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「チタン」世界一グロいプラトニックラブ。

どうも、安部スナヲです。

「チタン」という映画がかなりヤバいと聞きました。

何でも車フェチの殺人鬼のハナシで、あまりのエグさにプレス向け上映会では途中退席者が続出したとか…。

しかもそんな映画が、2021年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したって⁉

なんと⁉で、誰の映画かというと「ジュリア・デュクルノー」というフランスの女性監督。本作で長編映画はまだ2作目らしい。

話題性だけでゲップが出そうでしたが、実際映画を観るとゲップとごろか胃液の逆流にひたすら堪え抜いた挙句…号泣(T . T)

【覚悟を促す冒頭15分】

オイルのヌメりで艶かしく黒光りする車の裏側をどアップで見せるというフェチ丸出しのアバンタイトルを経て、物語は幼き日の主人公・アレクシアが交通事故に遭い、負傷した頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれるところから始まります。

この時点で既に悪趣味ですが、さらに不気味なのは手術を終えて病院を出たアレクシアは、一目散に車に向かい嬉しそうにスリスリするのです。

普通なら事故のトラウマで車嫌いになりそうなもんですが、変わった子やなぁ…

と、思ってるうちに場面は大人になったアレクシア(アガト・ルセル)へ。

モーターショーでショーガールとして活躍する彼女は、まるでボンネットの上でストリップをするかのようなパフォーマンスで男たちを魅了します。

ショーが終わり、帰宅しようと車に乗り込むアレクシアを、ファンだという如何にもヤバそうな男が追いかけて来ます。何だかんだしながらこのヤバ男は強引にキスして来て、あわやナニされるかと思いきや、アレクシアは髪を留めていた長いかんざしで此奴の耳をグサリ。

哀れヤバ男、白眼を向き、洗濯機の排水ホースかよ!くらいの大量の泡を吹き、ほどなく絶命。

いきなり衝撃的な殺害シーンですが、こんなのは序の口です。

ヤバ男が吹いた泡で汚れた体を洗う為、再びシャワー室に入るアレクシア。

すると扉に妙な衝撃が…誰かがノックしているにしてはアツが強すぎる。

恐る恐る扉を開けるとそこには…

は?車?

この次に行われる「ある行為」に言葉を失います!

何だかクイズ番組みたいにシラこい焦らし方になりましたが、ここまでで映画が始まって約15分、アレクシアがどんな人物かを示すタームになっています。

と同時に観客に向かって「これから覚悟決めて観ろよ」と投げかけているようにも思えました。

【痛みへの恐怖】

ザ・イエローモンキーの吉井和哉さんは「表現というのはイヤがらせだ」と言っていたそうです。

もしそうだとしたら、この映画におけるバイオレンスや残酷描写ほど端的な「表現」はないのかも知れません。

前述したように、この映画で途中退席者が続出した要因は、過激な残酷描写ゆえだと思いますが、その正にイヤがらせ的な表現が独特で妙なんです。

例えばスプラッターのように派手に血が飛び散るところ見せてキャーキャー言わせるとか、或いは暴力を描くことで逆に反暴力を訴えるというのは、狙いとしてわかりやすいですが、ここまで観る側に「痛み」そのものを強要して来る映画を私は他に知りませんし、その意図もわかりません。

