見出し画像

「企業文化」が重なり合うとき

12月になりました。あと1ヶ月ほどで、あらゆる人に変化を強いた2020年というたいへんな年が終わります。まだ少し気が早いかもしれませんが、忙しい師走は油断するとあっという間に過ぎてしまいますので、自分にとって今年を象徴するような事案をタネに、2020年という印象的な年をかんたんに振り返ってみたいと思います。

M&Aからのスタート

コロナが社会問題として前景化する前の2020年1月、私が所属している株式会社フィードフォースとアナグラム株式会社がM&Aによりグループ化しました。

年始一発目のIRは両社の周辺をザワザワさせましたが、あれからまだ1年も経っていないにもかかわらず、今年はいろいろありすぎてすでに遠い昔のようで懐かしさすら感じます。

今となってはあの時の何ともいえないソワソワしたムードを思い出すのも難しくなってしまいましたが、当時のアナグラム代表の阿部さんのnoteやFerretさんのインタビュー記事にその時の空気がパッケージされているのでもしご興味あればご覧ください。

記事をご覧いただくとわかりますが、どちらも「文化的に近い」「カルチャーが似ている」といった表現が出てきます。両社の企業文化が合うという文脈です。


「企業文化」とは何か

では、「企業文化が合う」というのはどういうことでしょうか。そもそも企業文化とはなんなのでしょうか。

その疑問は、すでに以下の冨田憲二さんのnoteに回答があります。企業文化という、わかるようでわからない、ぼんやりして掴みどころのない概念について理解するために最良のテキストのひとつだと思います。 

※勝手に参考にさせてもらってすみません!

正直、企業文化について知りたければこの記事にすべて書いてあります。このあと私がだらだらと言葉を重ねる必要はありません。

ですが、「企業文化」が画面の向こうの読みものではなく現実的かつ重要な課題として目の前に降りかかってきたときに、渦中の人(今回は私)が何を思いどう考えたのか。上記の素晴らしいテキストにひとつのケーススタディを添えることは多少でも意味があるんじゃないだろうか。

そんなことを思いまして、今日はフィードフォースとアナグラムという二つの企業が一つのグループになる前に、ただ一人両社に片足づつ突っ込んでいた私が、その狭間と過程で考えてきたことをちょっとだけ書くことで、今年の振り返りとしたいと思います。


文化とは「その人間集団が共有する価値の体系」

文化人類学者の故・梅棹忠夫氏は、『二十一世紀の人類像』という本の冒頭で、民族と文化を以下のように定義しています。

民族というのは文化を共有する人間集団のことである。文化とはその人間集団が共有する価値の体系である。民族が他の民族に接触するときその価値の体系が露出する。多くの場合人々はその価値の体系の差に冷静に対処することができない。そして軽蔑と不信が浮かび上がる。文化とはその意味では他民族に対する不信の体系である。


民族というのは文化を共有する人間集団のことである。文化とはその人間集団が共有する価値の体系である。

↑この一文は、民族と文化の定義として非常に簡潔で分かりやすいものです。

そこで、試しに企業を一つの民族と捉えてみて、上記の「民族」に「企業」を、「文化」に「企業文化」を代入してみると以下になります。

企業というのは企業文化を共有する人間集団のことである。企業文化とはその人間集団が共有する価値の体系である。

何となく、企業文化の定義がすっきりと入ってくるような気がしませんか。私はこの短い2つのセンテンスが腹落ちします。(短いので覚えやすいですし)

そして、今つくったこの定義にしたがうと、M&A(企業合併)が難しい理由も端的にわかります。違った価値の体系を持つ集団が一緒になるとどうなるでしょうか。

民族が他の民族に接触するときその価値の体系が露出する。多くの場合人々はその価値の体系の差に冷静に対処することができない。そして軽蔑と不信が浮かび上がる。

多くの場合、軽蔑と不信が浮かび上がるそうです。何となく想像できますね。

ここで問題になるのは、第三者が理解できる会計的なメリット、表層的なシナジーといった話ではなく、人間集団の持つ感情の強い反応とゆらぎです。

文化とはその意味では他民族に対する不信の体系である。

企業文化、つまり他企業への不信の体系が重なり合うとき、それぞれの体系の差に冷静に対処し、どう紐付け接続していくか。そこにM&Aのほんとうの難しさと醍醐味があるように思います。

