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知性とはなんなのか?仕事辞める辞める詐欺師の気持ち

「国語って別に習わなくても喋れるから必要無くない?」

確かにそうかもしれない。話す、書く、読む。これらは学校で学ばずとも、日本で暮らしている限りいずれできるようになると思います。漫画や本、YouTubeなどで覚えるし、友達との会話などから学ぶから必要ないように感じます。

確かに数学や理科や社会、英語などに比べると幾分必要が無いように感じる科目ではあります。実際わたしも子供の頃同じ感想を持っていました。

「別に勉強しなくても80点くらいなら取れるから必要無くない?」と。

しかしながらこれは驕りでしかありません。なぜならば言葉を学ぶというのは、言葉を学ぶという以上の意味を持っているからです。

「俺仕事辞めようと思ってるんですよ。」この手のタイプで仕事を辞める人はほぼ見たことありません。あなたもそうではないでしょうか?これは戦争ものの「俺この戦いが終わったら彼女と結婚しようと思ってるんだ。」の願いが叶わないほどにわかりやすい伏線です。

なぜこのようなことが起きるのでしょうか?なぜこのような本当にくだらない話しを、何度も何度も聞かされなければならないのでしょうか?私やあなたの時間をどれほど奪うのでしょうか?まるでTikTokに流れてくるグラビアアイドルのように時間を奪えるだけ奪います。

彼は、仕事実は辞めないマンはなぜこのようなことをするのでしょうか?いたずらに人の時間を奪うように神から仰せつかったのでしょうか?つまり実は神の遣いなのでしょうか?

そんなわけは無く、彼は嫌、彼らは自分の気持ちを慰めて欲しい、つまりは「私を必要だと言ってくれ!」という感情なのです。

そこで心のある私やあなたは、否応なく彼の報われない魂の救済をする神父になるしかないのです。ーー「アナタハキットスクワレル」と。ーー

「なんでこんな奴が給料俺たちの倍もらってるんだろうな?だって働いてるのは俺らだぜ?あいつを食べさせてやってるようなもんじゃん。」

そう問いかける人に願わくば遭遇しない職場でありますようにと、いくら神に祈ってもそれを赦す神はいません。それどころかHPがほぼない状態の町まであと一歩!の時に「しかし、回り込まれてしまった!」になる確率くらい高いのです。

社長の息子、娘、甥っ子が働かずに給料を貰っている状況でもよく考えれば別に自分には関係無いんですよね。自分の能力さえ高ければ何処にでも行けばいいだけなのですから。

不幸や幸せを決めるのは自分であるはずです。しかしながら遺伝というのは怖いものです。

元も子もないこんなデータもあります。


人はそれぞれ特定の幸福度の設定値をもって生まれてきます。その設定値は生物学上の母親か父親、あるいは両方の親から受け継いだものです。それは幸福の基準になるもの、または幸福になれる可能性であって、たとえ大きな挫折を経験したり、または大成功を収めたりしたあとでも、人はその基準点(設定値)に戻っていきます。
つまり、もしも魔法の杖があって、映画館にいた100人全員を遺伝的な「クローン」(または一卵性双生児)に変えられたとしたら、遺伝による設定値分の50%は同じレベルの幸福度ですが、それ以外の部分で彼らの幸福度には違いがあるということです。

プレジデントオンライン

幸福度の半分は遺伝で決まります。つまりコップの水は半分しかないと感じるか、コップの水が半分もあると感じるか、といったところでしょう。これはドラッカーの言葉です。

つまり遺伝で基準点が決まっており、幸福かどうかはその基準点で決まります。幸福の基準が低ければご飯が食べられるだけで幸せですが、幸福の基準が高ければ不幸になるのは最早おわかりでしょう。

では私やあなたは《親ガチャ》に失敗した時点で終了なのでしょうか?