その顕著なシーンについて触れます。

殺人犯であるアレクシアは逃亡の過程で、ある行方不明の少年になりすまそうと考えます。

そしてその少年に自分の顔を似せる為に鼻を変形させるのですが、その様子を事細かに見せられるのです。

まず鏡を見ながら自分の鼻を自分の拳で殴ります。何度も何度も殴るのです。

もうこの時点で痛いです、「痛そう」ではなく「痛い」です。

次第に鼻は腫れて来て痣もできます。だけどその程度では、求めてる形に変形するまでには至りません。

そこで彼女は、硬い洗面台に鼻を打ちつけるのです。

私はここでスクリーンから目を逸らしました。

それでも鈍い打音とともに彼女の痛がる声だけは聞こえて来て、それはそれでやっぱり痛い。もう勘弁して欲しいです。

これなら内臓や脳味噌が飛び散る方がまだいいです、少なくとも映画的には。

このように、ダイレクトにこちらの痛覚に響くような描写が多数出て来ます。

なので映画を観てる間、また痛いことをされるんじゃないかという恐怖が常に付き纏うのです。

【男を装う妊婦⁈】

痛い描写は全編にわたりますが、前半が殺人、暴力、自傷行為といったバイオレンス系なのに対し、後半は妊娠に伴う痛み、ひいては女性であるがゆえの苦難が主になります。

さて、アレクシアはここからが大変なんです。

なりすました行方不明の少年というのは、ヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)という男の10年前に失踪した息子です。

捜索の貼り紙を見たアレクシアは、その少年がどことなく自分に似ていることに気づき、もうちょっと鼻が大きければ完璧やんと、前述の痛い行為に及びます。

ヴァンサンは、そうして息子を名乗り出て来たアレクシアを疑うことなく迎え入れるのですが、実は彼女、身籠もっています。

なので日に日に膨らむお腹を隠しながら、ヴァンサンの息子の振りをして彼といっしょに暮らさなければなりません。

はじめはサラシをグルグル巻きにして誤魔化していましたが、そんなのがいつまでも通用するワケがありません。

…というかこの妊娠、何だかおかしなことだらけなんです。

お腹の膨らみ方も異様ですが、その他にもいくつか、普通の妊娠からすると明らかにおかしい現象が起きます。

それがどういうことなのかは、映画を最後まで観ればわかるのですが、ここではこれくらいで留めておきます。

とにかく、ただでさえ女なのに男と偽らなければいけない状況に追い込まれていながら、よりによって妊娠しているという、重ね重ねの逆境に見舞われたアレクシア。

ところがこの逆境の中で、彼女は本当の愛を知ることになるのです。

キャ(*´◒`*)

【性愛の脱却から生まれる愛】

監督のジュリア・デュクルノーはこの映画で「愛の誕生の物語を描きたかった」と語っています。

それが意味するところはつまり、「性愛の脱却から生まれる愛」であると、私は勝手に結論づけたのですが、この映画はとにかくアレクシアとヴァンサンのジェンダー的な立ち位置がネジレまくっていて、ややこしいです。

アレクシアが明確な意思を持って殺すのは、男でも女でも、性的欲求を満たす目的で自分に接触して来た相手であり、彼女が性愛に対して何らかの嫌悪(憤怒といってもいい)を抱いていることは明らかです。

そんなアレクシアをヴァンサンは、あくまで「息子」として愛するのですが、彼は彼で息子と「近親相姦ゲイ」の関係であった可能性も匂わせるので、これまた一筋縄では行きません。

もし彼がそういう性癖であれば、息子の幻影としてのアレクシアを見る目も、また性愛の対象であるはずなのですが、それをアレクシアがどう感じていたのかは謎です。

アレクシアは、一度はヴァンサンも殺してしまおうとするのですが、屈強な彼に腕力では勝てず、断念します。

その後、彼が隊長を勤める消防隊に参加し、人命を救う仕事に従事する中で、次第に彼に惹かれて行きます。

ヴァンサンもいつの間にやら、アレクシアが女であることを容認していて、その上で絶大な抱擁力と慈悲深さで彼女を支えます。

この映画は心の動きを言葉で説明する場面がないので、解釈の幅も広いと思いますが、私はアレクシアとヴァンサンが互いに心を通わせれば通わせるほど、「性」のヴェールを一枚一枚脱いで行った。そんな風に感じました。

そうして残ったのが…

もう!これ以上言わせないでってば\(//∇//)\

出典

映画「チタン」公式劇場パンフレット


映画『TITANE チタン』公式サイト


TITANE チタン : 作品情報 - 映画.com



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