
「100の質問」とか「自己紹介」系の記事は、わざわざ過去のものを大事に残しておかなくても、今の自分で新しく書けばいいだけ。
「固定記事」系も過去の栄光にいつまでも縋ってばかりはいられないので、そろそろ更新したいと思っている。
番外編で『ずぼらユーフォ吹きが恐ろしく久しぶりに楽器を洗ったら中からゴーヤが出てきた話』だけは、書くのめちゃくちゃ大変でしんどかったので、また書ける気はしないけど(笑)
要は「消えてしまってもまた書けるもの」「新しく書き直したほうが良質になったり鮮度が高くなったりするもの」を除外していく。
そうしたら、残った記事は1つだった。
自分でも意外な記事となった。
私が #ひとつだけ記事を残すなら こちらです。
「自分でも意外」というのは、この記事はあとがき部分を読んでいただくとわかるように、もともと投稿するにできず長いあいだ下書きにいた記事だったからだ。
つまり「投稿しない可能性があった記事」なのだ。
でも今読み返してみて思う。
出すに出せなかったのは、この記事に込められている思いが自分にとってとても大切で、もしも否定されてしまったらひどく傷付いてしまう、そんな「憶病」を抱えた本音だったからなのかもしれない、と。
どうしてこの記事なのか。
除外していって残ったものだった。それは事実だ。
けれど残ったこの記事を、明確に「これを残したい」そう思えたのには理由がある。ただ消去法で選んだわけじゃない。
この記事を読み返すと、顔が浮かぶ人がいる。
そりゃそうだ、その人やその人たちのことを想って書いた記事なのだから。
そして願わくば、いつかこの記事がその人の目に留まればいいな、届けばいいなと思っている。
その人が読んでくれたら、ぜったいに気付いてくれる、必ず自分たちのことだと解ってくれる。そんな仕掛けをしてある。
その人は、私が創作にどっぷりハマったきっかけをくれた人であり、私が今でも文章を書きつづけている理由をくれた人。
私が文章を通して思いを伝えたい人のうちの一人だ。
私に、生きるために忘れてもいいのだと、実感ごと教えてくれた人、の大切な人。
私情だ。どこからどう見ても私情だと思う。
私情なんか読まされても冷めてしまうかもしれない。
でも別に、私は万人受けする文章を書きたいわけじゃない。
人が胸の内で燻らせている思いなんてのは、だいたいが私情でしょう。
たった一人。一対一で。あなたに。
その時その時で、明確に伝えたい人がいる。
昔から、そんなときに私は言葉がどんどん溢れてくる。
できるだけ多くの人に受け入れられやすい文章ではなくて、
「たった一人の真ん中にズドンと響けばいいな」
そう思って書く文章。
そういう文章が、私は書きたくて、
それを唯一、有言実行できたのがこの作品なのだと思う。
(2,536文字)
もう少し簡潔にまとめたい気持ちはあるけれど、このあとも予定が詰まっていて推敲の時間がない。「字数制限は設けません」とあったのでお言葉に甘えます。
ほかにも書きたい記事があるのだけど、ひとまず本日〆切のこちらを優先。
素晴らしい企画をありがとうございました。
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