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日本海軍軍人伝

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日本海軍の軍人について
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#元帥

軍令部総長伝(3) 島村速雄

軍令部総長伝(3) 島村速雄

 歴代の海軍軍令部長・軍令部総長をとりあげます。今回は島村速雄です。
 総説と前回の記事は以下になります。

常備艦隊参謀 島村速雄は安政5(1858)年9月20日に土佐藩の郷士の家計に生まれた。幼名は干支にちなんで午吉。父を早くに亡くし、生活が苦しいなかで学費が不要な海軍兵学寮を選んだ。30名からなる第7期生はのちに4人の海軍大将(うち二人は元帥)を出す希有なクラスだが、その中で島村は入寮から卒

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海軍皇族軍人伝(3) 伏見宮博恭王

海軍皇族軍人伝(3) 伏見宮博恭王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は伏見宮博恭王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

ドイツ留学 博恭王は明治8(1875)年10月16日に伏見宮貞愛親王の長男として誕生した。はじめ愛賢王と名乗る。父貞愛親王は当時17歳で結婚前だったが女官に子供を生ませたことになる。

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海軍皇族軍人伝(2) 東伏見宮依仁親王

海軍皇族軍人伝(2) 東伏見宮依仁親王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は東伏見宮依仁親王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

東伏見宮依仁親王 依仁親王は慶応3(1867)年9月19日に伏見宮邦家親王の16男として誕生した。寺に入ることが内定していたが維新で皇室と寺院の関係が分離され、出家した皇族も多く

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海軍皇族軍人伝(1) 有栖川宮威仁親王

海軍皇族軍人伝(1) 有栖川宮威仁親王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は有栖川宮威仁親王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

有栖川宮継嗣 威仁親王は文久2(1862)年1月13日に有栖川宮幟仁親王の5男として誕生した。有栖川宮は江戸初期に創設されたが当初は高松宮と称していた。のち有栖川宮と改めて霊元天皇の子孫が代々継承していた。長兄の

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海軍大臣伝 (1)西郷従道

海軍大臣伝 (1)西郷従道

 初代海軍大臣の西郷従道はその直前まで陸軍卿で、陸軍中将の階級を持っていました。そうした人物が突然海軍大臣に就任できたのはそうした時代だったからとも言えますが、実はそれでも海軍大臣は勤まるという証拠でもあります。
 前回の記事は以下になります。

陸軍時代 西郷従道は薩摩藩の出身で天保14(1843)年5月4日生まれ、有名な西郷隆盛の弟で、兄を大西郷と呼ぶのに対し小西郷とも呼ばれた。通称を慎吾とい

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海軍大臣伝 (7)加藤友三郎

海軍大臣伝 (7)加藤友三郎

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は加藤友三郎です。
 前回の記事は以下になります。

海軍士官として 加藤友三郎は文久元(1861)年2月2日、広島藩士の家に生まれた。父は下級藩士ではあるが藩校の教授をつとめる学者でもあった。明治6(1873)年に海軍兵学寮に予科生徒として入寮した。当時はまだ生徒教育を海軍兵学校で完結させず、学校でも教育と実艦での実習を織り交ぜていた。明治13(1880

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海軍大臣伝 (13)永野修身

海軍大臣伝 (13)永野修身

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は永野修身です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 永野修身は明治13(1880)年6月15日に高知県でもと土佐藩士族の家に生まれた。海南中学を経て明治31(1898)年に海軍兵学校に入校、明治33(1900)年12月13日に卒業して海軍少尉候補生を命じられた。卒業成績は第28期生105名中2位。首席の波多野貞夫が技術方面に進んだ(のち火薬廠長)

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日本の元帥たち

日本の元帥たち

 日本の元帥について書いてみます。こちらは参考記事です。

元帥まで 元帥という単語の初出は「春秋左氏伝 僖公二十七年 伝」に「作三軍、謀元帥」とあるのがそれだという。紀元前七世紀の中国を記した歴史書だ。その後、歴代の中国王朝で元帥が武官の職名としてしばしば用いられて近代にいたる。しかし日本で前近代に元帥が官職の名称として用いられることはなかった。唐名(官職の中国風の呼び方)としても使われていたと

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聯合艦隊司令長官伝 (2)伊東祐亨

聯合艦隊司令長官伝 (2)伊東祐亨

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は伊東祐亨です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

佐官まで 伊東祐亨は天保14(1843)年5月20日、鹿児島で生まれた。薩摩藩士の家だが、日向飫肥藩主伊東家の一門とされる名門である。幼名は四郎。薩英戦争ではいわゆる西瓜売決死隊に選ばれ、その後は短期間だが神戸海軍

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聯合艦隊司令長官伝 (3)井上良馨

聯合艦隊司令長官伝 (3)井上良馨

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は井上良馨です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

江華島事件 井上良馨は弘化2(1845)年11月3日に鹿児島で薩摩藩士の家系に生まれた。幼名は直八。数え20歳で薩英戦争に従軍して負傷する。この経験が海軍に対する関心を生んだ。戊辰戦争では薩摩藩軍艦春日に乗り組み、

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聯合艦隊司令長官伝 (8)東郷平八郎

聯合艦隊司令長官伝 (8)東郷平八郎

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は東郷平八郎です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

浪速艦長 東郷平八郎は弘化4(1847)年12月22日に鹿児島で薩摩藩士の家に生まれた。幼名は仲五郎といった。薩英戦争に従軍し、戊辰戦争では藩の軍艦春日に乗り組んで阿波沖海戦、宮古湾海戦、箱館戦争に参加した。維新

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聯合艦隊司令長官伝 (13)伊集院五郎

聯合艦隊司令長官伝 (13)伊集院五郎

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は伊集院五郎です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

トライアンフ乗組 伊集院五郎は嘉永5(1852)年9月27日に薩摩藩士の家に生まれた。山本権兵衛と同年の生まれである。戊辰戦争に従軍し、維新後は海軍兵学寮に幼年生徒として入寮した。コルベット筑波に実習のため乗り組

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