企業文化の文脈では、一般に「ビジョン=目的地」「ミッション=移動手段」だと言われます。そうなると、同業種や同じビジネスモデルであればこれらはある程度似てきてしまいます。ぜんぜん違ってたらむしろおかしいですからね。似ているのは仕方のないことです。

一方で、「バリュー=人」です。前掲の冨田さんの記事では採用を輸血という比喩で語り、バリュー=血液型と表現されていますが、まさに血が合うかどうかは、採用よりもたくさんの人が関わり合うM&Aでこそ一層重要な意味を持ちます。血液型が適合しなければ拒絶反応が出ますが、その量が多ければ多いほど生命に関わるからです。


価値の体系が重なり合うとき

私が今回のM&Aの話が出てから実際に締結するまでにいちばん気にしてきたこと、そしてこの1年弱のあいだに見てきたことは、このバリューの実態でした。

企業文化が他企業に対する不信の体系であるならば、その不信をどのようにして最小化するのか。バリュー=血液型であるならば適合試験はパスできるのか。

結論からいうと、この1年弱のあいだ、両社の文化は不信に陥ることなくここまで来れています。

世の中にあるM&Aと比較すると決して規模が大きいわけではありませんが、これほどスムーズに移行している例はあまりないんじゃないかなと思っているくらいです。

それは事業のシナジーはもちろんですが、何よりもバリュー、つまり人であり価値の体系が似ている両社が出会い、この1年間それぞれの企業文化に一貫して不信ではなくリスペクトをもって対応できたことが大きな要因だと思っています。

それは尊重と協調を尊ぶ企業文化が両社のバリューとして組み込まれていたこと、そしてそれが単なる言葉ではなく社員や役員の日々の一挙手一投足で体現できていたからではないかと思っています。

画像1

フィードフォースのバリューで私が好きな2つ。体現できてます。

本当にたまたまなのですが、私はM&Aの話が出るずっと前からどちらの企業にも属していて、双方のバリューを単なる言葉ではなく体感として知っていました。お飾りの文字列ではなく行動の規定(Code of conduct)として生きていることを知っていました。

だからこの話が出たときに「なんか…うまくいくのかも…?」というぼんやりとした予感があったのを憶えています。私はどちらかというと思考がネガティブ寄りなので、どうしても出来ることより出来ないことを先に計算しがちなのですが、思えば珍しく最初からポジティブだった気がします。

実際、具体的に経営陣が骨を折って何かを伝えたとかそういうことはなく、ただただ自然に、自発的にコラボレーションが始まっていったのはうれしかったです。

今では「世の中のデューデリジェンスには企業文化を価値算定の筆頭項目として入れるべきだ」くらいに思っています。


違うようで似ている兄弟

今年の1月にフィードフォースがグループ経営に移行してから年が明けると一年になります。

グループ化するにあたり、当時私は単なる仲人役にすぎませんでしたが、現在はグループの中の新たな子会社としてリワイアという会社を10月に立ち上げました。その直前に書いたnoteはこちら。

グループの中ではまだまだ赤ちゃんですが、私はリワイアの代表であると同時にフィードフォースの取締役でもあるので、前提としてリワイアがフィードフォースグループ全体の中でどういう文化をもつのか、言い換えればどのように他のグループ会社と価値の体系を共にするべきなのかということを考えます。

もちろん顧客に対する提供価値は他の2社と少し変わるはずなので必然的にバリューも少しずつ変わっていくはずなのですが、それでも、煮詰めていくときっと3社は兄弟のように似てくるはずなのです。

歳の離れた偉大な兄たちの背中を見て赤ちゃんのリワイアは育つと思います。(働いている私はおっさんですが。。。) 先行する兄弟が日々何をどう判断してどう動いているのか、その価値基準の中で少しづつ自分の特色を出していくことでしょう。 ※万が一育たなかったらファミリーの責任です笑


結びにかえて

2020年は本当に多くの人にとって激動の年となりました。きっと未来から今を振り返ったときに、誰しもが(いいかわるいかは分かりませんが)忘れられない1年になるのだと思います。

前向きな振り返りになるかどうかは、これからの自分たち次第です。私は、2021年も働くを豊かに、マーケティングで未来を豊かに、そしてそのためにつなげる(再接続)を意識しながら働いていきたいと思います。

最後に、この記事はフィードフォースの「アドベントカレンダー2020」の初日の記事です。ここからクリスマス当日の25日までフィードフォースの社員が1日1記事ずつアップしていきます。まだ全部の日が埋まってなくてちょっぴり不安ですが、、、ぜひこちらもチェックしてみてください!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?