ある実家暮らしの自閉症のヲタクがうつになって入院するまで Part1

今、僕はうつ病を治療するためにある病院で入院生活を送っている。
この入院生活というのが死ぬほど退屈で、暇を潰す方法を探していたところ、noteの存在に思い至り、現在までの記憶の整理も兼ねて、ここまでの経緯や入院中の話を投稿していくことにした。

僕は自閉症スペクトラムの診断を受けている。
症状は日常生活に深刻な問題が生じるほどのものではなく、そのせいか診断は20代前半と遅れたが、診断以前から常に生きづらさを抱えており、専門学校卒業後引きこもりを経て、就労支援会社のサポートを受けて有期雇用というかたちではあるがやっと就職を決めた。
この入院は、就職2年目の出来事になる。

始まりは2019年10月末。僕は、なんとなく将来が不安になった。
「老後には貯金が2000万円必要」だのなんだの言われ、ニュースやラジオで政界の醜態や不景気の話を連日されれば誰でもそうなろうというもの。だが、今回のそれは漠然とした、食卓やDiscordで親しい誰かと話していれば消え去るようないつもの小さな不安とは違い、心の片隅に居着いて、徐々にむくむくと膨れ上がっていった。

自分は貯金ができていなかった。
単純に、それは今の職場が薄給だからで、そして自分がヲタクだからだ。
毎月プレミアムバンダイやDLsiteが物欲を刺激してくるし、コミケの時期には金が飛ぶ。
一応生活がギリギリにならないように自制はしていたし、実家暮らし故に食うには困らなかったが、それでも預金残高は常に吹けば飛ぶような金額で、将来の備えになるとは到底思えなかった。
これが不安を加速させる燃料になった。

自分はこれからどうなるのか。今のままではいけないのではないか。
そんな思いを常に考えるようになり、それが重圧となって心を締めつけ始めた。
しかし、この時はまだ自分がうつだと思ってはおらず、なんとなく「このモヤモヤは長続きしそうで、嫌だなあ」と考える程度だった。

2019年11月。

レヴュースタァライトの3rdライブを堪能し、自分は幸せの絶頂にあった。
舞台少女たちの放つキラめきと横浜アリーナを埋め尽くす一体感と熱量は、当時の軽度な鬱を一瞬で消しとばしてしまった。
同時期に、就職前からお世話になっていた就労支援会社との定期面談で、職場の雇用期間終了後の進路について行動の指針が定まったことで、将来の不安を軽減できたことも大きなプラスとなり、このまま不安とはオサラバできるのではないかと楽観的な思考が、頭の中を占めはじめた。

これで一件落着かと思った。だが、事態はこれで終わらなかった。
むしろ、本当の地獄はここからだった。
消えかけた将来への不安は、死への、老いへの恐怖へと結びつき、むしろ10月末よりも力を増して、僕の心を蝕みはじめた。
もともと僕はセンシティブなところがあり、昔から定期的に死について嫌な想像をしては心を曇らせていた。タイミングの悪いことに、それが今回はうつと結びついて強固なイメージとなり、「人はいつか死ぬ」という当たり前のことが、とても恐ろしくなってしまったのだ。
だが、今にして思えば一番苦しみを呼び起こしたのは、死よりも老いへの恐怖だった。

だんだん体感時間は加速し、年月が過ぎ去ってゆく。
老いて、身体機能が衰えてゆく。今までできたことがどんどんできなくなる。
外見も衰え、醜くなっていく。
親しい家族と、友人とはいつか死に別れてしまう。
それが、死ぬよりも恐ろしくなった。

僕は何者にもなれないまま、人生を終えてしまうのではないか。
思春期の少年少女のような悩みではあるが、当時の自分はそれを真剣に悩んでいた。
そして、こんなになるまで悩んでも、それを打開するために行動を起こせない自分への不甲斐なさがうつを強化する材料になってしまい、
「うつ」▶︎「悩む」▶︎「自己嫌悪」▶︎「うつ悪化」…
という負のループが形成されてしまった。

