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夢とMay i help you?

《夢》と聞いてあなたはなにを思い描くだろうか?

年収を1000万にしたい!と述べる人もいるだろうし、結婚したいという人も、あの会社(所謂大企業)に就職したいと述べる人もいる。海外へ移住したいという人もいるだろう。

多種多様であり千態万状のように思える。しかしながら、この《夢》という言葉はいつの間にこんなにも枠に捉えられてしまったのだろうか?

小さい頃に「あなたの夢は?」と問われて、お花屋さん!看護師さん!弁護士!と答える友達をあなたも見てきただろう。しかし、「ヒーロー!」や、「プリキュア!」(私の時はセーラームーンだけど)と答える友達に何処か「ん?」を覚える。

というよりも「子供じみている。」と思ったことがある人が多いことでしょう。それは大人になれば「子供らしくていいな。」とお門違いの"答えらしきもの"を頭に浮かべる。

ヒーローやプリキュアは、もちろんセーラームーンも仮面ライダーV3も映像の世界のお話し。それは間違いない。ごめんなカンパ君。

しかし、この「ヒーローになりたい」というのは確かな《夢》であり看護師や弁護士というのは、職業の選択の話しでは無いでしょうか?というのが今回のnoteです。

 将来の夢と聞かれると、兎にも角にも答えるのがなりたい職業であったり役職であるのはあなたも同じでしょう。しかしながらそれは夢でもなんでもなくなりたい職業でしかありません。

好きなものでも同じことが起きます。

答えを知りながら聞くのは大変心苦しいのですが、「あなたの将来の夢は?」



では、答え合わせです。おそらく「年収UP」であったり、「フリーランス」であったりするでしょう。もしくは今の会社の役員かもしれませんね。

これは占いでもコールドリーディングでもなく、そうだろうな、またそうであると確信を持てる《正解》です。

しかしもう一度文章を読んでください。私が今しがた問うたのは「将来の夢は?」です。職業でもなく職場でも役職でも、手にしたいお金でもありません。

では、なにがほんとうに問いたかった、または答えて欲しかったのかと言いますと、あなたの将来の理想像です。

ちょっとわかりにくいのでもう少しわかりやすくしましょう。では、「あなたの好きなものは?」



おそらく、なにも浮かばない、もしくは今の仕事の内容だったり、やりたい仕事のこと(プログラミングやブロガー、インフルエンサー)ではなかったでしょうか?

好きなものが無い。そう答える人をたくさん見てきました。でも好きなものが無い人なんて存在するのでしょうか?

食べることは?寝ることは?セックスは?音楽を聞くことは?

「でも、好きですけど大手を振って好きというのにはまだまだ…」

好きとは自己のこと、自己の欲求のことであり他者と比較することではありませんよね?なのになぜか職業に繋がりそうな好きしか思い描けない。

なぜなら将来の夢という病に私もあなたも毒されているからです。



将来の夢

 元来、将来の夢というのは自分のありたい姿です。それがなぜか職業でしか語られることがない。

これは子供のころからなぜかそうなってしまっています。ウチの娘も「将来はデザイナーになりたいな!」と小さい頃言っていました。

それに対して私は「今見たことないものになるほうが楽しいよ。デザイナーよりもハイパーメディアトータルデザイナーとかで良いんじゃない?」と答えて嫁に睨まれたのがついこの間のように感じます。

今ある職業というのはある意味、思考の枠です。枠というのはとても楽な反面息苦しさも生み出します。


学校や職場がなぜ自殺を考えたり、またそれをほんとうに実行させてしまうかというと、その狭さゆえではないでしょうか?

学校、職場というのは私やあなたを枠にはめて、型に流し込もうとします。なぜならのべつまくなく、金太郎飴にしたほうが管理がしやすいからです。

学校であればカリキュラム。職場であればマニュアル。それに沿って行動したほうがしてくれたほうが指導しやすいのです。

突然生徒が「先生。この国語の授業で学ぶ題材ですが夏目漱石のこころよりも芥川龍之介の人間失格の方が良いのではないでしょうか?」と問われれば先生は答えに窮してしまいます。

職場でも(まぁ職場では良くあるのですが)「すいません。この日報を書く時間でもう一つ作業ができます。なので日報をもっと簡易にして作業時間を確保できませんか?」と問われても上司は答えに窮するでしょう。

どちらも上から降りてきた答えであり、管理のしやすさから考えられた、正解なのですから上司や先生が困るのも当然です。

組織や社会というものは個人のためにありません。組織や社会は公(おおやけ)のためにあります。だから個人に最適化できるものではないのです。

教育も組織も基本的には平等。つまり個別具体な正解ではなく、太郎君や花子さんが合体して花郎になったような抽象的な最適を最善の策として作られます。

存在しない

 そして、そのような抽象的な最適化は枠を狭めます。平均というのはこの世に存在しないものです。

コクピットのデザインに最もふさわしいと思われる平均的な寸法を身長、胸回り、腕の長さなど、10項目について計算していき、各寸法について集められたデータの中間30%の範囲内に収まる数値であれば、「平均的なパイロット」とした。例えばデータから割り出された平均身長は175㎝だったが、170cm~180cmの範囲を「平均的なパイロット」としたのだ。ここで、ダニエルズはパイロット大半が、ほとんどの部位の測定値が平均の範囲内に収まると予測した。科学者もかなりの人数のパイロットが、10項目全てに関して平均の範囲内に収まると予測した。
しかし、実際の数字を見てダニエルズは衝撃を受ける。
『結果はゼロ』

