耽溺する肉聲、熟れたレイシを喰す 第11話

──随分な長い道程みちのりだ。大分歩いてきたのにまだまだ息も上がっていない。もう少し歩いてみようか。しかし、このトンネルは叫ぶ声が吸収してしまうのか、反響が微々たりとも聞こえてこない。ただひたすら真っ暗闇が果てしなく続いている。

暫くして闇路に慣れてきたのか何かが遠くで手招きしているのを視界に入ってきたので試しに声をかけてみた。
どうやらこちらに気づいたらしく一歩ずつ近づいてくる。人だろうか、人間の体格をした輪郭がぼんやりと見えてきた。背格好からして私より少し背丈のある人物だ。もう一度声を掛けてみると手を振ってきた。

あれは……ナツトだ。

そうか、私の所に戻ってきてくれたのか。気持ちが高揚し彼に駆け寄っていくと、急に立ち止まった。今度は手を前に出してこちらを塞ぐように来ないで欲しいと合図を送ってきている。
如何いかがして来てはいけないのかと尋ねたところ、私の元には帰る必要がなくなるかもしれないと返答してきた。

もう少し詳しく理由を教えてくれと問うと、彼は来た道を逆行して背を向けて歩き出した。私は追いかけた。だが幾ら走っても彼に追い付かなく悔しくて涙が出そうになった。お願いだから私の元に帰ってきてほしい、お前が必要なんだと叫びながら走ったが、みるみるうちに彼との距離は遠のいていくばかりだ。

出口だろうか、何かの光がこちらに向かって差し込んできた。ナツトの影は次第に消えていき、私一人だけが取り残された。息が上がってきた。上を見上げてみると天井から白濁したガスの様な息苦しい煙が立ち込めてきている。
呼吸が荒くなりやがて立ち止まるとその煙に巻かれて両膝が崩れて床に倒れ込んだ。ナツトの名前を呼んでも何の反響も届いてこない。

自分の首を塞ぎながら助けを求めたが、辺りは無音の空間が広がるばかりだ。早く、早く目を覚まさないと死んでしまう。その苦しさに耐えながら目をこじ開けて脱出を試みた。

──深夜三時。淡薄な湿気が部屋中を覆いおぼろげな余韻の中、目を覚まし上体を起こして両手を顔に触れてみた。

夢か。最近不思議な異国の場所に行く夢を見ているな。隣を向いてもナツトの姿はなく溜め息が出た。再び布団を覆い被り眠りにつこうとしたが、日中の彼の姿を思い返してはリクと鉢合わせとなり逆隣に触れさせた事への自省が深く切り込まれた感覚がする。
早いうちに彼を連れ戻さないと事態が長引いてしまう。私は早期に彼との仲を取り戻したいと考えて、仕事を終えた後もう一度彼の働く店に行こうと決心した。

三日後の木曜日の夕刻。新宿にあるナツトの勤務先の店に顔を出し店主に居候している家に案内してくれないかと頼み込んだ。
そうすると、店主が住所と電話番号を書いたメモを手渡ししてくれて、下手に連れ戻すと返って蒸発するかもしれないから気を付けてくれと告げてくれた。

中央線の快速電車に乗車して、その妹夫婦の自宅のある阿佐ヶ谷で降りて商店街を道なりに歩いていき住宅街に出るとまばらな人通りの中、目的地に着いた。玄関のチャイムを鳴らして待っていると、店主の妹が顔を出してきてナツトを訪ねてきたと告げると驚いていた。
居間に上がりソファにかけていると彼女は温かい緑茶を出してくれた。何故此れほどまでに私の所に戻らないのかと聞くと、重たい口開いて語り出した。

「淳哉君、就寝中に時々すすり泣きをしているの」
「泣いている?」
「ええ。ジュートに会いたい、彼の元に帰りたいって独り言のように呟いては泣く事があるの」

其ればかりではなく、仕事から帰宅した後、気丈に振舞っていた態度とは一変して、椅子に腰を掛けては別人の様に心身が抜け殻の状態になり、ベランダの方を向きながら幼児の様に童謡を歌っているという。

「彼から要因を事前に聞いています。浦井さんが親しくなった男性と密会をして僕の元には意識すら向こうともしてくれないと……。」
「其れは彼の思い込みです。そんなところまで陥っているなんて想像もしなかった。」
「私達夫婦も早いうちにそちらに帰るべきだと促しているのです。ただ彼は一向に帰りたがらなくて……浦井さん、今日まだお時間はありますか?」
「ええ。確か彼奴は早番でしたよね?」
「勤務のお時間まで把握していらっしゃるのですか?」
「はい。お互い職種も違いますし、時間が合えば日帰りで近くの場所に出かけたりしているものですから……」
「本当に、仲が良いんですね」
「僕には彼奴しか身寄りがないような存在なんです」
「貴方のご実家の方はまだ連絡が取れないのですか?」
「生きているかさえわからないままです。何度か電報も送ってはいるのですが、何の返信も来ないのです」
「尚更淳哉君が傍に居てくださる方が安心しますよね。」

そうしている内に玄関のドアが開閉する音が聞こえてきたので振り返ると、ナツトの姿があった。

「なんで?どうして此処に居ることが分かったの?」
「ナツト、荷物をまとめろ。迎えに来たんだ。何時までもここに居座っては迷惑がかかる。さあ行こう」
「帰らない」
「どうして?ここはお前の家じゃない。他所様の所に居ても何の解決もしない。俺ら二人の問題だ。帰るんだ。」
「いきなり言われてもそうはいかない。」
「淳哉君。浦井さんがこれだけ心配しているのよ。正直私達も手に負えないところもある。だから、自宅に帰って話し合った方がいいわ」
「……分かったよ。取り敢えず一旦大塚に帰る。それから詳しく話を聞かせてくれ」

ナツトは渋々ながらも納得のいかぬまま寝室から手荷物を持ってきて私と共に自宅に帰ることにした。


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