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感覚鈍麻と暑い夏

 自分に自閉スペクトラムがあるらしい、とわかってから、色々調べる人も多いだろう。

 そんな中「感覚過敏」は、すぐ、なんだそうだったのか、とわかるものだが、「感覚鈍麻」のほうはわかりり難い。なにしろ、わからないの?という程鈍いのだから、鈍麻なのだ。

 高齢者に向けて…いや、高齢の知り合いがいる人全てに向けて「熱中症に気を付けて、水飲んで、暑かったら冷房つけて」が発令される時「自閉症の人もだよ!」と付け加えてくれる、その投稿に、あっ!と思った。
 自閉症の人へ向けて…そういう傾向がある人へ向けて…。
 これは大事な発令だ。
 感覚は個性だとか、体質だとか、言ってる場合では、なかったりする。言うのは、健やかにお過ごし出来ていると、自覚してからで良い。

 自分は暑いから着替える、が、出来なかった。また寒いから着替える、も出来なかった。
 子供の頃は、親がまぁ見てくれたんだろうけど、みてくれなくなる頃?ある程度わかるでしょ?ってなるのは何歳なのかな?
 いま親の人は、何歳から「あの子自分でなんとかしてるな」って判断するんだろうか?

 暑いとか寒いとか、熱いも、冷たいも、ある程度その環境やその場にいると、じわーっと同化してよくわからなくなる。
そういうものか〜とふわーっと一体化する感じだ。
我慢しているというよりは、どうしたらいいかわからないから、対処方法の選択肢が無かった気がする。説明が難しい。暑い寒いより、身体に触る服や風のほうが嫌だったりして、少しでも自分の感覚が楽な方を選ぶと状況と合わなかったりする。
 汗をかき難い体質、と思われた。
 車の冷暖房も頭痛や車酔いを作るのでかなり苦手であった。
 冷え性はよくある、とみんな言うし。
 大人になればなんとかなる、じゃないんだよ、当時の自分。
 基本的に「体温調節、調整、感度なんかがド下手な身体、もしくは選択がド下手な脳」なんだと思われる、そして今もこれからも。

 暑い部屋、寒い部屋が隣ならわかる、差が分かるだけだ。
 学校や外、家と家以外、結構わからない。
 動いていると、動くに意識を向けるから、他が疎かになる。やり切りたいから、具合が悪くなるまでやる、ってある意味集中しているが、ある意味適度を知らない。塩梅がわかってない。

 あと、決まり事、を自分で作ってしまう傾向が強い自分は、子供の時のルールが大人になっても変わらない。変えられない。容認出来ない?に近いかな…キッカケがあれば追加する、になる。なにしろルールは安心への必需品だから。

 着替えは、服を汚した時。
 夜、風呂に入るとき。
そんなふうに、決まり事になると、水がかかって濡れた袖のまま居たりして。身体が冷えたらしくても、服の端が濡れて、そこから冷えてるなんてわからなかったので。
 そんな単純な仕組みに気付いたのが、つい最近。冬、だからか!となった。低温火傷も、しもやけも、気づき難い。焦げてる匂いはわかっても、自分とストーブの距離感が漠然としていたりするから、あまり厚着したくない。

 夏は、「家まで着替えられない」という思い込みがあって、かなり色々どうしたらいいの?と頭の中が騒がしかった。

 着替える為に着替えを持って行け、トイレで着替えたらいいんだ→着替えたら快適だ、と気付いて、ルールが付け加えられた。
 ここで「叱られない、問われない、問題にされない」が必要だ。

 てゆーか。
思えば制服強要の中学時代が一番ヤバイな、と思った。
ジャージ着用は体育だけ、とか。
給水制度のない部活とか。
基本、登校下校時は制服、授業中も制服。

小中高大、全部私服なら、TPOも学びやすいだろうか。

まず、生命大事にが、いまの基本だとなにかで観た、良かったねぇ。


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