「人生そんなに甘くない」

「~はそんなに甘くないから辞めときな」

これまで生きてきて他人と少しでも違うことに挑戦しようとすると必ず言われる言葉がある。

それが~は甘くないから辞めなという言葉だ。私を心配してそういう人もいれば妬みや嫉妬からその発言に至った人もいるだろう。

とにかくいえることは、その発言をする人の中に経験者が少ないということ。その世界が分からないから憶測と偏見で物を断定し止めに入る。

例えば、私は中学生の時に英語学習に興味を持ち、高校からは海外の高校に行きたいと考えていた。学校の先生、両親、クラスメートにその話をすると誰もが止めてきた。

「海外は危ないからやめな?」
「日本でも勉強できるじゃん」
「海外は日本人差別がひどいらしいよ」

こういった発言に加えて金銭面の問題もあったので結局断念してしまった。大学進学についてもバイトが禁止だったこと、誰からも許可が出なかったことで決断に至らなかった。

結果、私はとても後悔している。金銭面はどうしようもなかったため結果論にはなってしまうが、やはり留学はしておくべきだった。

私は英語が好きだ。仕事でも使えたらいいなと思ってきた。現在絶賛就活中で英語を使える職も視野に入れてきた。外資系企業、英会話スクール、塾、日本商社など様々。

しかし、某ウイルスの関係もあり去年まで機会のあったインターンや先輩のつてが一切なくなったこともあり相当な悪戦苦闘を強いられている。

私は現在専門学校在学中なので、一般企業は見る気もしてくれない。すべて書類落ちで問い合わせると学歴の欄が項目をクリアしていないといわれた。

こんな状況でどこも余裕なんてないことは十分に理解しているが、やはり自身の価値を疑ってしまう。

基本的に専門学生は専門性と実力で就活を行う。つまり普通では就職先がない。4年制の大学生より優れたものを持ち適切にアピールする必要がある。

前述した通り、私は英語関係の職に興味がある。しかし、現在私の実力を証明できるものは英語くらいしかない。それも英検準1級にTOEIC900点とその道の人からすると中の下ほどの実力しかない。

こんな私に企業が雇うだけの市場価値があるだろうか。おそらく皆無だからこそ悪戦苦闘しているのだろう。

最低条件は1つとびぬけることだと私は考えている。私の場合は英語力。ネイティブと比較しても劣らないほどの英語力に日本語能力があれば多少は違っただろう。

そこで必要だったのが海外留学だ。日本でも英語力はつけられる。私はそう思ってこれまで努力してきた。しかし根本的に間違えていた。

日常会話や英語でプレゼン・スピーチはできる。しかし、重要なのは仕事でつかえること。

留学をしたのであれば、バイトなども経験できる。日常で使う表現や単語もネイティブに近づくことができる。

私は根本的に間違えていた。あくまでも日本で身に着けられるのは基礎英語だ。中には、純日本人でそこまで英語が話せるのはすごい!とほめてくださる方もいるが、ある意味「あなたの英語力は”日本人の中では”すごいですね!」ということだと知った。

英語力だけでなく、他のことも知るべきだった。

「理解されない辛さ」

私は基本的に人からの理解を得ようとは考えていない。何故なら他人からの理解を得るのは非常に難しい事であり、一番大切なことは自分自身が何をやりたいかだからだ。

私比較的多趣味な傾向にあると思う。これまで、裁縫、料理、イラスト、ピアノ、卓球、英語、ドイツ語、その他外国語、ブレイクダンス、マンガ、小説など様々なことに挑戦してきた。

自分のやりたいに従ってきた。それは中学まで自分のやりたいをさせてもらえなかった反動だったかもしれない。

しかし、周りの人に理解されたと感じたことはない。
「結局どうなりたいの?」
とよく言われる。

私は好きなことを好きなだけ挑戦し、それを職にしたいと考えている。

「そんなに甘くないよ?」

どう甘くないのかを教えてほしい。多くの人は挑戦したことがない人。保守的な人だ。

私はその甘く無さを体験し、予習に復習を重ねてより価値の高い人間になりたい。やりたいことを初志貫徹する強さ、形にするための創意工夫。やり遂げるまで成長を止めない成長志向。

私には物事をやり遂げる自信があり、これまでも達成できなかったことは一つもない。死ぬときにはいくつか達成できなかった項目があるかもしれないが、少なくとも死ぬまでには達成する予定だ。

誰得な日記を投稿してしまうのは気が引けるが、読んでくださったならありがたい。若輩者のたわごとだと思って聞き流してくれたら幸いだ。

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