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○年前と現在は明らかに違う


 脳の血管の病で、従兄が障害者になった。リハビリもして、いま仕事もしている。勤めていた会社がかなり大きい事もあって、「障害者雇用」にも、その普及…って言うのかな、理解がありますよ…って言うと嫌味かなぁ、難しい、でも「生きていたらそういう可能性もありますよね、どういう事が出来てどの辺りが難しいか」の受け皿があった。
 
 病気で後遺症を持った従兄と何年振りかの再会をして、リハビリや検査や、仕事や生活の話しているうちに、私の生来と思われるASD(社会の中での障害)と似ている部分があるな、と思った。だから、お互いに、生活でこうしている、耳栓が無いと街中や買い物は歩けないとか、(煩いとかではない)障害あるあるや、私はテレビや映画は諦めてDVDで字幕を使うことを話した。
 「字幕か!」と従兄はちょっとびっくりしていた。
 私が耳栓や字幕を必要としてるなんて、何年か前は聞いても実感として、わからなかっただろう、でも今はすごくピンと来たらしい。

 私は、見える障害じゃない。
 理由も原因も定かではない、母親が認めない受け取らない、突然勝手に障害者になったと言うような…手続きをしているように、見えるようだった。
 私だけの希望だけで進む話ではないのだが。そこが、あまり…、医師にもよるからか。
 皆は、訝しんだ、それも傷付いた。
 滅茶苦茶に成りながら自分を削って、普通を作ってきた、普通を要求されて、なんとか合わせてきた。努力をしながらも、こんな事、自分が破綻する、でも破綻したところで、弱いとか柔軟さが無いとか悪く言われるだけだ、と思い詰めて来た。
 努力を止めるのか?頑張らないのか?と悩んで苦しんで、止めた。止めたからって楽にならない、カウンセリングは必要だし、薬は必要だし、あるなら、なんらかの支援すら欲しい、と思っている。
 精神障害は、先天性や、身体障害などとはまた少し違う扱いになっている。
 

 ビターエンドロール、という漫画がある。
 病気後から福祉に繋げる医療ソーシャルワーカーの仕事を描いてくれてある。
 そう、映画みたいに、美しく終わらない、その先が大変でしょう?という、セリフがある。

 事故や病気で、後遺症になるとAがあってBになった、と説明するにはいい。
 その後、生活はどうする?こうする、については、一人ひとり違う。
 生活が出来る、が、一体何を指すのか、なにが指標なのか、地方自治体も、国の基準もよくわからない。 
 しかし、片耳が聞こえないまま、まぁ聞こえるしと生きてきた人や、弱視で真夏の道が眩しくて見えないと医師に言っても生活出来るでしょ、と言われて来た人も知っている。
 福祉に繋がれるか否か、繋がれても福祉のできる範囲も違う。
 
 環境や周囲との関係性でも変わる。

 ただ、どう生きたいかは、近しい、親しい人が居るなら、また、たまに会う人でも、保険の見直しのように、定期的に話をしたらいいと思う。先に出来る、準備だ、保険だ。
 実家に戻る、戻らない選択ひとつ挙げても、大問題なのだ。本人の希望だけでは先に進めない事も多い。壁は障壁となる。
 慣れた場所で暮らしたいからには、結構頑張る必要があるのは、本人だけではない。
 だからこそ、普段から元気な時から、関係性は良好な方がいいと思う場面をよく見た。

 用意できる事と出来ないことは、あるけれど、この先々の人には、用意する準備をする為に、足りてないものをリストアップして欲しいと願う。
 先に言っておく、準備や、提示の可能性には時間がかかるから。
「あ、これ必要なんだ…」「こういう事が起きるんだ」みたいなものは、広めて行こう。
 子供みたいな事をしていたリハビリが、大人には嫌で嫌で、やりたくないと投げ出したから、大人用を作らねば、生活に必要な言語を主にしよう、って、変化して本が出版されるように、時間は必要。15年前に、病気の後遺症として、言語野に後遺症と麻痺が残った知人とは住む場所も医療施設も交通も違うけど、それでも世に浸透した何かも、違った気がした

 
 石碑みたいなもの、と思えば、いま発言することはなんでも、後の世の人への伝言板。
 
 
 

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