加えて、未だに結婚していないこともまた不安を加速させた。
要するに、喪男ヲタクあるあるではあるが、老後の孤独が恐ろしくなったのだ。

僕は、本格的にうつになった。
職場にはなんとか通えていたが、だんだんと休むことが多くなった。
外出先で老いた人を見るたびに、「いつか自分もこうなる」と考えて心が苦しくなったし、将来や結婚を連想させる広告や、誰かの訃報をどこかで見る度に精神的なダメージを受けた。
(タイミングの悪いことに、その時の電車内広告がシェリー・ケーガンの「『死』とは何か」であった)
自分でも重症だと思うが、パソコンをシャットダウンしてモニターがブラックアウトする様子や、「終」という漢字を見ただけでも「死」を連想してしまい、寒気がするほどだった。
下腹部には常に小さな「塊」を感じるようになり、誇張抜きで、生きているだけで常に苦しかった。この時期は正直な話「この世に生まれたことが消えない罪というなら 生きることがそう背負いし罰だろう」という心持ちであった。(by 仮面ライダーアマゾンズ)

死にたい。いや、消えたい。
11月は希死念慮にがっしりと囚われていた時期だった。そうした念を振り払おうとしても、それは影のようにまとわりついて離れず、心は絶え間ない苦痛に悲鳴を上げ続けていた。
後々知ったのだが、自閉症の人は物事を脳内で反復しやすいらしい。今にして思えば、その性質は最悪の形でうつ病とベストマッチしてしまっていた。
このままでは、心に殺されてしまうーー本気でそんな危機感を抱いた。

でも、そんな闇の中にも救いはあった。
ひとつは、両親の、特に母の存在だ。
母は自分の苦しみを、文句ひとつなく聞いてくれた。そして励ましてくれた。サポートしてくれた。
「おまえは大丈夫だ」「家族で乗り切っていこう」
励ましの言葉と抱擁に、僕は28にして堪えきれずに泣いた。

そしてもう一つが、先ほども名前を挙げた「少女⭐︎歌劇 レヴュースタァライト」の存在だ。
詳しくは各自で検索して欲しいのだが、簡潔にまとめれば、演劇学校を舞台に、スタァを目指す9人の少女…「舞台少女」の戦いと研鑽を描くメディアミックス作品だ。
僕はそれに放送当時からどハマりし、今も彼女たちを追いかけている。

ある日の仕事の帰り、その日も「死にたい、消えたい」と考えつつ帰路を歩んでいたのだが、その時MP3プレイヤーから、レヴュースタァライトの楽曲…「約束タワー」が流れはじめた。
瞬間、脳裏に先日参加した3rdライブの情景が蘇った。

キャストが壇上から放つキラめき。
彼女たちを応援する我々の一体感がもたらす高揚。
横アリのスタンド席から見下ろすサイリウムの光。
…そして、いままでレヴュースタァライトという作品が僕にくれた輝きが、脳裏を瞬時にして満たし、気づかぬうちに僕は笑顔を浮かべていた。

生きなければいけない。彼女たちの「その先」を見るために。
本気でそう思った。
レヴュースタァライトは僕の生きる希望、心を支える柱なのだと、その瞬間に自覚した。

迷子になっても 心の地図を広げて
真っ暗な夜道を 灯台のようにそっと照らしてくれた
いつも 約束タワーは待ってる
〜スタァライト九九組「約束タワー」より

この歌詞の通りに、スタァライトという作品は、私にとっての「約束タワー」となり、救いの光となった。
「フィクションに人生を救われたなんて、どうせツイッタランドのヲタクたちの『盛られた』話だ」と考える皆様。そんなことはない。フィクションが、「ここすき」がこんなふうに人を救うこともあるのだ。

次回へ続く。

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