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悲しみの中にいるということ。
リトリート初日から気になっていた馬がいる。
群れと離れて、別部屋で1人でいたプロスペイラー。
もの悲しい泣き声のような声を上げながら眠りにつく。
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どうしてこの子は隔離しているの?と尋ねると
16年間一緒だったこの子のママが死んじゃって、今悲しみの中にいるのだと。
隔離しているわけじゃないけど、今は群れと一緒にいるより、ここで1人でいることを
この子が選んでいるから、ただそうしているだけ。
そう言いながら、リズは「明日あなたのベイビーが来るヨォ!!」と
シーマがやってくることを嬉しそうに伝えていた。
シーマがきてから、シーマとプロスペイラーは同じ場所で過ごす。
最初は、新入りにイラっとしていたプロスペイラーも日に日にすんなり受け入れていた。
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シーマがいようが、誰がいようが、プロスペイラーの悲しみが癒えるわけではない。
リズも、悲しみから救いたくてシーマを迎え入れたわけでもない。
群れの仲間たちも、たまにこちらの様子は見にくるが、一緒においでよってこともせず。
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自由なフラワーが入って来たりもするが、みんな彼女をどうこうするつもりはない。
励ましたり、慰めるわけでもなく、ただそっと寄り添い、見守る。
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今は悲しみの中にいるプロスペイラーだけど、それは人生の中の一つのパート。
ただ、今は、悲しみのプロセス中にいるということを、誰もが受け入れ、見守るだけ。
早く群れに帰っておいでと急かすこともなく、かといって突き放したり、見捨てるわけでもない。
同情というおもりで共に沈んでいくことなんてあり得ない。
ただただ、みんなそれぞれに自分を生きているだけ。
自分自身をブレずに生きることで、場をホールドし続けているのだ。
あとは本人が、自ら扉を開けて出てくるのを、待っているだけ。
自らの意思で出てきた時に、ただ温かく受け入れる。それだけ。
とってもナチュラルなサポートを、形として見せてくれた。
人はついつい、悲しみから早く抜け出さなきゃ!と焦ってしまうし、
悲しみの中にいることはよくないことのようにジャッジしがちだ。
周りの人も、悲しみの中にいる人を見たら、どうにかしてあげなくちゃ!と思いがちだし、過度に慰めたり、励ましてしまいがち。(昔の私もそうだった。)
もちろん、その支えが必要な時もあるし、それに救われることもたくさんある。
ただ、悲しみの中にいても、「私はどうせ大丈夫。」ということを知ること。
今は、そのプロセスの中にいるんだと、その流れにサレンダーすればいい。
あらがうから、苦しくなる。
悲しい、うんっと悲しい、つらい。
それでいい。悲しみきるのを待てばいい。
かかる時間はみんな違う。他と比べるから、自分はダメだ!早く元気にならなくちゃ!って焦り、あらがう。
「私は、今悲しいね、辛いね」って、自分が1番寄り添ってあげること。
ぽっかり空いた穴は、他の誰かじゃ埋まらないことは、自分が1番知っているのだから。
喜、怒、哀、楽。どれも同じ、それぞれの感情。いいも悪いもないのだ。
誰かがすくい上げようとしても、その手を掴み、ハシゴを登るのは自分の足なのだから。自分で決めればいい。
いつの日か、自分のタイミングで、自分の手で扉を開けて、出てくればいい。
扉の外で、みんな待ってるよ。
それまで、あなたを信じてる。
かつて繰り返し流産で苦しみ、鬱状態でいた過去の私を思い出した。
どんな慰めや励ましの言葉も、受け取る準備ができていないから、真っ直ぐに受け止められなかった。
底なし沼にいるように、あらがうほどに沈み、
長いこと悲しみから抜け出せなかった。
明るく取り繕えば、取り繕うほど、虚しさは増す…
その間、ただひたすらに早く出てこーい!と急かすこともなく、待ち続けてくれていた夫。
今思うと馬のような愛の形じゃぁないか。
時間はかかったけど、自分の心の準備ができた時、自分で扉を開けることができた。
たっぷりの時間と、見守る愛に救われたのはいうまでもない。
愛する家族との別れ、愛するペットとの別れ、愛するパートナーとの別れ…
どんな理由の悲しみにせよ、悲しみの度合いは人それぞれ。
誰かがジャッジするものじゃないし、自分が自分をジャッジしないで。
心が引き裂かれるほど悲しいのは、そこに大きな愛があった証。
愛の中に生きた自分を、大切に労わってあげて。
馬たちから感じたエネルギーから、そんな過去を想い出し、また癒されたのであった。
サポートの仕方って、いろんな形があって。
人それぞれのタイプってあると思う。
私はただ、暗闇の中で目を覚した時、「こっちだよー!こっちこっち〜♪」って
目印になる光を放ち、道標として立っていられるサポーターでありたい。
そんな感じのなんとなくのビジョンでいたここ数年。
馬たちの姿勢を見て、自分の理想の在り方はこれだ!って、答えをもらった。
自分自身をブレずに生きることは、安定した場をホールドすること。
わかりやすいサポートではないけれど、それでいい。
あの場で感じた、馬たちのような大きな愛で生きていける私で在りたい。
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