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『SDBs』~ 序章 ヒーローの誕生

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(※目安 約3,800字)


 序章プロローグ ヒーローの誕生


 一瞬、真っ暗闇になった部屋には、すぐに明かりがともされた。
 暖かに燃ゆる12本のろうそくの火を一息で吹き消した直後、あろうことか父がすぐさまリモコンのスイッチを押してしまったからだ。
『あー! お父さん電気点けるの早いよー!』
 いくらなんでも早い。もう少しろうそくの消えた瞬間を味わいたかったのに。例えるなら、ネズミーランドで楽しく遊んだあと、まだランドを出たばかりなのに唐突に宿題の話をされるような気分。ぼくの弾んだ気持ちが台無しって感じ。
『えっ、だって点けないと暗いだろう』
 父は、何を言っているのか本当にわからない、というような顔をしている。
『もうちょっと余韻に浸ってたかったのにー!』
『余韻って……』
 父の声が尻すぼみになる。笑いがこみ上げてくるのを我慢しているのが、ぼくにはわかった。
『あーお父さん笑ってる! またジジくさいこと言ってるとか思ってるんでしょー! お父さんの方がジジなんだからねー!』
 父はいつもぼくのことをジジくさいと言う。ちょっと大人びたことを言ってみせたりなんかするとすぐに。
 ふてくされた顔で父をポコポコ叩くと、父はぼくをなだめるように『ほら、ケーキを食べよう』と笑って言った。
 ちょうどいいタイミングで、6等分に切り分けられたケーキを母が皿に盛りつけてくれる。
『おたんじょうび おめでとう ひいろくん』
 そう書かれたチョコレートプレートが自分の皿にのせられた。それを見ると不思議なことに、たった今まで感じていた小さな憤りはスーッとどこかへ消えていった。


『ぼく、学校で[ヒーロー]って呼ばれてるんだ』
 ケーキを一口頬張ったあと、ふと今日の出来事を思い出して、二口目をフォークで準備しながら話し始める。
『名誉あるあだ名だなあ!』と喜んだ父には申し訳なかったけど、ぼくは首を横に振って続けた。
『時々ね。馬鹿にして、そう呼んでるんだ。今日もさ——』


『おーい緋色ひいろー! 早くー! 場所取られるー!』
『ごめん、先行っててー!』
 放課後、クラスの友だち数人と空き地にサッカーをしに行く途中、歩道橋の前で荷物を置くお婆さんの姿が目に入った。このへん、向こう側へ行くにはこの歩道橋を渡るしかないんだよな。
『お婆ちゃん、向こう側に行くの? これぼくが持ちましょうか?』
『あらあら、ありがとう、助かるわ』
 どうやらいつもはお孫さんが迎えに来ているようだが、急遽来られなくなってしまったとのことだった。ぼくはお婆さんの荷物を抱え、お婆さんには空いた手で手すりをしっかり掴んで階段を昇り降りしてもらった。

 そのあと遅れて空き地に到着すると、みんながからかうように言った。
『おっ! ヒーローの登場だぜ!』
『ヒーローは遅れてやって来るってか!』
 喧嘩になるのは嫌だったから一緒になって笑ってやり過ごしたけど、正直、ちょっとムカついた。別にヒーロー気取りがしたくてお婆さんを手伝ったわけじゃない。


『そっか。緋色は、お婆さんを手伝ってどんな気持ちだった?』
 話を聞いた母が優しい声でぼくに尋ねた。いつもそう。母はすぐに褒めたり叱ったりしない。まず初めにぼくの気持ちを聞く。
『ぼくは手伝ってよかったと思ってる。いつも一人で歩道橋を渡ってるわけじゃないみたいだったから、何かあったら大変だもん』
 そうね、と母は頷いて『声、掛けてよかったね』と微笑んだ。
『たとえ他の人たちからヒーロー気取りだと思われても、お婆さんにとって緋色が手伝ってくれて助かったということが紛れもない真実だと、お母さんは思うよ』
 うん、と母の言葉を噛みしめる。
 父も『お父さんは緋色がヒーローみたいで嬉しいぞ!』と言って誇らしげにぼくの頭をわしゃわしゃ撫でると、『やっぱり名誉あるあだ名だ!』と嬉しそうに呟きながらキッチンの方へ向かった。


 まだ、浮かないぼくを見透かしたように、母が『それで?』と話の続きを促す。
『ぼく最近、他の人たちがちゃんとしてないのを嫌だなって思っちゃうんだ』
 だれかに評価されるためにやっているわけじゃない、自分は自分でちゃんとやればいい。そう思ってはいても、やっぱりモヤモヤしてしまうことはある。

 たとえば、とぼくは教室の掃き掃除のことを話した。
『ゴミ捨てに行ったあとでゴミが出てくることがあるんだ』
 本当ならゴミ箱が戻ってくるのを待ってからゴミ箱に捨てればいい、そんな当たり前のことができない人たちがいる。その間に出たわずかなゴミを教室の隅のあたりで散らして誤魔化そうとする。それを見るのを我慢できずに『ぼくが捨てておくから』とゴミ箱待ちを引き受けるのが、最近だんだんと腹立たしく思えてきた。

