ズームバック×オチアイ(NHK)祝祭論

人はなぜ祝祭を求めるのか

祝祭・・・非日常。お祝い事。
例えば結婚式。しかしコロナ禍でソフトウェアに移行している。(写真撮影など)ハード(式)がいらない。
祝祭において誰かと繋がり、自分がどんな繋がりの中にいるかを確認。
今後祝祭をしない人類が出てくる。

コミケ、ロックフェスなど、老若男女、日本全国より集う。
他者とのつながりのため。一つの場所で楽しみを大勢で共有。
コロナで他者と繋がる場が奪われている。
人々の繋がりたい気持ちを
『デジタルの日』10.10と10.11
何かの日を作れば祝祭は永遠にやってくる。

これまで・・場所
デジタル・・場所がいらない。共時性のみ。
今後、デジタルで「故郷」を。土地はないが、日は作れる。

祝祭=デジタル+リアル

人の身体を思い浮かべることが減った。マスクとかで。
落合陽一は原初的な祝祭としてヌードを撮る。

日々の祝祭

はまらないオンライン飲み会。ハード的な問題。20年後はもっとちゃんとできる。
インフォーマルソーシャルネットワーク(バー、飲み屋)
新しいアイデアに触れることができる。
非公式な場所がサードプレイスとして機能している。家、職場ではできない。
新しい人と出会う、繋がりを深めることによってアイデアが浮かぶ。

日々の祝祭=インフォーマルソーシャルネットワーク

人が集まること
身体性、人は近くに人がいると安心する。
密を求めるのが人間の本能

日々の祝祭=身体への憧憬

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