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自分の檻の鍵の見つけ方

仕事ができない人。そう書くと、あやふやな問題に聞こえますが、ふわっとしたことでなく、責任を持つべきところで手を離してしまう人。それを私は仕事ができない人と定めています。なぜならば自分のできることしかしないので成長などせず、失敗しないであろうことを行うためタスクを渡せないからです。

確かに仕事ができないからといって死ぬわけではありません。それどころか給与は上がらないが、ある意味でコミットしないのでしんどくない、ストレスが溜まりにくいという良さもあります。しかし自分で生きる能力、つまり自律するという最もヒトらしいことは、いつまで経っても無理になってしまいます。

ではなぜその仕事ができない人、つまり責任を持てない人がなぜ責任を持てない、責任を取らない、責任を負わないのか?ですが自分の檻に囚われているからです。別の言い方にすると自分の道徳を作る人と言えます。自分の道徳というと聞こえがいいので、勝手な価値観と言い換えた方が良いかもしれません。

私事で大変恥ずかしいのですが、基本的に斜に構えて話を聞くタイプでした。(今完璧に治ったか?…)格好良いとその時の私は判断していたのでしょう。今思うとダサいのですが。お恥ずかしい限りです。ではなぜ斜に構えるか?やっていた本人が解釈するに解っているように見えるようにするためでしょう。

なぜ今私を公開処刑したのでしょうか?もしタイムマシンがあるなら、自分を思い切り蹴飛ばしたいです。しかしこの手の人(斜に構える人)に遭遇するたびに蹴り飛ばすことはできないため、やっていた本人としては辛いですが、気持ちを読み解いてみましょう。なぜ?あなたの気持ちを緩和するためですね。

あなたの気持ちを緩和する必要性ですが、この手のタイプには上司が多いのです。ん?最初の定義とズレている?仕事ができない人に多いのでは無かったのか?ですか?仕事ができる人が上司になる訳では無いということは、あなたが1番解っているでしょう?社会人ならば全員が知っておくべき事象ですので。

興味が持てない人

というのは例えば「あ、私そういうの無理な人なんでー」とか言う人のことや、「そんなの解っているよ。」というタイプの人です。前者も後者もあなたはどこかで遭遇しているはずです。人生において、どれだけこの人たちと関わらないか?が楽しい人生を送る上で最も大切なことです。

なぜならばこの人達というのは、ハッキリ言うとバカなのです。バカには何を言ってもどんな入力をしてもバカな答え、あなたをバカにしてしまう答え(怒りが湧くと知能指数は下がります。)が返ってくるのです。

そしてこの人達は知らず知らずのうちに依存してきます。それにもちろん感謝などしません。仕方ないですよね?本人は依存していることを解らないのですから。いくらあなたが呪いをかけようとしても、その呪詛すら理解できないので被害を被ることはありません。常に領域展開して生きていますので。

なぜ依存してしまうかというとスキルが低いためです。当然でしょう?学んでいないのだからスキルが身につくことも、知恵が身につくことも、知識が身につくことも一生ありません。だから私は仕事ができなかったのですね。(ほっとけ。)

ダニング•クルーガー効果

つまりその過去の私のような、物事を斜に構えて聞くような人というのは、自律して生きるということが難しくなります。ですが本人は自律して生きていると思っています。これが一番人をバカにする状態なのでしょう。

コーネル大学のデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーの研究によると、このバイアスは、能力が低い人々の内的な(=自身についての)錯覚と、能力の高い人々の外的な(=他人に対する)錯覚の結果として生じる。つまり、能力の足りない人々による誤評価は、自身についての誤り(自身を過大評価する)から生じており、能力の高い人々による誤評価は他人についての誤り(他人を過大評価する)から生じている[1]。この効果は、優越の錯覚という認知バイアスに関連しており、自身の能力の欠如を認識できないことによって生じる。メタ認知についての自己認識がなければ、人々は自分の適格度を客観的に評価することができない。

