Aさんの勤めていたパスティッチェリアが閉店し、関西へ異動されてから9年後、私はあることをきっかけに、Aさんが東京へ戻っていることを知ります。 投稿ある日、インスタグラムのおすすめ一覧をスクロールしていたところ、Aさんが写る投稿がありました。タップして見るとそれはAさんのアカウントで、関西から東京へ戻る内容のものでした。そして他の投稿も続けて見てみたところ、私が知るコーヒー屋さんに勤務するという情報も記載されていました。 「Aさんが帰ってくる」と嬉しかった反面、当初は会いに
エスプレッソに興味を持ったのをきっかけにバール巡りをして、記した「バールノート」。あれから12年が経ち、彼等の今に会いに行きたくなりました。その記録を、ここで残していこうと思います。2人目は、バール巡りから紹介で知り合ったバリスタさんの話です。 出会いAさんを知ったのはバール巡りの始めの頃、とあるバリスタさんに紹介してもらったのがきっかけでした。都内では珍しい「パスティッチェリア・バール」で、イタリア菓子が並ぶイタリアンバールにAさんは居ました。 場所柄もしかりですが、石
きっかけNさんが独立してから6年が経っていたある日、当時の職場でバリスタの大会の話題になりました。私が元バリスタだということは部署内で周知されていましたが、バリスタの頃の繋がりの話などは、その話題になるまで詳しくは話していませんでした。話す必要もないと思っていたからです。 大会の話の中で、昔の大会の話になりました。「12年位前の予選会とか、凄い緊張感の中で行われていましたよね。」と話すと上司から、「よく知っているね、予選出ていたの?」と聞かれたので「まさか、〇〇さんの応援に
エスプレッソに興味を持ったのをきっかけにバール巡りをして、記した「バールノート」。あれから12年が経ち、彼等の今に会いに行きたくなりました。その記録を、ここで残していこうと思います。一人目は、私が当時から圧倒されたバリスタさんの話です。 出会いNさんがいるお店に行ったきっかけは、他のバリスタさんの紹介からでした。バール巡りをする中で、毎回必ずお勧めのバール又はバリスタさんを教えて頂き、次の機会に訪問する。その繰り返しの中で「大会で優勝したこともある、凄いバリスタさんですよ」
3週間ぶりの更新になってしまいました(汗)。今回は、何故私が「旅するお菓子や」と名付けたのか、そして、何故「ベーキングパウダー及び保存料不使用」のお菓子を作っているのか、話が出来たらと思います。因みに、トップの画像は私がマルシェへ出店する時に使うロゴです。「a dopo」と前に付けた話も出来たらと思います。 コンセプト先ず、私のお菓子のコンセプトはプロフィールにも記していますが「コーヒーやお酒に合うお菓子」です。私が元々、甘いものが得意ではなく(パティシエのくせに)、バリス
書こうか書くまいか、最近心の中で考えていたことがありました。今回は、そこから書くと決めた始まりの話です。 バールノートの存在以前にも記しましたが、私にはパティシエの経験を重ねる途中で、バリスタとして勤めた頃が数年ありました。そのきっかけは、エスプレッソに興味を持った事で始めた「バール巡り」であり、自身の記録用にと付け始めた「バールノート」です。 パティシエに戻ってからも、エスプレッソが好きなのは変わらず、バールへも時々通ったり、親しいバリスタさんとは繋がっていて、近況報告
私がバリスタとして働いた中で、二度、大きな壁にぶち当たった事があります。今回はその内の、二度目のお話です。バリスタとして勤めて1年ほど経ったある日の朝、後輩から聞いた一言からはじまります。 予期せぬ一言バリスタとして勤め始めて1年程経った、ある日の朝のことでした。出勤するなり後輩から「聞いて下さいよ!昨日、Xさんが『〇(先輩バリスタ)さん以外と話してても、ちっとも楽しくない!つまんないんだよ』って言ったんですよ。珍しく酔っていたとはいえ、酷くないですか!?」と報告してくれま
私がバリスタとして働いた中で、二度、大きな壁にぶち当たった事があります。今回はその内の、一度目のお話です。 視線が合わないバリスタとして働き始め、3ヶ月が過ぎようとしていた頃でした。当時の異例の早さで、入社後僅か3週間でカウンターデビューに追い込まれた私は、毎日が必死でした。仕事を覚え、休憩時間や仕事後にひたすらエスプレッソの抽出練習したり、常連客の名前と好みを覚えたり…。 先輩バリスタさんがBarへ異動されたばかりの頃で、その埋めきれるはずもない穴をほんの少しでも埋めな
