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夢のカナダのホースリトリートに行ってきた③

さぁ、始まりました、リトリートの初日。

嘘みたいに、めっちゃ寒い。
万が一のために、ウルトラライトダウンを2枚と、レインコートを持っていて良かった。
完全フル装備で挑むという予想外の展開で笑

毎日の決まったルールは、朝、オラクルカードをひいて、今日のメッセージをジャーナルすること。

そして、ゲストハウスから、馬たちの厩舎があるところまで徒歩20分ほどあるんだけど、その道中は必ず1人で、いろんなことを感じながら歩いて行くというルールがあった。
集合時間は9時頃、そこは全然テキトーな感じで、自分の気分の赴くままに、というゆるっとな感じなんだけど。

道中は大自然を眺めながら歩くから気持ちいいのだけど、ふと不安がよぎった。
あれ?集合場所行ったことないけど、大丈夫かな?
道はわかるのか?あれ?夫は先についてるかな?
私が最後かな?もう始まっちゃってるかも!?
1人にされたら、何言ってるかわからないよぉ泣

…あぁ、私の中はなんて無駄な恐れで溢れているんだ。
なんとかなるだろって、平気な私と、不安でソワソワする私。
不安や心配が出てきては、俯瞰しながら歩く時間。
正直、周りの景色を堪能することなく、気づけば息が上がるほど、早歩きで到着していた。

そして気づいた。あ、私、こんな静かな自然の中を、1人っきりで歩いたことないな。

街中は1人で行動できるけど、自然の中に行くときは、いつも犬や夫が一緒だった。
不意の孤独感にまた不安がよぎった。

でも、1人で歩いてることが怖いわけじゃないことにも気づく。

私の中にある様々な不安感や恐れの感情が、手放すために浮き上がって来ていると感じた。

元々、心配、恐れが多いタイプだった私。
日々のクリーニングで、昔よりは減ったし、気付けるようにはなっていたとはいえ…

この土地に入った時からすでに、汚れを浮かして洗い流すかのごとく、内側から要らぬありとあらゆるザワザワが浮き上がって来ていた。

心配をよそに、みんなゆるっと好きな時間に集合して、ゆるっと居る。
なんならファシリテーターが1番のんびり登場。
そーよ、日本ならまだしも、ここは海外よ笑
自分の真面目さが滑稽で笑えてきた。

犬6頭や、猫たちは基本的に、自由で、あちこちから出没してくるから
厩舎に近づく頃には、誰かしらが駆け寄ってきて、迎えに来てくれるのもまた癒し。

馬たちは、朝ご飯の時間になると厩舎(リズのお家と隣接)の方へ集まってきて。
朝ごはんが終わる9時頃になると、厩舎の中に自然と入っていって、それぞれの瞑想タイムが始まるのだ。
これまたものすごく不思議な光景で、動画で見たこの姿が圧巻だったのだ。

