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他人を手放して僕らが手にするもの

他人をあなたの中に止まらせてはいけません!

とか、

他人の課題をあなたの課題と勘違いしているのではないでしょうか?

とか、

アドラー心理学が流行った時によく有識者が言っていましたよね?最近なら「そいつ今頃パフェとか食ってるよ」みたいなものです。

他者は他人であり、あなたはあなた自身のことを考えたほうが良いのです(キラキラ)

は、確かにそうでしょうけどそんなことあなたはできますか?ムカつくやつは家に帰ってもムカつきますよね?

ムカつくやつがあなたに対して言い放った言葉は、あなたが受け取ろうが受け取るまいがムカつくことはムカつくのです。

だってそうでしょう?

もし見知らぬ他人にウンコを投げつけられたとして、「他人が投げたものは受け取らなければ私のものではありません。」と言ったところであなたについているウンコはあなたについているのであって臭いです。洗いましょう。

これと同じで《あなたが投げつけられた言葉(ウンコ)》はあなたにベッタリ張り付いています。それは紛れもない事実です。認識だけでどうにかできるものではありません。

ではどうすれば良いのか?という論になると突然「あなた自身に集中してください。それこそが相手が嫌がる最高の仕返しです」みたいな論に帰結したりしませんか?

しかし集中してもウンコが張り付いた事実は変わりませんし、ウンコを投げつけた奴はウンコを投げつけた感情で家に帰ってウホウホしています。

あなたのことを思って言っているのであって、別に怒りたいから怒っているわけではない。とはよく聞く言い訳ですが実際違います。彼らは怒りたいと思ったから怒っています。なぜなら怒りは第二感情であって本当の第一感情がその裏には隠れているからです。

だってそうでしょう?

毎日楽しい!幸せ!って時に少々のことがあっても怒ったりしませんよね?それとは逆に毎日しんどい。不幸せ。ってなった時にムカつくのではないでしょうか?

つまり毎日いやなことがあって溢れるのが怒りなのです。ネットでもそうでしょ。毎日毎日ストレスフルに生きているから他人の些細な意見に対して怒りをぶつけるから開示請求されるのです。(違う)

ところであなたは、仕事場で相手に怒られた時感謝したことありますか?私はないです。

もう一度言います。

わたしはないです。

その相手の怒りが理不尽だろうが理不尽でなかろうがあなたにとってはどちらでも良いはずです。「怒られた。」そのあなたにとっての事実だけが残ります。

でも私は確かに悪いことをした。だけど怒られたことに対しては憤りを感じています。というあなたの感想は正しいです。

なぜならば相手がこちらの感情のコップを怒りで満たしてきたからです。当然のことながらあなたの感情は怒りや悲しみで溢れます。しかしあなたは相手に対して怒りをぶつけることはできません。なぜなら相手もぶつけられる相手にぶつけているからです。

例えば身長180のムキムキマッチョに対して、ブチ切れる人がいるのならばその人の危険センサーはバグっています。そんな人はいませんよね?

怒っても、つまり感情をぶつけてもぶつけたあいてに返さない人にしか人は感情を発したりしないのです。

DV男とメンヘラ女カップルを見てください。その2人はヤンキーである確率が高いですよね。そのDVされる側の女性がコンビニでブチ切れてるところは容易に想像できるはずです。しかしDV男にはキレたりしない。なぜならば感情を受け止めてくれないからです。

小さい子供でもそうです。自分の要求が通らずとも見ず知らずのおじさんにはキレたりしないのに、ママとパパにはすぐにキレますよね?それは感情をぶつけてもその感情を返してこないとわかっているからです。

つまり怒られるあなたは感情をぶつけても大丈夫(反抗したりしない)と思われているから感情をぶつけられるのです。

恐怖に対しての対策

では私たちはムキムキマッチョにならなくてはいけないのか?世紀末覇者にならなくてはいけないのか?ですが、そうではないです。というか無理です。

私とあなたに残されているのは2つだけ。それは逃走か闘争か、です。

その場から逃げるのか?それとも闘うか?

闘うと言っても耐えるのではありません。言葉通り闘うのです。声を荒げた相手に対して声を荒げるのです。そうなれば勝手に周りが仲裁してくれますしキレた相手も「あっ、こいつキレてくるな、厄介だな。」と対応を変えてくることでしょう。

そして逃げるとは文字通り逃げるのです。こちらの方が労力も使いますし下手を打てば年収が下がったりします。

なぜキレた相手が圧倒的に悪いのにどう転んでもキレられた側がリスク回避に労力を使わねばならないのか?それは正直言って天災に遭ったようなものであって相手に何を求めようが、周りに何を求めようがそこに救いはありません。

なぜならばそれ(パワハラ上司)は関わることがリスクだからです。いじめはなぜ起きるのか?それは見て見ぬふりをする人が沢山いるからです。正しいことを正しいと言える人が沢山いればそんなものはこの世に存在しないのです。