『ぼくだけがちゃんとやってるのが馬鹿みたいだって思っちゃうんだ』
『そっか。じゃあ、緋色はどうしたい?』
 やっぱり母はまず初めにぼくの気持ちを聞く。
『わからない』
 じゃあぼくももうやらない、という選択が愚かだということはわかる。でもこの気持ちのやり場がわからない。さっきのお婆さんの話とは違う。だってこれは当たり前のことだから。
『当たり前のことをやらないひとがいるとさ、当たり前にやってるひとが馬鹿を見るよね』
 こういうことを言うからぼくは、父にジジくさいと言われるのだろう。たしかにぼくは12歳にしては、いろんなことを日々考えて生きていると思う。これはきっと母の影響だ。母がぼくの気持ちをいつもいつでも尋ねるから。
 その母がぼくに言った。
『当たり前のことを当たり前にできるということは、とても立派なことなのよ。その当たり前に救われている人が、必ずいるの』
 よくわからない、と思った。
『じゃあ、緋色も含めてみーんなが教室の隅にゴミを溜めるようになったらどうなると思う?』
『どんどん汚くなると思う』
『汚くなったらどうなると思う?』
『うーん、たぶん先生が気付いて……』
 そこまで言いかけて、いや違うかもしれない、と思った。想像してみる。たぶん、最初に気が付くのは先生じゃない。
『隅の席の子が、気が付いて嫌な気持ちになると思う』
『そうね。当たり前のことって、当たり前にやっているうちには気が付かないけれど、やらなくなると困る人がきっと出てくる。緋色のする[当たり前]に救われている人は、必ずいるのよ。だからその席の子にとって、緋色は秘密のヒーローかもしれないね』
 それならば母は魔法使いだ。胸のあたりでモヤモヤしていたものが、ピューっと風に吹かれて宙へ消えていくのが見えた気がした。

 当たり前のことを当たり前にやったって誰のためになるわけでもないと思っていた。それをやらない人たちがいる一方で「やるのが当たり前だろ」なんて思われて、じゃあぼくがいつも馬鹿真面目にやっていることは何なんだろうって、思ってたんだ。
「ちゃんとやる」って、ぼくが思っていた以上に意味のあることだったんだな。秘密のヒーロー。それって結構、かっこいいじゃん。

 それに、と母は付け加えて言った。

『お腹にいるときからずっと、緋色はお母さんにとってのヒーローなのよ。お母さんの息子に生まれてきてくれてありがとう。お誕生日おめでとうね、緋色』



「——みね! おい、赤嶺あかみねーッ!」
 名前を呼ばれて緋色がハッと顔を上げると、目の前には担任教師の笑顔があった。目の奥が笑っていない。
 完成度の高いその表情に「笑顔が怖い」ってこういうことを言うのか、と感心にも似た気持ちを覚えたのもつかの間、今はそんな呑気なことを考えている場合ではない、とすぐに思い直した。

「あーかーみーねー。入学早々、俺の授業で居眠りするとはいい度胸だなーあ? しかも一番前の席で!」
 好きで一番前の席にいるわけではないけど、と思ったが、悪いのは授業中に居眠りをしていた自分だ。「すみません」と小さく首をすくめて謝る。
 教室中の視線を集めてしまっている気がするが、わざわざ振り返ってそれを確かめるのはやめよう。

 しくじったな、と緋色は思った。
 ここで下手に注目を浴びてしまえば計画が台無しだ。
 思い描いた高校生活を実現するためには「ほどほど」が大切だ。クラスでは目立ちすぎず、目立たなすぎず、ほどほどに友情を育んで、学業成績もほどほどを狙う。そのためにお迎えテストだって平均点を狙って取り組んだんだ。
 先生の言う通りだ、入学早々居眠りなんて……! 名前まで呼ばれて悪目立ちじゃないか。あーしくじった。

 しかもご丁寧に子どもの頃の夢まで見て。春になるとこの頃の夢をよく見る。そのせいか最近どうにも眠りが浅い。
 そういえば、あの続きはなんて言われたんだったっけ。あのあと『でも』と掃除の話に付け加えられて——
『もしも緋色が当たり前をやらないひとがいるのが嫌だと思うなら——』


 いやいや、今考えるべきはそれじゃない。ここからどうやって悪目立ちしてしまった印象を塗り替えるか。
 緋色は、ひとまずこの授業を真面目に無難にやり過ごし、後で「やっちゃったよー」とクラスメイトに話しかける作戦を立てた。
 きっと「意外と普通のやつ」と思ってもらえるはずだ。
 と、そこへ終業チャイム。
 よし、いざ汚名返上——

「赤嶺、お前は放課後、職員室な」
「えっ!」

 休み時間に入った途端、遠慮のないクラスメイトたちのざわめき。わざわざ振り返ってそれを確かめなくても、教室中の視線を集めてしまっているのがわかった。





「第1章 赤き沈黙(1)」へ進む🔜


※この物語はフィクションです。実在する人物、団体、取り組みの内容等とは関係ありません。


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