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価値の基準。売地の看板から派生したお話。


犬のお散歩中、ふと目に止まった看板。

「50坪、90万円」

もちろん、立地条件で値段は変わるのはわかる。

でも、50坪という広さは変わらないわけで。

神奈川で土地を探していた頃、50坪で3000万はしていたし

都内の一等地じゃ、1坪がとんでもない金額だしね。

藤沢にいた頃は当たり前に、それくらいするものだと思っていたけど

山梨に住み始めて、なんだか変なのーって思わずにはいられない。

一坪数万だけど、山梨の田舎の土地に惹かれて、ここがいい!!ここが好きだー!!って、ここに住み着いた私。

世間的な数値的には価値が低いとされている場所だけど、私には猛烈に惹かれる価値ある場所。

姉は絶対に近寄りたくないらしいけど(虫が無理すぎて笑)

目の前には、捨てられた盲目の老犬チワプーが一生懸命歩いてるわけで(この子の散歩中)

この子も、きっとかつてはペットショップで何十万かしていたのだろう。

ペットショップでは、何十万、何百万で売られる命があって

かたや日々センターで殺処分に怯える犬たちがいて。

金額って、なんぞや?と思うわけでありました。

「価値」って人それぞれなのはわかる。

何億出しても都内のタワマンに住みたい人もいれば

何億あってもそこに住みたくない人もいる。

若い頃、姉と六本木ヒルズで開催されていた、なんかすごい宝石展みたいなのに行ったことがある。

私はまるで興味はないのだけど、たまたま会う日に開催中で、強引に連れて行かれたのだけど笑

歴史ある宝石だとか、展示された装飾品は確かにとっても綺麗だった。

ただ、宝石にもブランド物にもさほど興味のない私は、わーきれいだねーと感動はしたけど、それ以上でも以下でもない。

宝石に見惚れて感激した姉は、後日、同じ感性の祖母を呼び出して、もう一度観に行って、2人で歓喜していた。

「どーせあんたにはこの価値がわかんないよねー」と馬鹿にされた記憶が蘇った。

感性も価値観も違うのだから、何に魅力を感じ、何に価値を見出すかの「違い」なだけなのに。

少し話がずれるけど

世の中には、高価なもの=価値のあるもの、と思い込まされ過ぎている節がある。

もちろん、職人さんの手仕事が関わってきたり、高価であるものには理由がある。

だがしかし、「高価だから価値がある」訳ではないということ。

人それぞれの価値基準は、百人いたら百通り違っていいし、その基準に、高いも低いも、いいも悪いもなくて、誰にジャッジされる必要もない。

テレビの格付けスペシャルを見ていると、よく感じるのは

高価な物を食べていると豪語する芸能人たちも、結局のところ、本質的な味の違いはわかっていないということ。

高くていい物ですよって出されたら、それはそう感じているというだけ。

目隠しされたら、もうそこの違いなんてわからない笑

本質的に、いいもの、美味しいものを感覚で捉えて理解しているのか

そう言われているからそう信じているか。

そこの違いはとても大きく感じる。

だからこそ、「自分の感覚」をいかに研ぎ澄まし

自分の感覚を信じて、そこに忠実に生きていくことが大切で。

誰々がいいって言ってた、今流行ってるからだけに捉われず、

自分はそれをどう感じるか?を意識した上で、一つ一つの価値を見出していく。

この地味で地道な作業がとても大切だと思う。


何を隠そう、私も昔は、親の言うこと、姉の言うことが、正解なんだって思って生きていたから。

「お前はわかってない」「だからダメなんだ」「ダサ!恥ずかしい!」って言われて、自分の感覚は間違ってるんだって思い込んで。

そーゆーもんだって、生きていた時期がある。

私の意見とは違うけど、それが正解なんだと思って、さも自分の意見かのように、価値のあるものを捉えていた。

正解や、正しい価値観を、求めていたんだよね。そんなものないのに。

自分の無価値観を埋めるために。

誰かの価値観の範囲の中、その狭い範囲の中での、価値ある基準を求めて、間違わないように一生懸命生きていた。

今振り返ると、せっまい世界観で生きていたし、全然価値観もタイプも違うのに、そこに合わせて生きていた自分…よく頑張ったねぇ!!って信じられないほど…

それこそが、自分も傷つけていたし、そんな自分を正当化したくて、きっと誰かを傷つけてきただろうとも思う。

だからこそ、自分の価値観で判断して、自分の価値基準を大切に生きていくことの大切さを痛感している。

大切、と言うよりも、その方がずっとずっと心地いいから。

私には価値がある物。あなたにとって価値あるもの。

その感覚は違っていい。大切にしたい価値基準は違っていい。

張り合う必要も、競い合う必要もなく。

私はこう思う、と言うことは、相手を否定することでないということ。

あなたはそう思うんだね、私はこう思ってるよ。

もし誰かに否定されたからと言って、間違っている訳じゃないし。

否定し返したり、戦う必要もない。

自分が揺らがなければ、それでいいのだ。

「私は好き」って、堂々と思えるその感覚を、大切にして生きていきたい。

そんなことを振り返ったお散歩タイムでした。














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