そうでなければGTOは国民的ドラマになっていません。

だからこそ私やあなたには逃走か闘争かの道しか残っていないのです。

逃げる時は中途半端に逃げてはいけません。県外、市街を視野に入れておきましょう。なぜならば相手が観測範囲にいればどこかで出会うかもしれないからです。

なぜ観測範囲にいる事すらダメなのか?それは人は他人の思った通りの人間にしかならないからです。

人は人の思った通りの人間になります。

ゴーレム効果とピグマリオン効果ですね。

レッテルは他人を変える

1964年、サンフランシスコの小学校で、「ハーバード式突発性学習能力予測テスト」と名付けた知能テストが行われました。

この知能テストは一般的な知能テストでしたが、「将来、児童の成績が伸びるかどうかがわかるテスト」と教師に伝え、その後、テスト結果と関係なくランダムに選定した「成長が期待できる児童」と「期待できない児童」に分けたテスト結果を教師に提示しました。

そしてテスト結果を提示した8か月後に、再度知能テストを実施した。するとランダムに抽出したはずの「成長が期待できる児童」の成績が向上したという結果がでました。

これがピグマリオン効果です。

ゴーレム効果とはこの逆でありダメだと思ったやつがダメになる効果です。そして一度貼られたレッテルは剥がすことは難しいのです。

だからこそ闘争も逃走も中途半端に行ってはいけません。本気で腹を括らないといけないのです。

 ところで怒られたことや、失敗したことはどこにしまい込まれているのでしょう?それは私たちの頭の中です。それ以外の場所には存在していません。

誰かの脳内でもなく私やあなたの脳内に保存されています。だからこそ「こんなこと(上司、同僚)が言ってくるのは私の前の失敗に対する嫌味だ!」と《思ってしまうのです。》なぜ思ってしまうと書いたか?それは相手が思っていることなどわからないからです。

事実と認識

 中学生の頃私は女子に嫌われている。そう思って中学3年間を過ごしていました。

野球部に所属していた私は毎日校庭をぐるぐる走っていました。その時に常に見ている女子がいたのです。その子達は私を見てコソコソ話をしたり、笑っていたりしました。

「あぁまた悪口を言われている。どれだけ前世で徳を積めばモテるようになるのだろう。」

そう感じていました。

しかし事実は違ったのです。高校に入学後たまたま中学が同じになった女の子と話す機会がありました。

「中学の時アドリ君ってめっちゃモテてたよね!」

私は目眩がしてしまいました。あの時女子が私を見て笑っていたのは笑いかけていたのが事実であり、私が認識している《笑われている》では無かったのです。

そうです。コソコソ話もそう考えれば実は良いことだったのです。

事実と認識というのは人間誰しもズレが生じます。どこから見ているか?それだけで事実と認識はズレるのです。

尊敬されている。そう認識している上司が多いように。

私もあなたも認識によって世界を作り上げています。しかしながらそれは事実では無い可能性が高い。なぜなら、私とあなたの世界は自分の意識下で作り上げられているものだからです。

光は波の性質を持ち、その周波数は連続的です。色はある周波数範囲の光の周波数を動物が見分けるときに脳が行う巧妙な処理のひとつです。虹色をはじめて7色に分けたニュートン(Newton I : Optics (Based on the 4th (1730) edition). Dover Pub. Inc. NY, 1952.)は「光線には色はない」という名言を残しました。これは、色は物理世界の存在するのではなく、波長の違いを脳が色として見る。言い換えは、「色を見るのは脳である。」という意味です。

中部学院大学

他にも黄色はこの世に物理的には存在しない。という話もあります。

光の三原色(赤、青、緑)は人間の網膜の錐体(3種類)で判断しています。つまりそれ以外の色は見えないはずなのです。

光は電磁波であり可視光という380nm〜780nmの範囲内電磁波です。

黄色とは、(物理学的にいえば)周波数580nmあたりの電磁波のことです。ですが人間にはその純粋な黄色を直接見ることのできる視細胞はありません。

人間が認識する黄色とは赤(625~740nm)と、緑(625~740nm)の掛け合わせにより、黄色だと感じている錯覚に過ぎないのです

私とあなたの世界は上記した色の世界のように、そうあると認識しているにすぎないのです。事実とは違う可能性があるのです。

つまり怒られたと思っているのはあなたの認識であり、相手は指導したと思っている認識である。ということなのです。

 だからといって(そう思い込め)という話ではありません。

あなたは今までの人生でかなり長い間、親の教育や教師あるいは先輩などからあなたにレッテルという呪縛を施しています。なぜそんなことをするのか?あなたをコントロールするためです。

怒るのは第一感情ではなく第二感情だと冒頭私は言いました。では怒りの裏にあるのはなんでしょうか?それは寂しい、悲しい、虚しい、苦しい、不安などです。

上司や親、先輩はどの感情で怒っているのでしょうか?それを考えて欲しいのです。もしそれがあなたをコントロールするためのものだとしたら?

あなたは大人です。他人にコントロールされる子供ではないのです。自分の思考を自分でコントロールするのが大人です。

他人を自分の中から手放した時あなたに残るのは自分の人生のコントロール権です。

誰かに自分のコントローラーを渡したまま生きますか?それとも自分の手の中に取り戻しますか?それすらあなたの自由です。

認識をするのはあなたの脳です。思考を止めないこと。それがあなたにとっての事実、認識を色鮮やかな世界に変容していくことでしょう。

認識によって世界は変わる。無能な上司の怒りはあなたがコントロールできないから恐れているのかもしれません。あなたにとっての最大の敵はあなたの脳です。思考です。

決意を新たにするのではなく思考を新たにするのです。これは引き寄せなどのスピリチュアルではなく脳のハックです。認識があなたの世界を変えます。

それでは、また、次回。

あどりでした。

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