それは実は違うのです。最初の問いに戻りましょう。

「国語って別に習わなくても喋れるから必要無くない?」

これは生きる上での最大のヒントになります。

アルケーはロゴスなり。
In the beginning was the Word.
はじめに言葉ありき。

日本語訳すると若干の意味に違いが生まれるのですがそれはまた別の機会にでもお話しします。私やあなたは700万年前から存在する人間です。人間とそうでない生き物を分けるのは高度な知能ですが、これ、

つまり知能というのは言葉です。

言葉が知能を作ります。私やあなたを作ります。つまり言葉を学ぶということは全てを学ぶことになります。

まず頭の中で言葉を使わずに物事を考えてみてください。あなたの頭に広がるのは真っ白な空間でしょう。言葉を使わずに考える、まさに「言葉を考えずに思考するとそこは雪国であった。」です。

言葉というものは考えるためのツールになります。つまり言葉が無ければ考えることができないのです。ツールはあればあるほど便利になります。

男であれば一度は本気で買おうとする、十徳ナイフもその類いですね。ハサミや一生使うことのないドライバー、困った時に思い出さないであろう栓抜きがセットになったものです。

言葉、つまりは語彙が私やあなたの人生を幸福にします。ヤバい!うざい!神!の語彙では私やあなたの複雑な心境を味わうことは、表すことはできません。表すことのできない感情はあなたの中に蓄積されます。

なんだかモヤモヤする。なんか違う気がする。それらを表す語彙さえあればあなたの《雪国》は融雪を迎えることになるのです。春を待つことなく。

豊かな語彙は豊かな感情に思いを巡らせることができます。さらに的確な意見、的確な感想、的確な感情を人に伝えることができるのです。

豊かさとは多くあるから豊かなのではなく選択肢が多いから豊になるのです。お金がたくさんあってもトマトしか買えないのならあなたは豊になることはないでしょう。トマトはこの世で1番不愉快な食べ物のはずですので。

もしもこの世に「クソが!」とか「消えろ!」などという強い語彙しかなければ私やあなたはどのように生きればいいのでしょうか?もしもこの世にそんな語彙だけしか残らないのならばそんな世界は無いに等しい。

言葉がないのは知能が無いのと同じです。それでは他の生き物つまり動物と同じになります。私やあなたはユヴァル・ノア・ハラリの言うところのホモデウスでは無くなってしまうのです。

怒りという感情を反芻して言葉に置き換えていく時に、もしも「クソが!」やここには書けない、書きたく無い言葉が表層に出てくるのであればそれは知能が下がっているからです。怒りは人の知性を無くします。

ゆっくりと語彙を、表現を、象限を豊に豊富に使うことができれば、いつまで経っても帰らない招かれざる客に対して「ぶぶ漬けでもどうどすか?」と言えることでしょう。

言葉は知性の表れです。言葉を豊富に使える人を私もあなたもまるで神を崇めるかのように見てしまいます。それこそXの神ポストを見れば、「わかりみが深い」と思ってしまいます。

語彙が多いのであれば人生は楽しいものに変換できます。「マジきつい、マジだるい。」しか語彙が無ければ「明けない夜は無い」の人に幸福度で叶うはずがありません。

全ての言葉を自分の語彙に当てはめて不幸になる人を所所在在見受けられます。

「また部長に怒られた。クソっ。あいつ口ばっかり達者で動きもしないのに」

指摘というのは受け取り方、つまり受け取る人によって180度意味が変わることがあります。おそらくその人には指摘や教示という語彙が百科事典に載っていないのでしょう。

確かに受け手にもっと伝わるメッセージを!というご指摘は思慮深いメッセージではあるのですが、語彙という名の知性が無い人には荒唐無稽な話しなのでは無いでしょうか?

このnoteだってそうです。私はあなたにテレパシーを送っているのとなんら変わりはしないのです。私はできうる限りあなたに伝えようとしています。

しかし、受け取る側に受信機がなければいくらテレパシーを送ってもなんら意味を成し得ないのです。

私も努力してあなたに生きる希望を、生きる勇気を、生きる楽しみを贈ります。

できればあなたがその恋文を受け取る《良き友人》であることを心の底から望みます。マジで!ヤバくない?ヨロです!

それでは、また、金曜日に。

あどりでした。

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