厩舎といっても、なんの区切りもない、広いお部屋で、柱に人が腰掛ける椅子があるくらい。

厩舎というより、瞑想小屋

朝ごはんを終えた馬たちが、ゾロゾロと中に入っていく。自分たちの意思で。

人も、思い思いのところに腰をかけて瞑想したり、ジャーナルしたりする時間。

そもそも、馬とこんな近距離でくつろぐこともないし、馬自体が見知らぬ人たちとくつろげることがまずすごいんだけど。
そこじゃないのよ、すごいのは。

凄さは語り尽くせそうにないので、まずは私の初日の体験を。

リトリート初日、みんなドキドキワクワクしながらそれぞれに、柱の椅子に腰を下ろす。

それに合わせて、馬たちは、馬たちで配置換えをするのだ。

人の配置によって、また、その都度都度の状況で馬たちは立ち位置が変わったりする。 

ボスのような、場のホールドをする担当のような馬がいて、人間の抱えてるものに合わせて、最適な配置へと、馬自身が馬たちを動かすという。

というより、宇宙とダイレクトに繋がっているから、意識的というより、ほぼ宇宙に動かされているようなものだと、リズは言う。

並んだり、何頭もで1人を囲ったり、時には神聖幾何学のようになったりもするようだ。

初日、初めての馬と瞑想

動画を見て行ってるから、馬の距離感が近かったり、囲ってもらったりするのに憧れるのだけど。

リズ曰く、大体は3日目くらいまでは、人のハートがオープンにならないから、馬自身がその気持ちをリスペクトして、距離をとってくれることが多いらしい。

周りを見渡すと、人に支持されるわけでもないのに、馬たちがゾロゾロと配置につき始める。

「来てくれないかな〜♪」「触れてほしいな♪」なんて浮き足だった気持ちが上がってきては流し、を繰り返しながら、静かに瞑想に入っていく。

そんな時、馬が近寄って来てくれて、何頭いたかはわからないけど、バチン!!!とダイレクトに繋がった瞬間。

私の興奮や緊張の糸がブチっと切られたかのように、私の中のなんらかの蓋が、ばこーんと開いて、一気にエネルギーが雪崩のごとく流れ込んできた。

言葉にならないほど、美しいエネルギーがただただ私を流れて行く感覚。
あまりの美しさに、涙がボロボロ溢れ出る。なんじゃこりゃ。
人って、ただただ美しさを感じて涙って出るんだ!?ってびっくり。

目を開くと、ただ目の前に馬たちがいて、人が座っている光景なのだけど。
あまりの美しいエネルギーが流れまくって、優しすぎる滝行かな!?っていうほどに、
私がザバーンと洗われてるような気さえした。
心地良すぎるエネルギーだ。

ただただ、私もそこに座り、美しいエネルギーを流し続けていると、
今度は「ありがとう」のエネルギーで幸せに満ち溢れた。
なかなかない、こんな感覚、こんな体験。

滝のように、美しさとありがとうの波動のエネルギーがただひたすらに流れ込み、
そのエネルギーで内側が満たされまくる。
ものすごくパワフルなエネルギーで包まれる不思議な感覚。

馬たちは、ただそこに居るだけ。ただそれだけなんだけど。

こんなにも、ただただ自分自身の純粋なあるがままで在ることが、
純粋なエネルギーをこんなにもまっすぐに通し、与えるとは。

あまりのパイプの太さやクリアさが尋常じゃない。

彼らは、癒してあげようとか、そんな意図を持っているわけではなくて。
ただ、自分自身であることで、それこそが最大のヒーリングであることを
ただ知っている。宇宙意識そのものの存在だということ。

