【読書感想】分解の哲学
こんにちは。
藤原辰史さんの「分解の哲学 腐敗と発酵を巡る思考」を3章まで読みました。
ここまでで気になった文章を元に感想を残しておきたいと思います。
読み返す元気がないので私の言葉で書くことが多いかもしれませんが、ニュアンスは必ずしも正しいとは限りません。
”分解”を通して世界を読み解く
ここまで読んだ感じでは、”分解”というキーワードを使って、世の中のシステムや人間社会を説明しようとしている内容です。
ここでいう”分解”は、成長や発展と表裏の関係にあるようです。
成長や発展はそれだけで持続するわけではなく、分解を伴うことで大きく成長していくことが出来るというようなことが述べられています。
このような考え方を、先人の考え方と、土の中で起こっている微生物などが担うような生物学的な分解現象と対比しながら、様々な視点で説明しています。
タイトルにある「腐敗」はそういう意味の分解を意味していそうです。
著者は土壌生物学に精通しているようで、人間の性質を実際の微生物による分解反応や生理的な分解現象に例えて説明することが多いです。
ただ、本当に生物学的な現象について議論しているような文章があったり、そうかと思えば例え話だったりと、実現象と抽象世界を自由に行き来していて着いていけないところが無くもないです。
あまり時間もかけられないという事情もあって、斜め読みしながら目に留まった文章の周辺を読んでいるような状態になっていますが、それでもなかなか面白い内容です。
Amazonレビューが高評価が多いのも頷けます。
完璧なものは遠い存在
この文章は私自身の経験の中で感じていることでもあって、”分解”を理解するのに役立ちました。
確かに完璧なものは中がどうなっているか分からなくて、少し不快に感じるところがあります。
アップルの製品はとても使いやすくて性能も良くて、”完璧”に近いものだと思うんですが、なぜか気に食わない部分があります。
androidの方がなんとなく親近感があるのもこういうことかもしれません。
人間関係でも、聖人みたいな立ち振る舞いをしている人にあうと不安な気持ちになります。
逆に感情的に怒り出したりする人と話すと、(一時的には不快な思いはしますが)人間味があって嫌いじゃないと思うことが多いです。
開発や研究でも不完全な部分があるからこそ、現象のメカニズムを知るきっかけを作れると思います。
これらのことを考えると、完璧なものよりも不完全で分解しやすいものの方が私の役に立つことが多いように思います。
腐敗を利用する世界秩序
ここの記述の例として、資本主義経済の成長があげられています。
これまで何度も世界的な恐慌に直面してきましたが、資本主義が終わることなく、恐慌の前よりも更に大きく成長してきました。
この復活は、誰かの意志ではなく、様々な人々の自由な思惑が関係しあい、それぞれが自分のために活動していることで成り立っています。このようなシステムを世界秩序と言っているようです。
世界秩序は腐敗(分解)があるからこそ成長できる、逆に、腐敗が無ければ成長できないと説明されていて、確かに直感的には納得できます。上手い例えは見つからないですが。
この関係者がそれぞれ自己利益のために活動している状態は、土壌における微生物の活動と形態的に近いものがあると説明されています。
土に置いた生ごみが微生物によって分解されるとき、微生物自身は分解しようとしているわけではないですよね。自分自身が生きるために食べ物を摂取して、排出している。その排出されたものを別の微生物が食べて、更に分解が進む、という過程が続くことで生ごみの分解が起こっています。
経済活動を含め、人間の活動や生理現象でも似たようなことが起こっています。
以前読んだ本の言葉でいえば、フラクタルな構造になっていますね。
部分が全体を構成して、全体も更に大きな全体の一部分になっている。
当たり前のことを言っているようですが、真理のように感じてしまうのが不思議です。
幼稚園を発明したフレーベル
幼稚園の生みの親のフレーベルの話がなかなか面白かったと思います。
フレーベルは子供の発達を助けるために積み木を発明しました。
赤ちゃんが積み木で遊ぶ様を見ていると、書かれているように、組み立てるよりも壊すことの方が確かに楽しそうです。
我々大人から見れば、積み木は「積み上げて何かの形を作るもの」ですが、赤ちゃんにとっては、壊すものだし、著者やフレーベルの観察によると分解することがあるからこそ、成長するにしたがって組み立てることが出来るようになるということです。
ここでも分解が作用することで、成長につながっている例が示されていました。
ただ、ここで面白かったのは先にも話した通り、フレーベルの経歴や考え方でした。
ちょっとフレーベルについて詳しく調べてみたいな、と感じさせる書き方をしていて、「哲学書はつまらないもの」という固定概念を崩される内容でもありました。
人類の臨終を描くチャペック
第3章ではチャペックの作品の中に視られる分解を通して、人類の生命力を議論しています。
チャペックのいくつかの作品のあらすじが書かれていますが、これが中々面白そうなものばかりでした。
そしてどれも、人類が労働などの”分解”となる活動を外部に委託することで、”外部”に力を与えすぎて、滅ぼされてしまうという内容です。
ここでいう”外部”は、ロボットだったり、奴隷だったりするわけです。
ガンダムとかもそうですが、最近のアニメとかでは意外とベタな内容ではありますが、チャペックの作った世界観の影響を受けているのかもしれません。
これらの作品は、”分解”という要素があるからこそ魅力があるのかもしれません。
完璧人間だけが出てくる物語よりも、悩んだり迷ったりする主人公の方が、気持ちを考えたり、親近感を感じたり、自分と重ねたり、そのように”分解”することが出来るのかもしれません。
壊しすぎると良くない
分解の進めすぎることも良くないと書かれています。
この意味するところは、分解を制御しようとすると分解の効果が得られなくなるということです。
土壌の微生物の活動のように、それぞれが好き勝手に活動している分には良いですが、そこを無理やり制御して、都合よく使おうとすると、世界秩序のシステムが崩れてしまうと説いています。
ここは直感的には理解できないところでした。
例として化学肥料や原子力爆弾をあげているのですが、単に反科学な思想に囚われているだけなように感じました。
著者は、壊しすぎが良くないということを根拠に、化学費用を使わない農業など、人間が制御するよりも自然の力に任せることを推奨しるような書き方をしているのですが、この部分は都合がよすぎる気がしました。
私が科学技術崇拝で量産品が大好きだから納得できないだけでしょうか。
完璧な読書はない
ここまでの内容を通して、著者の説く”分解”については大まかに理解できたように感じます。
完璧よりも不完全な方が成長につながるというのは読書や勉強にも通じる部分があると思います。
先日読んだ本「知的生産の技術」でも書かれていましたが、著者の思いを完全に読み取ることはできません。
読書をしながら発見した文章に対して、自分なりの解釈を持つことで新しい発想に結び付けることが出来ます。もし完璧に著者の思想を理解することが出来たら、新しいアイディアは出てこないかもしれません。
そういう意味で、今回は流し読みをして気になった文章の前後を読むというやり方は、本書の思想に沿った読み方だったんじゃないかと思います。
正直なことを言えば、明日までに返さないといけないので、時間をかけれなかっただけなのですが…
”分解”されていることが発展につながると信じて、泣く泣く明日返そうと藻います。
第4章以降は、今後気が向いて、読む機会があれば読みたいと思います。
最終章だけチラ見してから返そうと思います。
今日は以上です。
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