ヒッチハイクの旅 1999

俺は、1999年の大学3年の夏休みに、その前年に引き続き日本縦断のヒッチハイク旅行をした。
大学2年の夏休みの時は、バイトの予定を断りきれず、結局5日間しか、ヒッチハイク旅行はできなかったが、それでも札幌から大阪まで行くことができた。

前回の反省を生かし、コンビニ、ラーメン屋、家庭教師のバイトを調整して、2週間半の休暇を確保した。
今回は大阪よりもっと南、沖縄まで行けいなとしても、最低でも九州の鹿児島までは行きたいと思っていた。

前の年のヒッチハイク旅行の時、北海道から南下する途中、新潟の友人荒木さんの家に2泊させてもらった。荒木さんとは2年前に札幌で出会った。私の所属するスキーチームで修行するために冬になると新潟から北海道に来ていた。

荒木さんの父親が若い頃に自転車旅行で日本縦断をしていたこともあり、俺の旅行している俺の姿に触発され自分の息子に、「おまえも一緒に旅に行ってこい」と息子に命じ、ちょうど短期バイトを終わらせて、ぶらぶらしてた荒木さんはまんざらでもなかった。
そして、その翌々日から、俺は荒木さんと二人でヒッチハイクすることになった。

俺はバイトの都合があり、大阪から引き返すこととなったが、時間に余裕のあった(もちろんお金に余裕はないが)荒木さんは、そのまま南下し、九州に行き、さらには船に乗ってなんと沖縄まで行ってしまった。

そんなこともあり、今回はなんとしても九州の先の沖縄か、もしくは、種子島や屋久島などの離島までは行きたいと漠然と考えていた。

昨年同様、ヒッチハイクで新潟まで行き、荒木さんの家に泊まり、そこから一緒にヒッチハイク旅行をする予定だったが、荒木さんと俺のバイトの都合が合わず、荒木さんは1週間先に隣の家の幼馴染の石田君を連れて、二人で先に出発してしまっていた。

俺が村上のジャスコに到着したときは、まだ荒木さんは旅から戻ってきておらず、代わりに静岡からバイクで北海道に向かって旅をしていた荒木さんのいとこのやすくんが迎えにきてくれた。

翌日、青春18切符で戻ってきた荒木さんを最寄りの駅まで、やすくんと一緒に迎えに行った。
荒木さんは、早速、今回の旅のハイライトを語り始めた。
話にによると、種子島に行ってヒッチハイクしたときに、サーファーのいさむっちと仲良くなりそのまま彼の家に留めさせてもらったとのこと。
いさむっちは旅人に優しい人だからから、ムスタファもそこに泊めさせてもらえばいいという話になった。

荒木さん、石田君、やすくん、近所に住んでる荒木さんの幼馴染のみっちゃん、荒木さんのお父さんと俺とでその晩は、飲み会になった。
みっちゃんはおとなしいタイプで、一見すると引きこもり気味な旅とは無縁のタイプだった。
みんな旅の話で盛り上がっている時に、「この中で旅をしたことがないのはみっちゃんだけじゃないか」と荒木さんのお父さんが、言い始めた。
「俺がおまえの両親に説明しておくから、ハルキと一緒に旅に行ってこい!」と言い出した。
そして、みんなもそーだ、そーだと盛り上がった。
俺はみっちゃんの性格的にあまり仲良くなれそうな感じはなかったが、その場のノリで「みっちゃんもヒッチハイクやってるかい? めっちゃ楽しいよ!」
なんて酔った勢いで、言ってしまったものだから、みっちゃんもその気になり、「俺も旅にでるよ」と言い出した。

そんなこんなで盛り上がり、荒木さんのお父さんは、2軒目にスナック、3軒目におかまバーに連れて行ってくれ、朝の5時ごろ帰宅した。

そして、お昼に起きて俺はみっちゃんと一緒にヒッチハイク旅行することになった。

その日の予定は、新潟を出発し、富山まで行くこと。
富山には荒木さんと同じようにスキー修行のために冬の間、北海道に来ていたテツさんがいた。そしてその日はテツさんの実家に泊めさせてもらった。

テツさんは、仕事が早朝からとのことだったので、テツさんの妹が近くの高速道路の入り口まで送ってくれることになった。
そして俺とみっちゃんは、大阪に向かった。

大阪にはちょうどインド旅行から帰ってきた大学の同期の川又が、彼の大阪の友人宅に滞在中のだった。

川又の友人にはもちろん面識はなかったが、川又に頼んで、俺とみっちゃんをそこに1泊泊まらせてもらうことになった。

それから、神戸でヒッチハイクさせてもらった人(波動をあやつって人の健康状態や精神状態を診断できる能力を持った人)の家に1泊し、そのまま鹿児島まで一気に向かった。

ヒッチハイクする度に、「ヒッチハイク旅行だなんて、猿岩石みたいだね。そのままアジア横断旅行する予定はないの?」と、よく言われた。


俺とみっちゃんはもちろんそんな予定はなかったから、聞かれる度に否定はしてたが、俺の頭の中にそのセリフが刷り込まれていき、ヒッチハイクが成功する度にアジア横断旅行について、考えさせらえるようになった。


ちょうど大学3年という時期もあり、この旅が終わったら就職活動という今までやったことのない活動に参加しなければならないことになっていた。


大学に入った時には、休みを利用して漠然と世界一周旅行がしたいなんて思ってはいたが、気が付けば大学3年になり、将来就きたい仕事を考えて就職活動に参加しなければならなかった。

ヒッチハイク旅行を終えて、アジア横断旅行についていろいろ考えてみた結果、大学を休学しても学費がかからないことがわかり、経済的に親に迷惑をかけなければ休学しても大丈夫だとうと思った。親に相談したところ、賛成もしなかったが、反対もされなかった。

ただ、問題はモーグルの選手を続けるかどうかということだった。
中学生から続けていたモーグルは全日本選手権にでるほどの腕前だったので、もちろん今年も頑張る予定だった。
ただ、大学に入ってからはイマイチレベルが上がらず、後輩達に、実力も抜かれていく中でかなりモチベーションが低下していた。

そんな迷いの時期、トランポリンでトレーニングしときに、腰を痛めて歩けなくなってしまった。診断の結果は、椎間板ヘルニア。手術しても完治しない可能性があるということで、このことをきっけにモーグルを引退することを決めた。

そして、アジア横断旅行に行くことにした。

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