アニマルコミュニケーションで、飼い主に対する愛の深さや
亡くなったペットから飼い主に送る愛の美しさを感じて涙することもあるけれど。

初めましてのお馬さん、何の信頼関係もない相手に。
ただただ、こんなにも大きな愛を流してくれる。いや、流れてしまうのだ。

無条件の愛。宇宙の愛そのものを、こんなにもダイレクトに
目の前の動物や自然を通して感じる体験は初めて。

目を開けると、人も馬もそれぞれ静かに瞑想しているだけの空間。

ただね、その光景がまた、純粋に目で見ても美しいのだ。
見たことないもの、こんな景色を。

日によって、人の状況によって、フォーメーションも頭数も違う

それでまた涙が止まらないという。なんて幸せな気持ちだろう。

1人涙ボロボロの私を見つけて、リズが連れ出してくれた。

瞑想小屋には入らず、いつも自由気ままに、好きなところで1人で眠るのが好きだというフラワーの元へ。

彼女は、とっても穏やかで、犬たちが飛び乗っても、寝て居るところに人が周りで一緒に写真を撮ろうが、気にしないで受け入れてくれるらしい。

確かに、朝、厩舎についた時から、中に入らず、柵の外の藁の中で、1人で爆睡している子がいたのだ。それがフラワーだった。

すごく穏やかマイペースなフラワー

寝てるところお邪魔して申し訳ないと思う私をよそに、リズは私をフラワーの背中側に回して、添い寝していいよと。

馬と添い寝したことないから、ドキドキワクワク。

気にせず寝るフラワー


幸せすぎる感動と、馬から伝わる「受容」する愛。

リズが気遣って、夫もそばに連れて来てくれた。

馬歴20年以上の夫も初体験

馬と関わってきた夫は、馬の怖さも知っているがゆえに
恐れもあったみたいだけど、安心して身を委ねてみた。

夫は幼い頃から、馬に救われてきた部分も大きい。
私は、この夫と馬の姿を見ながら、また涙がちょちょぎれる。

彼の少年時代のインナーチャイルドとお馬さんの姿のような気がして。
どれほど馬に心支えてもらってたんだろうと思うと、
馬たちへの感謝が溢れてとめどないのである。

夕方、輪になって全員で今日のシェアをする時間がある。

シニアのシェパードが入り口でこちらを見ていた。
その瞬間、私の特別な先代犬のシェパードのオーブ(お空組)が見えた。
「ようやくここまで来たね!!」
そう誇らしそうに、讃えてくれている気がして、感無量でまた涙が洪水。笑
素晴らしいパートナーだったオーブ。
私の夢をいつだって後押しして支えてくれていた最高の応援団長。
亡くなってからも、二人三脚感は感じていた。

ちなみに、私はそんなにいつも泣き虫なわけではありません笑

夫に通訳をお願いし、今日感じたことをみんなに伝えた。
するとリズは大きく頷き、話してくれた。

「Love is flow」

愛は流れているものであり、流れの中にいるだけでいい。
与えることは受け取ること。
受け取ることは与えること。
受け取り、与える、自然の流れであるということ。

全てのコントロールを手放し、その流れの中にただ存在することが
愛そのものであると言うこと。

(夫の通訳はだいぶ簡素化したりするので笑、夫の通訳を含め、私が彼女や動物たちから感じて受け取った感覚で言語化しています。)

つい愛とは与えるものだと、与えることばかりに夢中になったり
受け取るのが苦手な人も多いと思う。
愛を与えるということすら、もはやコントロールなのかもしれない。
受け取ってほしいと期待してしまうこともある。

愛を与えるのではなく、自分自身が愛で在ること。
ただひたすらに自分自身の本質を生きるだけでいいのだ。

ただありのままに存在している動物たち。
それだけで、こんなにも幸せのエネルギーを膨大に周りに与えることができる。
それは人間も同じで。
それぞれの光を放つことが、最大の癒しになるのだ。

与えようとしなくとも、ただあるがままの自分を生きるだけで、
それだけで、最大のヒーリングを自分自身を通して、全てに流すことができる。

ただただ、愛の流れの中に存在するだけ。
何もしなくても、勝手に周りがヒーリングされていく。
生きてるだけで、パワースポットなのだ。

私は、いろいろなヒーリングの手法を学んできたのだけど。
どれも素晴らしいものなんだけど、どうも私の中の魂の部分にまでしっくりきていなくて。
ヒーリングメニューを考えたりもしたけど、私がやりたいこととは何かが違う気がして踏み出せずにいたのだけど。

その答えがここにあった。
なんだかものすごく腑に落ちた。
私は、こう在りたいだけ。
パワースポットになればいいだけなんだ。

(ちなみに、ヒーラーさんのお仕事は素晴らしいもので、とてもリスペクトしてる。お馬さんたち同様、お役目あってのこと。ヒーリングの施術を否定することではなく、私自身の魂がそれを行う側になることを喜ぶか否かのお話し。町中にこんなにフリーなお馬さんは存在できないからね笑)

もちろん、この概念は、今までも耳にして理解もしてきたし、「あるがままで在る」ということは、移住してからよく感じる私のテーマでもあり、取り組んではいたのだけど。

こうもザッバーンとダイレクトに大波を浴びて、理解云々ではなく体に落とし込むと、深く深く腑に落とせるものなんですね。

その夜、寝る前に瞑想していると、
突然、第二チャクラのあたりから、黒い岩のような何かの栓のようなものがスッポーンと抜けて、宇宙に吹っ飛んでいった。

あ、始まる。なんか、出てくる。
そう感じた。

初日のこの日は、ものすごく陽のエネルギーをダイレクトに浴びて、
強い光のシャワーを浴びて、すごくすごく爽快な気分で、ヒーリングの序章を感じていた。

そのおかげで、内に秘めた根深かった闇を抑えてた栓が抜かれたようで。

2.3日目に、自分の根底、深い部分の恐れが溢れ出てきて、大きなお洗濯をされるのであった…

続く…



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