【番外編】家族がいるありがたさ。
皆さんこんにちは!つーちゃんです!
鬱病の記事の続きを書こうかと思ったのですが今日はこどもの日という事を思い出したらピンッ!と書きたい内容ができたので書きます!皆を泣かせるかも?知れません。感情移入して読むと面白いかも?知れません!
鬱病の記事の1番最初に書いた通り僕の母親は12歳の頃に悪性リンパ腫という癌で亡くなりました。
現在僕の年齢は22歳、親父は60歳、母親は生きていたら57.58歳位だと思います。
よく周りから言われるんですが
「遅くに結婚したんだね。」
と言われることがほとんどです。
全然違います。時間を遡りましょう。
親父と母親が交際していたのは19歳の頃です。
そして母親は19歳の時に【卵巣癌で余命半年か1年でしょう】
と言われたらしいです。
癌の生活で抗がん剤を打ち髪の毛が抜け毎日毎日「死にたい」「死にたい」って言っていたそうです。
しかし、奇跡な事に3年で治療をし完治したのです。残念ながら22歳でできた子供は亡くなってしまったそうですが。
そして親父25歳、母親は23歳で無事に結婚
卵巣癌になり子供が出来にくい状況、不妊治療を通いながらですが、35歳にして子供を授かる事が出来たようです。それが、今の自分と姉(双子)なんですね。
周りからはよく、
奇跡の双子
といわれています。
そして僕が小学校3.4年くらいの時かな?
悪性リンパ腫でどんどんどんどん酷くなっていき入院生活。当時は学校を休み1人でバスに乗り癌センターへ毎日毎日母親のお見舞いをしていました。それくらい大好きだったんです。
母親からは大切な事を学んだ気がします。昔から
あなたは優しい、本当にいい子
ずっと言われ続けてきたので人に優しくするのって当たり前だと思っています。ですが、世の中見ると本当に優しい人や気の利く人って少ないのです。
自分にとって当たり前だと思ってる事をしてるけど周りから自然と「優しいね」って言われるんです。けど当たり前ですよそんなこと。
そして、母親は亡くなりました。本人も頑張ったと思う。自分も頑張って付き添って毎日お見舞いをして応援していた。小学校という若さで家族1人亡くしてしまいました。小学校の僕には当時めちゃくちゃ重い出来事でした。その後1年毎日悲しさで泣いていました。笑顔になれず、楽しい事も何も無い。そして辛い生活が待っていたのです。
亡くなってからその後の話するとめちゃくちゃ長くなるのでしません。気が向いたら記事にしようと思います。
そして、21歳の頃親父から突然手紙の写真のLINEが送られてきました。内容を見ると
約20年前の母親が書いた手紙が見つかったのです
その写真がこちらです。
こんなの読んだら泣きますよそりゃ。
本当に大好きな母親がいなくなり辛い思いを沢山しました。今もしてるけど、
だからこそ、僕が伝えたいのは
家族がいる事を常日頃感謝しなければいけない。
事ですね。だって、羨ましいよ。皆お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんがいて。それが当たり前と思って生活してる人がいますが、僕にとっては羨ましくて羨ましくて仕方がないよ。本当に。
なので、当たり前と思って欲しくないんです。
ただそれだけです。
いかがでしょうか。若いけど色々乗り越えて来たんです。鬱病だったり母親亡くしたり悲しい話しですみません🥺
また時間があったらnote活用していこうと思います!
それでは。
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