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日本海軍の階級について (10)予備員

 今回は予備員について。
 前回までの記事は以下になります。

予備員

 日露戦争が始まってまもない明治37(1904)年6月28日、予備員よびいん制度が新設された。商船の船員を海軍兵籍に編入して階級を与え、戦時など必要に応じて召集するものである。
 予備兵力の確保という目的はもちろんだが、貴重な船員が陸軍兵卒として召集されることを防ぐという意味合いもあったようだ。
 予備将校として中佐以下、予備機関士官として少佐相当の機関少監以下、さらに兵科と機関科の兵曹長(高等官たる准士官)から三等兵曹までの階級がもうけられた。階級の頭に「予備」を付して海軍予備中佐などと称した。

 予備員は商船学校などの卒業生から任用するとされていたが、こうした学校では入校と同時に海軍兵籍に編入されることになる。学校のレベルによって予備生徒、予備練習生と呼ばれた。海軍による事実上の囲い込みである。商船乗りをめざす者は否応なく海軍に籍を置くことになった。卒業すれば予備員に任用されることになる。

 予備員の特徴は船員としての勤務日数が実役じつえき停年ていねんに算入され、それに応じて階級が昇進していくという点にある。実際に乗船していなくても、例えば水先案内人として勤務した場合はその勤務日数の三分の二、商船学校の教員として勤務した場合はその勤務日数の三分の二、といった具合に換算された。例えば商船学校を卒業して商船乗員として長年働き船長にまで至った者は、海軍とはほとんど縁がない生活を送っていても予備中佐、予備大佐に昇進していても不思議ではなかった。

 予備員の最高官等は最終的に大佐にまで達し得るようになる。昭和9(1934)年には大学を卒業して民間パイロットとなったものを対象とした航空予備学生制度がもうけられた。のち予備学生と改められて学徒動員された学生の養成課程の役割を果たした。

 昭和12(1937)年には予備兵が新たにもうけられ、昭和18(1943)年に階級から「予備」の文字列が除かれた。戦時に予備員が大量に召集され、特設艦船や護衛艦艇を中心に多数の予備員が働くようになると、できるだけ違いを目立たせなくするような配慮が働いたらしい。予備士官は制服も異なり袖章は山形、軍帽の前立てもいわゆる「茗荷みょうが」ではなくコンパスマーク(プロパーの海軍軍人が予備員を呼ぶ蔑称でもあった)だったが、これも廃止され制服の違いはなくなった。

 なお海軍予備員による召集と、船員徴用令による徴用は別の制度だが混同されがちと思う。

予備兵

 昭和12(1937)年4月15日に予備よびへいがもうけられ一等ないし三等の水兵および機関兵が置かれた。あわせて予備補習生ほしゅうせいが創設されて海員養成所や無線講習所の生徒などが編入された。
 昭和13(1938)年4月1日に工作科が新設された。
 昭和17(1942)年11月1日に階級呼称が陸軍にあわせて改められ、昭和18(1943)年7月1日に「予備」の文字列が除かれた。

 予備よび三等さんとう水兵すいへい(のち予備一等水兵、一等水兵)、予備三等機関兵きかんへい(のち予備一等機関兵、一等機関兵)は昭和12(1937)年に創設された。
 予備三等工作兵こうさくへい(のち予備一等工作兵、一等工作兵)は昭和13(1938)年に創設された。

 予備二等にとう水兵(のち予備上等じょうとう水兵、上等水兵)、予備二等機関兵(のち予備上等機関兵、上等機関兵)は昭和12(1937)年に創設された。
 予備二等工作兵(のち予備上等工作兵、上等工作兵)は昭和13(1938)年に創設された。

 予備一等いっとう水兵(のち予備水兵長すいへいちょう、水兵長)、予備一等機関兵(のち予備機関兵長きかんへいちょう、機関兵長)は昭和13(1938)年に創設された。
 予備一等工作兵(のち予備工作兵長こうさくへいちょう、工作兵長)は昭和13(1938)年に創設された。