中日新聞web

つまり存在しないものを作り上げ理想とする。それは当然ながら人間には窮屈。

そして何より自殺や心の病を発症させるのはこの平均から作った平均の狭さ。

製造業なら当然のことですが、安全通路の確保という事故を起こさないためのものがある。つちたにさんが詳しいだろうからその解説は彼に委ねよう。

安全通路は確保しなければいけない理由は逃げ場の存在。通路が狭いのがヤバいのはどちらにも逃げられないから。建造物や部材が倒れた時に逃げ場が無ければ挟まれ潰れるしかない。

つまり学校、職場が心の病を発症させるのは、どちらにも逃げ場が無いようにマニュアル、カリキュラムを作ったが故に、安全通路が逃げ道が無くなるから。

型に嵌める、余計な部分を削る、平均という存在しないものに当てはめる。だからみんな安全通路を確保しきれず潰れて、潰されてしまうのだ。

それが息苦しさの正体。


枠を超えていく


 では最初の問いに戻りましょう。あなたの夢は?思考の枠に捉えられてしまうのではなく、その枠組みを外していくのが大人になるということです。

自律というのは自らを律するということです。あるべき姿に向けて行動していくことを大人と言います。しかし、このあるべき姿は誰かのあるべき姿ではありません。あなたのあるべき姿です。

人間は自分の思った通りにしか行動しません。人間の脳というのはそのような仕組みなのです。なぜならホメオスタシス(ギリシャ語で同一の状態)が働くからです。

ホメオスタシスは思い描く現状に沿った行動を人にとらせます。

例えばコンビニの店員にキレるジジィ。なぜキレるかというと「私は敬われて当然の存在である!なのになぜ私を敬わない!サービスしろ!」からくる自分の現状と自分の脳で描く現状とのギャップがジジィをキレさせるのです。

キレる部下だって同じです。「俺はできる!なのにブルシットジョブばかり渡しやがって!もっと派手な成果をあげる仕事をよこせ!」つまり、自分の能力と自分の脳で描く現状のギャップからキレるという行動を起こさせるのです。

それと同じで「将来の夢は?」と聞かれた時に自分の能力と自分の脳で描く現状で将来の夢のサイズを決めてしまうのです。

つまり枠を外して自分の脳で描く現状を変えれば人は行動を起こすのです。「俺はもっと凄いやつだなのに現状はここだ、なぜだ!行動しなくては!」となるということですね。

夢というのは枠にはめてしまっては他人との苛烈な競争に参加させられます。出世も職業も、恋人だってそうでしょう。

しかし本来夢というのはそのような枠があるものではありません。自分の自分だけのもののはずです。

ですが私やあなたはその慣習もなく、カリキュラムや他人が良いと思うもの、コトによって枠が出来上がってしまっています。縁にしてしまっています。

これは自らの手で外してといけ!などということではありません。自律というのはしんどいですからね。他律というのが意外と良いものです。

他人の困りごとは自律の道


 私が最初の職場で好きだった先輩が居ました。その人は私がすごく重いものを上に上げたり、1人作業無理だろうなという場面でニヤニヤしながら「May i help you?」と聞いてくるのです。(先輩は日本人です。)

「はよ助けろや!」と思っていたのは当然ですが(笑)

困りごとや他人の困った!という声にならない声をスルーすることは簡単です。ですがその困った!はあなたがあなただけが聞こえた声です。

そのSOSはあなたが最初に受け取ったSOSです。それはあなたが受け取ってください。一緒に困るのも助けたうちに入ります。助けるのはなにも素晴らしき回答を差し出すだけでは無いのです。

基本的に仕事というのは誰かの困りごとを解決することです。お金というのは誰かの困りごとを解決した人に支払われる対価です。

困った!という声に耳を傾けながら誰かの困りごとを解決したり、はたまた一緒に「やや!困ったね!」と共に困ったりしながら職業というのは成り立っています。

カッコいい成果だけに目を向けるのではなく困った!に目配せをする。だってその困った!の声はあなたが、あなただけが聞き取れたSOSなんですから。

そんな困った!に対してニヤニヤしながら「May i help you?」と言いながら天職や自分の好きなものは決まっていくのでは無いでしょうか?

そんな私はこれからの人生何度「May i help you?」と言えるでしょうか?もしあなたの人生をnoteで少しでも良くできればあなたの困った!が私には聞き取れたのでしょう。

それでは、また、日曜日に。

あどりでした。

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