耽溺する肉聲、熟れたレイシを喰す 第2話

次の週を挟み勤務先の設計事務所を退勤した後、自宅の最寄り駅の商店街の中にあるスーパーへ食材を買いに行った。
ナツトとは交代制という形で互いに夕飯を作ることにしている。今日は私が当番だ。彼も仕事が休みだったので、自宅で待っている頃だろう。

家の前の出入り口のところにちょうど大家とすれ違った。私達がここのアパートに住み始めてから数年が経つが、仲が良くてこちらも嬉しいと相変わらずの威勢の良い振る舞いをしてくる。彼女と軽く挨拶をして自宅に入り、台所へ向かうとナツトがママから電話が来ていた事を話してきた。
夕飯を食べ終わった後に、ママに電話をかけると、私を訪ねてきた人物が近々会えないかと告げてきたという。壁にかかっているカレンダーに目をやりながら、日程を相談し二週間後の土曜日に会うことにした。

「どんな人なんだろうね?」
「さあな。ママの知人という人だし、悪い人物ではないだろう」
「ジュート、色んなお客さんとも絡んでいたからな」
「そういうお前だって、ミキトと並ぶくらい人気があったじゃないか。俺たちはしゃぎすぎてよく怒られていたよな」
「子供じゃあるまいし、やめときな!って喝を入れられたこともあったよね」
「それを見ていた客も楽しんでくれていたし、良い思い出だ」

あの頃兎に角沢山の客人を見てきた。ローズバインは他の店と違ってどこか住み心地の良い空間に囲まれて忙しく働いていた。どこにも似つかない個性的な人達が出入りをしていた。本来なら店にいられる年齢も二十八、九歳が限度だったのに閉店したときは私は三十六歳という高齢になっていた。

全てはママが配慮をしてくれていたお陰。

以前ミキトから聞いた話だが、鶯谷の繁華街の管轄する取締り人から何度も立ち退きの話を持ち掛けられていたが、ママは一向に自身の信念と情熱を貫いていた。私達の知らないところで土下座もしたり直接法務局にも足を運んで、彼女の姿を冷めた目で見ては門前払いもされてきても、退くこともせず真向に相談を持ち掛けていたらしい。

だが時代は私達を対等に扱うことなく底の無い泥濘ぬかるみへと落とし込むように強制的に撤退を余儀なくした。そんなこともいとわずママは新しい地へと開拓を邁進した。
私達の誇りなのだ。彼女が居なければあの頃の自分達も何処かへ彷徨い続けながら流転を繰り返していたに違いない。
恩に返そうとも恩にしきれないほど彼女の寛大さには何時までも施しようがないくらいなのだ。だから私達は永く生きて自身の築いた奮励を結実させていくことを誓ったのだ。

まだこういった時世でもある。これから景気がどのように上がるかさえ見え隠れしている。切実に生きることが正しい行いでもあると考えていくようにしたい。

約束の日がやってきた。銀座で待ち合わせをしたいと言ってきたので定刻より二十分ほど早く到着した。日比谷線の東銀座駅の連絡路から地上に出て、みゆき通りを歩いていくと何やらある看板の上に何かがいるのに人だかりができていた。
よく見てみるとふくよかな縞模様の飼い猫が目を瞑り悠々と面構えをして居座っている。これには私も笑ってしまった。

その通りから歩行者天国の通路へと繰り出し、百貨店の出入り口の前で立ち止まった。数十分は待ったがママから伝言された人物らしき者はなかなか見つからず、三丁目の交差点の通りの渋滞している車に目をやりながら身体を向けようとした時だった。

「浦井、直純さんですか?」

その声に気づいて振り向くと一人の男性が私の顔を見て会釈をしてきた。

「お待たせして申し訳ございません。電車に一本乗り遅れてしまいまして到着しました」
「福部陸弘りくひろさんでよろしいですか?」
「はい、福部です。ローズママから伝言があったと思いますが……」
「事前にお話は聞いています。すぐ近くに喫茶店があります。そこへ行きましょう」


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