 予備兵から予備下士官への任用には1年6月の実役停年を要した。

予備下士官、予備准士官

 予備下士官は予備員制度と同時に明治37(1904)年にもうけられた。当初は兵科と機関科だったが、昭和5(1930)年1月10日に航空科が、昭和13(1938)年4月1日に工作科が、昭和14(1939)年8月19日に整備科が新設され、昭和16(1941)年6月1日に航空科が飛行科に改編された。
 昭和17(1942)年11月1日に等級呼称が改められ、昭和18(1943)年7月1日には「予備」の文字列が除かれるのと同時に、飛行科と整備科の二等兵曹が廃止された。両科には予備兵がなく、予備練習生れんしゅうせいからの任用は一等兵曹とされていたため必要ないとされたようだ。
 予備下士官への任用は、商船学校の生徒が命じられた予備練習生から二等兵曹(のち一等兵曹)に任用されるものと、予備兵から昇進するものがあった。
 予備下士官の服役の上限は45歳である。

 予備よび三等さんとう兵曹へいそう(のち予備二等兵曹、二等兵曹)、予備三等機関きかん兵曹(のち予備二等機関兵曹、二等機関兵曹)は判任官四等に相当する。明治37(1904)年に創設された。
 予備三等飛行ひこう兵曹(のち予備二等飛行兵曹)は、昭和5(1930)年に予備三等航空こうくう兵曹として創設され、昭和16(1941)年に改称したが昭和18(1943)年に廃止された。
 予備三等工作こうさく兵曹(のち予備二等工作兵曹、二等工作兵曹)は昭和13(1938)年に創設された。
 予備三等整備せいび兵曹(のち予備二等整備兵曹)は昭和14(1939)年に創設されたが昭和18(1943)年に廃止された。
 実役停年は1年6月である。

 予備二等にとう兵曹(のち予備一等兵曹、一等兵曹)、予備二等機関兵曹(のち予備一等機関兵曹、一等機関兵曹)は判任官三等に相当する。明治37(1904)年に創設された。
 予備二等飛行兵曹(のち予備一等飛行兵曹、一等飛行兵曹)は、昭和5(1930)年に予備二等航空兵曹として創設され、昭和16(1941)年に改称した。
 予備二等工作兵曹(のち予備一等工作兵曹、一等工作兵曹)は昭和13(1938)年に創設された。
 予備二等整備兵曹(のち予備一等整備兵曹、一等整備兵曹)は昭和14(1939)年に創設された。
 実役停年は1年6月である。

 予備一等いっとう兵曹(のち予備上等じょうとう兵曹、上等兵曹)、予備一等機関兵曹(のち予備上等機関兵曹、上等機関兵曹)は判任官二等に相当する。明治37(1904)年に創設された。
 予備一等飛行兵曹(のち予備上等飛行兵曹、上等飛行兵曹)は昭和5(1930)年に予備一等航空兵曹として創設され、昭和16(1941)年に改称した。
 予備一等工作兵曹(のち予備上等工作兵曹、上等工作兵曹)は昭和13(1938)年に創設された。
 予備一等整備兵曹(のち予備上等整備兵曹、上等整備兵曹)は昭和14(1939)年に創設された。
 実役停年は2年6月である。

 予備准士官は予備下士官とほぼ同じ歩みをたどったが、創設当時は上等兵曹と称し大正9(1920)年4月1日に兵曹長と改称した。
 予備准士官への任用は予備下士官からの昇進と、高等商船学校や水産講習所などの生徒が命じられる予備生徒せいとから任じられた。

 予備兵曹長へいそうちょう(のち兵曹長)、予備機関兵曹長(のち機関兵曹長)は判任官一等に相当する。明治37(1904)年にそれぞれ予備上等兵曹、予備上等機関兵曹として創設され、大正9(1920)年に改称された。
 予備飛行兵曹長(のち飛行兵曹長)は昭和5(1930)年に予備航空兵曹長として創設され、昭和16(1941)年に改称された。
 予備工作兵曹長(のち工作兵曹長)は昭和13(1938)年に創設された。
 予備整備兵曹長(のち整備兵曹長)は昭和14(1939)年に創設された。
 実役停年は5年、服役の上限は50歳である。

