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対価~エピソード①~

私がバリスタとして働いた中で、二度、大きな壁にぶち当たった事があります。今回はその内の、一度目のお話です。

視線が合わない

バリスタとして働き始め、3ヶ月が過ぎようとしていた頃でした。当時の異例の早さで、入社後僅か3週間でカウンターデビューに追い込まれた私は、毎日が必死でした。仕事を覚え、休憩時間や仕事後にひたすらエスプレッソの抽出練習したり、常連客の名前と好みを覚えたり…。

先輩バリスタさんがBarへ異動されたばかりの頃で、その埋めきれるはずもない穴をほんの少しでも埋めなければ…、その葛藤の日々のとある土曜日、常連客Aさんがいらっしゃいました。

Aさんは、毎週土曜日の開店直後に必ずいらっしゃる常連客様で、毎回カウンターの右端に立ち、エスプレッソを注文します。そしてAさんは、Barへ異動された先輩バリスタの会話を、毎回楽しみにされている方でした。

その日、私は初めてAさんがいらっしゃる時にカウンターに立ちました。「Aさん、おはようございます」と声をかけますが、Aさんは正面に立つ私に顔を向けず、頬杖をついて外を眺め、無言のままです。

開店直後の土曜日、広いカウンターの空間に私とAさん二人きり。挨拶も交わせず、静かな空気が流れます。

失態

「ご注文はいかがされますか?エスプレッソでしょうか?」と伺うと、Aさんは「リストレット」と仰いました。リストレットとは、エスプレッソの抽出で通常より早めに終わらせる、濃厚なエスプレッソの状態の飲み物です。因みに、少し抽出を長くした飲み物を「ルンゴ」と言います。

「かしこまりました、少々お待ち下さい」とお伝え振り返った私は、頭の中でパニックになります。緊張のあまり「リストレット」と「ルンゴ」が混同していたのです。他のバリスタは、交代で賄い中で居ない、内線をかけて「リストレットってどっちでしたっけ?」とも聞けない、オーダーを待たせるわけにはいかない…。平静を装い、静かな空間の中で抽出し、Aさんに「お待たせしました。」とカップを差し出します。

横を向いていたAさんは、初めて正面のカップに目を向け、一瞬、動きが止まりました。その動きに「あ…」と私が反応するのも余所に、そのまま砂糖を入れて飲み干し、再び外を眺め、何も会話出来ないまま時間が経ち、Aさんは会計を済ませ店を後にしました。

私がAさんに出したのは、「ルンゴ」でした。気付いたのは先輩が賄いから戻り、リストレットの状態を確認した時で、既にAさんは店にいません。初めてのAさんへの接客で、バリスタなら基本知識の抽出状態を間違えたのです。カウンターで1人、項垂れ「やってしまった…、どうしよう…」と頭の中では既に翌週の土曜日への不安が募っていました。

お詫び

翌週の土曜日も、Aさんは来て下さりました。前週の失態から、私は「もしかしたら、私がカウンターに立っていたら来られないかも…」と不安だった私は、束の間安堵します。

「Aさん、おはようございます。先週は、大変申し訳ありませんでした。私がお出ししたのはリストレットではなく、ルンゴでした…。誠に申し訳ありません。」と伝えると、Aさんは初めて私の顔に目を向け「気が付きました?やっと」と一言だけ話すと、その日はエスプレッソを注文されました。

「何か会話をしなければ…、空間を楽しんで頂かねば」頭の中で話題を必死に考えて、異動された先輩との話題の多くが、飲食店の話だったのを思い出した私は「最近、何処かお店に行かれましたか?実は私前職がパティシエで食べる事が大好きなので、是非聞かせて頂きたいです。」

そう話すとAさんは、カップを眺めながら、最近オープンしたお店へ行った話をしてくれました。「私も今度、是非行ってみます!」そうAさんに伝えるも、その日もそれ以上会話は広げられずに終わりました。

挽回への道

その週の休みに、私は早速Aさんが教えて下さったお店へ行きました。口約束が好きではなかったのもありますが、次にお会いした時の話題に出来る、それが何よりの理由でした。

土曜日、いつもの様にAさんが来店され、いつもの様に頬杖をついて外を眺めながら、エスプレッソを注文されました。砂糖入れて飲むAさんに私は「先週教えて下さったお店、先日行ってきました。◯◯を注文して食べたのですが。。。」と話し出すと、少し驚いた様子でAさんは、初めてしっかりと私の顔を見ながら「もう行ったんですか?先週話したばかりなのに…」と仰いました。

「はい、折角Aさんが教えて下さったので、直ぐに行きたくて次の休みに早速行ってまいりました。」そう伝えると、Aさんは「じゃあ、この店は知ってる?」と、スイーツ系の別のお店を話してくれました。

Aさんに接客してから4回目のこの日、初めて「会話」が出来ました。そしてここから、私は教えて頂いたお店へはその週のうちに、必ず行く様にしました。それに加えて、様々な常連客やお客様へ話題を作れる様に、美術館やデザイン展、飲食店の食べ歩き等、客層に合わせた場所へ行く事に休みを費やしました。

沢山の情報収集して話題を振れる先輩方の様に、自分も少しでもお客様に空間を楽しんで頂ける、提供出来るバリスタとなれる様に。

変化

教えたお店に必ずその週に行き、感想を伝える私にAさんは、飲食店以外のお話もして下さる様になりました。

仕事の話や、異動された先輩とのお話、私の前職にも関心を持って下さり、質問に答えたり。顔すら向けてもらえなかった最初の日が嘘の様に、毎週土曜日の開店直後は、私も楽しみの時間になっていました。

後から聞いた話ですが、私の様にその週のうちに必ず教えたお店へ行くバリスタは、Barへ異動された先輩以外で私が初めてで「この子は、口約束はしない信用出来るかも…」と思って下さったそうです。元々口約束が苦手なのもありましたが、何とかして「会話」を繋げたかった行動が、功を奏した結果でした。

対価

そんな楽しみが増えたある土曜日、私は先に賄いを頂く日だったので、開店直後にカウンターには立てませんでした。代わりにAさんもよく話す先輩バリスタが立っていました。

賄いを15分程で済ませ、カウンターに戻ろうとした矢先、支配人から「Aさんが、ずっと待っているから急いで戻って」と言われました。「え!?」驚きながらも小走りでカウンターへ戻ると、外を眺めながら何も注文せずAさんが立っていました。

「おはようございます!すみません!お待ち頂いてたなんて…」と話す私にAさんは、「大丈夫ですよ、気にしないで。いつものを」と仰り、私は直ぐエスプレッソを抽出しました。その日も変わらず、飲食店の話等してAさんはお店を後にしました。

Aさんが去った直後、先輩バリスタと支配人から「どうやってあそこまで出来た(落とせた)の!?凄いよ。」と聞いてきました。Aさんが賄い時間を待ってまで、注文を待つことが、今まで一度も無かったと。つまり、私がカウンターに立つまで待っていて下さった。そこまでの関係性に持っていけた事が、以前からAさんを知る先輩や支配人からは、驚きしかなかったそうです。

私が初めてAさんに接客してから、半年かかって漸く築けたこの日の出来事は、やっとバリスタとして認めてもらえた様な嬉しい瞬間であり、私の中で何よりも嬉しい存在価値を頂いた瞬間でもありました。


その後に訪れる、二度目の大きな壁は、ある常連客さんの、言われる予想すら無かった「何気ない一言」から始まります。。。

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