所在地。

引越して、まる4ヶ月経った。

相変わらず道は縦横じゃないから、近所でさえナビがないと30分はぐるぐる回る。
「家のこっちの窓から朝日が差し込むから…」と東西南北を捉えようとしても、するりと脳のしわの隙間から逃げ出してしまう。
家の周りは畑だらけで、舗装もままならない道を車が自転車すれすれに走っていく。
京都の市内で生まれ育った私はここにきて2ヶ月目に思った。「田舎だなぁ」。そして4ヶ月経って思う。「田舎だなぁ」。

田舎だよなぁ。

こっちにきて数人の人間と出会い、出身を答えるとみんな決まって「いいですね〜!」という。
京都の代名詞は「いいですね」だったのかとさえ思う。
それは京都にいた頃からそう言われていたけど、今になってなにが「いい」のかなんとなくわかる。

ちょうどいいんだな、きっと。

ちょうどいい。田舎ではない。それは市内で育ったからそう思えるのかもしれないけど、だいたいの観光客がくるのだって市内だ。
他都道府県の人間が思い浮かべる京都の絵に、保津峡の谷とか、亀岡の畑とか竹田の工場地帯とか、そういうところはそうそう思い浮かばないと思う。嵐山の竹林とか大文字山とか四条河原町とか、そういった都会チックな部分だけだと思う。しらんけど。
都会っぽさと、程よい田舎感(これは建物が低いからだと思ってるけど)、その共存が「ちょうどいい」、それを外部の人間は「いいですね〜」の一言に集約してるのか。京都をでて一番得た大きな発見はそれだった。京都にいてはわからない。

離れてみなければわからない。
私はいつだって京都を出たかった。離れたかった。そして出てみると、離れてみると、そのちょうどよさが恋しくなって一週間もたたないうちに帰省した。

母に会いたかった。
京都から愛知の引越し先へは、母の車で送ってもらった。
母は「3時間の運転なんて平気よ〜高速乗れば真っ直ぐだもん〜」といって送ってくれたのに、荷物の運び入れも終わり荷解きを手伝おうかという母の申し出を断ってそうそうに帰してしまった。

帰らないで、もう少しここにいて、今日は泊まってって。

それが本心だったのに。
私はいつも母にわがままを言うことが出来ない。

帰り道暗いと心配だし。明日仕事だし。家で妹たちが待ってるし。
色んな気持ちが渦巻いて、自分のわがままよりも心配が勝ってしまった。
それはそれで母を想ってのことには変わりないけど、母は寂しかったと思う。母はわがままを言って欲しかったと思う。私のエゴだろうか。

「じゃあね、頑張って!」
と気丈に声をかけてくれた母の声が震えていたのを、目が赤かったのを忘れられない。
手塩にかけて育てた1人目の子が巣立ってしまう寂しさが私にわかるはずがないけど、母が亡くなった祖父の話をする時のようなどうしようも無く寂しい顔をしていたのだけはわかる。

すれ違いが多かった分、私は母に会いたい。

実家に帰りたかったのか、京都に帰りたかったのか。
しかしもはや私の帰る場所は京都ではない。

じゃあどこだろう?

私は昔から自分の足が床につく感覚がない。
出自の国籍のせいか、ずっと京都から出たかったからなのか、家が好きじゃなかったからなのか、なぜかわからないけど、私は自分がどこに居るのかわからない。

いつも不安定でいつも危うい状態でいつでも落ちていきそうな感覚。
それは不安とともに刺激にもなる。
私はきっとこの先も安寧と安定を求めるのだろうけど、たぶん無理だ。
この足のつかない感覚がクセになっていて足がついたと思ったとたんに跳びたくなる。
ジャンプして、その後の着地までの時間が一番心地いい。

私はこの新しい地で、Googleマップに自分の所在地を探して生きていく。

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