Wikipedia

このように優れている人は「このくらいできるだろう。」と思い、ダメな人"も"「このくらいできるだろう。」と思い込むのです。

つまりできない人というのは自己評価が高いのです。そこで(優秀だと自己認識することで)自分の檻に囚われてしまうのです。この自分の檻は厄介なものでして、学びが無い限り囚われたままです。しかも囚われていることを"認識すら"できません。

そんな人に「あなたは解っていない!」と言ったところで"解る"わけがないのです。松浦亜弥では無いのですが、わかんないことがわかんないのです。

興味がない。という状態もこの状態です。興味が無いということは、その必要性がわからないからこそ興味が湧かないのですから。あなたに私がいくら青山ひかる(あおみん)の良さを説明しても頭に?が浮かぶだけなのと同じで必要性がわからないのです。だから興味が無いのです。

何にでも興味を示す人というのは逆でして、知識を増やすということは、楽しみが増えることと同義であると"解って"いますので何にでも興味を示すのです。

後者も(優れた人)も問題

ここで問題となるのは、ーーもちろん後者も問題ですがーー前者の「(他人も)このくらいできるだろう」と思う人です。

なぜこの人(他人もこのくらいできるだろうと思う人)が問題になるかといいますと、できることがわからない人になるからです。つまり上には上がいるから自分程度の知識では人の役に立つことはできないと思う人です。

そういう人は100点思考と言いまして(いま勝手に名付けました。)100点で無い私は役に立たない。と勝手に思い込んでしまうのです。実際には役に立つ知識、役に立つ知恵、役に立つスキルを持っているにも関わらずそう思い込んでしまうのです。

そうなると「自分にできること、得意なことで生きていきましょう!」と言われても「私にできることなどないしなぁ。」と思って、思い込んでしまうのです。これもある意味自分の檻に囚われてしまっているのです。

これの何が悪いか?ですが、リスクを取ることに躊躇してしまいます。なぜならこのくらい他人もできると思っているからですね。つまり自分のスキル、自分の知恵、自分の知識を安売りしてしまうのです。

「なんでこんなショボい会社にこんな優秀な従業員がいるのだろう?」というのにつながります。本来ならもっと自分を活かせる場所、もっとお金を稼ぐ、もっと人の役に立つ場所があるにも関わらず。です。

つまり勿体無い人。になってしまうのです。例えるならいくらお金を持っていても投資もせず銀行に預けているのと同じ状態ですね。それでは今の世の中の物価が上がって、つまり物の価値が上がってお金の価値が下がる状況においては価値が下がる紙を持っているだけの状態になってしまいます。

それは損なことですよね。しかし100点思考の人は自分のできること、自分の得意なこと、自分のスキルがわからない状態ですのでその"損"を受け入れてしまうのです。

つまりは自分の檻に囚われてーーまるでパノプティコンにいるかのようにーー生きていくのです。なんてもったいないことなのでしょうか。

両者つまり《できないができると思い込む人、できるが他人もできると思い込む人》両者共に自分の檻に囚われて生きていってしまうのです。

では、自分の檻の鍵はどこにあるのでしょうか?

その答えはサードマンだけが知っています。時にあなたの前に不意に現れる人です。「あなたってこんなところがあるよね。」と言ってくれる人のことです。

それは時に猫山課長であったり、時に田端慎太郎さんであったり、時に中村まことさんであったりするのですが気づくことは難しいのです。なぜならそこに必然性のある御導きみたいなものが無いからです。

御導きとはわからない、わかりにくいのですが、実際にはある種の天啓でもあることが多いのです。基本的にこのような方々は抽象的な話をします。なぜならば多くの人に自分ごとと思ってもらうためですね。名著にもこのような特徴があります。具体的すぎると汎用性が減るからですね。

このサードマンを信じれるか?信じれないか?それが自分の檻の鍵を開ける唯一の方法なのです。

自分の檻は自分で開けられません。自分の檻の鍵は自分では気づきません。だからサードマンがどちらの人(優秀な人、優秀で無い人)にも必要なのです。

もしも、ーー願わくばですがーーサードマンが私であれば幸いですが、私なんかまだまだですからね。(自分の檻)

それでは、また、火曜日に。

あどりでした。

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