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『「社会正義」はいつも正しい』を読む-序

『「社会正義」はいつも正しい 人種、ジェンダー、アイデンティティにまつわる捏造のすべて』を読んだ。感想、解説をまとめていきたい。

早川書房は翻訳の出版と同時に訳者である山形浩生氏による解説もネット上に公開したのだが、その解説が「差別的である」として大炎上した。解説記事が公開停止に追い込まれた事件も記憶に新しいだろう。
全く同じ内容の訳者解説が同書の後書きに載っている。この本は思想史についてそれなりの背景知識がないと読むのが難しい。そしてこの本に関心を持った人の多くは「最近の”リベラル”の言動は目に余る」と思った人だろう。こうした本が売れるのは大事なことであるが、近頃の”リベラル”はけしからんという気持ちを再確認することが目的なら山形氏による訳者解説を読めば十分である。

3267円払うのももったいないくらいに金欠だ、最寄りの本屋まで丸一日かかるといった特殊な状態にあるけど内容が気になる人へ、一応現時点ではWEBアーカイブが残っている。余裕ができたらアマゾンか楽天で適当に買ってあげてほしい。”リベラル”が気に入らないのならたとえ本棚の肥やしになったとしてもちゃんと出版社にカネを落として言論の多様性に貢献してほしい。

https://archive.md/2022.11.17-025441/https://www.hayakawabooks.com/n/n3856ec404c2f

さて、本書の内容であるが、この本は「マイノリティに対するヘイト本」でもないし、かといってリベラルを全否定するような本でもない。「近頃の”リベラル”を名乗る人々はあまりにも不寛容で、自分達に賛同しないものはミソジニー、レイシスト、ネトウヨ、壺扱いする。差別はよくないと思うが、流石にあれにはついていけない」というより穏健な人々のために書かれた真面目な本である。
なぜ世界に「不寛容なリベラル」という矛盾に満ちた存在が増えてしまったのだろうか。本書はその原因を「ポストモダニズム」の挫折と、米国に渡った「ポストモダニズム」の変質に求めている。著者はあくまでリベラリズムの信奉者であるが、だからこそ近年の「先鋭化したポストモダニズム」に警鐘を鳴らしている。そして「不寛容なリベラル」に対抗するために今こそリベラリズム的な理念に立ち返らなければならないのだというのが著者の主張である。
具体的な手法としては「不寛容なリベラル」が主張するところの社会的不公正の存在を認識しつつも、彼らの味方になることは拒絶することが挙げられている。それは単にあなたがイデオロギーに染まってそのように思っているだけですよね、私はあなたのやるような社会運動に加わらなくても差別に反対することができます、むしろあなたたちのやり方は非リベラル的で危険ですと勇気を出して表明するだけなのだ。議論は複雑で思想史について知識がない人には抽象的だが、結論はシンプルで当たり前のことである。

私の解説よりもベンジャミン・クリッツァー氏の書評を読んだ方が理解できるので詳しくはこちらを読んでほしい。

アメリカで「リベラリズム」の立場から「ポストモダニズム批判」が強くなっている理由(ベンジャミン・クリッツァー) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)

さてタイトルに「序」と書いたが、個人的に思想史の復習も兼ねて何回かに分けて『「社会正義」はいつも正しい』の解説をしていきたい。この本はポストモダニズムについての本だが、そもそも思想史におけるポストモダニズムとはなんなのかについて世間の理解は浅いと思うし、この本を買ったところで3割程度しか読むことができないだろう。正直私も何が問題になっているのかは理解できるがポストモダニズムを広く体系的に理解できているかと問われたらNoである。なのでこれから何回かに分けて本書では何が問題とされているのか、どうして「不寛容で先鋭化したリベラル」が生まれてしまったのか、差別はよくないと思うが彼らの仲間に加わりたくない人は「不寛容で先鋭化したリベラル」とどのように対峙したらいいのかをまとめていきたい(概要は既に紹介してしまったが)

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