前回の「パティシエがバリスタになるまで③」の続きです。他店での研修期間を経て、いよいよ完成した新店舗での研修初日、予想外の光景を目にします。今回で、完結です。 本格的…?新店舗が完成し、いよいよ現場での研修初日を迎えました。他店舗で研修していた仲間が皆揃い、ワクワクしながら店舗の中に入ります。新しい店舗独特の匂いがして、未だ誰も使っていない店内は、これから始まる日々の期待感でいっぱいでした。 そして、キッチンとホールに分かれ、それぞれの持ち場の確認になり、パティシエとして
前回の「パティシエがバリスタになるまで②」の続きです。バール巡りを始めて、記録用に作った「バールノート」。その話をしたのをきっかけに、当時のバールであった「ある事」を知ります。 新たな楽しみ休日を利用したイタリアンバール巡りは、気が付けば30人を超えようとしていました。お店毎に異なる豆やマシンでの抽出、バリスタさん毎に違う淹れ方、同じ豆でもバリスタさんによって変わる味の面白さだけでなく、今まで知らなかったイタリアンバールのバンコでの会話も、バール巡りの楽しみの一つになってい
前回「パティシエがバリスタになるまで①」の続きです。新店舗の店長の言葉を受けて、タイミング良く「イタリアンバール」が特集であった料理専門誌を購入した私は、ある行動に出ます。 バール巡り「そこまでエスプレッソに興味があるなら、他のイタリアンバールに飲みに行ったらもっと面白いよ」という店長の言葉とタイミング良く発売された、雑誌「料理通信」の特集が「イタリアンバール」だったことから、先ずはここから行ってみよう...と、次の休みの日、掲載されていたイタリアンバール3軒に行くことにし
私が今日の知識や技術を得た中で、パティシエへの転職ともうひとつ、決して外せない経験があります。それはバリスタです。今回は、其処に至るまでのきっかけを綴ろうと思います。 次のステップホテルでのパティシエとしての経験を活かしながら、もう少し小規模なレストランやカフェでの経験を重ねたいと思った私は、転職活動をし、タイミング良くとあるお店のオープニングスタッフに内定しました。そこは、本格的なスイーツと、本場イタリアと同じエスプレッソやドリンクを提供するイタリアンバールをコンセプトに
パティシエの経験を重ねた最初の修業先から今までにおいて、ずっと心の中で意識している事があります。それは、バリスタの時も、商品開発職として勤めた時も、変わらず常に心の中にあります。今回はそのお話です。 ・相手の笑顔を思い浮かべて作りなさいホテルのパティスリーに勤め始めて、仕込み担当となってから暫くは、失敗ばかりの日々でした。当時のパティスリーの暗黙のルールとして、「メモを取りながら教わらない」、「教わる時、1回目は付きっ切りで見て、2回目では一人で作り、3回目(実質一人で作る
パティシエへ転職してから、これまでに多くのメニュー開発や、商品開発に携わらせて頂きましたが、その中でも、きっとずっと忘れられない一品があります。今回は、そのお話です。 きっかけ運良く、大手ホテルにてパティシエとしての第一歩を歩み始め、一年が経ったある日、製菓長から「次の季節のケーキ、お前が提案してみるか?」と声をかけられました。 私は一瞬「え…。もう?」と一瞬ひるみながらも、「やります!」とその場で答えました。当時の修業先のホテルでは、第一関門として、一年経ったタイミング
前回の「看護師からパティシエになるまで②」の続きです。1通のメールをきっかけに5年後計画の選択をし、新たな道へ歩み始めた矢先、大きな壁に阻まれてしまいます。 3Kならぬ...病棟師長に退職の意向を伝えてから直ぐ、私は洋菓子店を食べ歩きしながら、パティシエを募集している店を探し始めました。今のように、ネットでサクサクと検索出来る時代ではなかったので、店頭の張り紙や、求人誌での募集を元に、電話で応募をしました。 「パティシエの求人を見て、お電話したのですが、今も募集しています
前回の「看護師からパティシエになるまで①」の続きです。20歳で立てた「5年後計画」から月日が流れ、あるきっかけが訪れます。 1通のメール無事に看護師免許を取得し、看護学校を卒業した私は、総合病院の外科病棟に就職しました。日々の業務に追われ、趣味のお菓子作りは時折作って友人に配る程度、音楽も学生期間でバンドを解散して以降、聴いて楽しむのがもっぱら。「5年後計画」の事も、いつしか頭から離れていました。 病棟に勤め始めてから4年目のある日、1通のメールが届きました。差出人は、看