予備特務士官

 予備特務士官は高等官たる准士官としてはじまり兵曹長と称した。大正4(1915)年12月15日に予備特務士官のカテゴリが作られ、大正9(1920)年4月1日に特務少尉と改称した。特務中尉以上はもうけられなかった。
 昭和13(1938)年4月1日に廃止され、予備特務士官は予備士官に転官し、予備准士官は予備士官に昇進することになった。

 予備よび特務とくむ少尉しょうい予備機関きかん特務少尉は高等官八等(奏任官六等)に相当する。明治37(1904)年にそれぞれ予備兵曹長へいそうちょう、予備機関兵曹長として創設され、大正9(1920)年に改称したが、昭和13(1938)年に廃止された。
 予備航空こうくう特務少尉は昭和5(1930)年に創設されたが、昭和13(1938)年に廃止された。

予備士官

 明治37(1904)年に予備員が創設されたとき、予備士官として将校は少尉ないし中佐、機関官は少尉相当の少機関士から少佐相当の機関少監までが設定された。
 明治39(1906)年1月27日に機関官の階級呼称が兵科にあわせて改められた。
 大正8(1919)年6月20日に機関中佐が、昭和2(1927)年7月1日に兵科と機関科の大佐がもうけられた。
 昭和17(1942)年11月1日に機関科将校が兵科に統合され、昭和18(1943)年7月1日に「予備」の文字列が除かれた。

 予備士官への任用は予備准士官からの昇進のほか、大学や高等学校卒業生である予備学生がくせいから任じられた。

 予備よび少尉しょうい(のち少尉)は高等官八等(奏任官六等)に相当する。明治37(1904)年に創設された。
 予備機関きかん少尉(のち予備少尉、少尉)は明治37(1904)年に予備少機関士しょうきかんしとして創設され明治39(1906)年に改称された。
 実役停年は1年6月、服役の上限は45歳(予備准士官から昇進した場合は50歳)である。

 予備中尉ちゅうい(のち中尉)は高等官七等(奏任官五等)に相当する。明治37(1904)年に創設された。
 予備機関中尉(のち予備中尉、中尉)は明治37(1904)年に予備中機関士ちゅうきかんしとして創設され明治39(1906)年に改称された。
 実役停年は2年、服役の上限は45歳(予備准士官から昇進した場合は50歳)である。

 予備大尉だいい(のち大尉)は高等官六等(奏任官四等)に相当する。明治37(1904)年に創設された。
 予備機関大尉(のち予備大尉、大尉)は明治37(1904)年に予備大機関士たいきかんしとして創設され明治39(1906)年に改称された。
 実役停年は4年、服役の上限は50歳である。

 予備少佐しょうさ(のち少佐)は高等官五等(奏任官三等)に相当する。明治37(1904)年に創設された。
 予備機関少佐(のち予備少佐、少佐)は明治37(1904)年に予備機関少監しょうかんとして創設され明治39(1906)年に改称された。
 実役停年は3年、服役の上限は53歳である。

 予備中佐ちゅうさ(のち中佐)は高等官四等(奏任官二等)に相当する。明治37(1904)年に創設された。
 予備機関中佐(のち予備中佐、中佐)は大正8(1919)年に創設された。
 服役の上限は55歳である。大佐への昇進は抜擢による。

 予備大佐だいさ(のち大佐)、予備機関大佐(のち予備大佐、大佐)は昭和2(1927)年に創設された。
 服役の上限は55歳である。

おわりに

 大戦中の海軍の急膨張に関して予備員が大いに寄与したことは確かでしょう。学徒出陣で海軍に入った学生の多くが予備学生を利用して予備士官となりました。大戦末期には初級士官の過半が予備員だったともいわれます。結果として多くの犠牲を出したことが非難されますが他国でも同じような制度はあり、むしろ十分な教育を与えられずに泥縄で前線に投入してしまった無計画さこそが根本の問題だったように思います。

 海軍の階級についてはひととおり説明しました。次回は簡単に陸軍との比較をおこなって最終回としたいと思います。

 ではまた次回お会いしましょう。

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