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日本海軍軍人伝

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#連合艦隊

聯合艦隊司令長官伝 (32)小沢治三郎

聯合艦隊司令長官伝 (32)小沢治三郎

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は小沢治三郎です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

第一水雷戦隊参謀 小沢治三郎は明治19(1886)年10月2日に宮崎県で生まれた。家はもと高鍋藩士の家系である。宮崎中学に通っていたが喧嘩騒ぎで退学になる。海軍将校をめざして江田島の海軍兵学校に入校したのは日露戦

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聯合艦隊司令長官伝 (31)豊田副武

聯合艦隊司令長官伝 (31)豊田副武

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は豊田副武です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

第七潜水隊司令 豊田副武は明治18(1885)年5月22日に大分県杵築に生まれた。父はもと杵築藩に仕える漢学者だった。江田島の海軍兵学校に入校して海軍将校をめざした。在校中に日露戦争がはじまるが豊田たちが卒業したと

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聯合艦隊司令長官伝 (30)古賀峯一

聯合艦隊司令長官伝 (30)古賀峯一

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は古賀峯一です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

フランス駐在海軍武官 古賀峯一は明治18(1885)年9月25日に佐賀県有田で生まれた。実家は小さな酒屋だったが閉店して父は地元の銀行で雑用をしていたという。士族でもない平民出身の古賀だが中学校を経て江田島の海軍兵

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聯合艦隊司令長官伝 (29)山本五十六

聯合艦隊司令長官伝 (29)山本五十六

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は山本五十六です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

霞ヶ浦海軍航空隊副長兼教頭 山本五十六は明治17(1884)年4月4日に新潟県長岡に生まれた。生家の高野家は長岡藩士の家系である。長岡藩は戊辰戦争で新政府軍と戦い、山本の実祖父は戦死し実父も負傷した。山本の名前は

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聯合艦隊司令長官伝 (28)高橋三吉

聯合艦隊司令長官伝 (28)高橋三吉

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は高橋三吉です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

第二艦隊参謀 高橋三吉は明治15(1882)年8月24日に東京で生まれた。父はもと岡山藩士だが維新後は新政府に出仕して東京で勤務していた。そのまま東京で育ち日清戦争後に海軍将校をめざして江田島の海軍兵学校に入校した

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聯合艦隊司令長官伝 (27)末次信正

聯合艦隊司令長官伝 (27)末次信正

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は末次信正です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

イギリス駐在観戦武官 末次信正は明治13(1880)年6月30日に長州藩の分家になる徳山藩の藩士の家に生まれた。広島で学んだあと、ほど近い江田島の海軍兵学校に入校した。明治32(1899)年12月16日に第27期生

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聯合艦隊司令長官伝 (26)小林躋造

聯合艦隊司令長官伝 (26)小林躋造

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は小林躋造です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

浪速砲術長 小林躋造は明治10(1877)年10月1日にもと広島藩士の早川家に生まれた。親族に養子に入り小林姓となる。名前をもじって「臍造」と呼ばれた。日清戦争が終わってまもない明治29(1896)年はじめに江田島

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聯合艦隊司令長官伝 (25)山本英輔

聯合艦隊司令長官伝 (25)山本英輔

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は山本英輔です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

三笠艦長 山本英輔は明治9(1876)年5月15日に鹿児島で生まれた。父はもと薩摩藩士で山本権兵衛の兄にあたり、つまり英輔は権兵衛の甥になる。その父(権兵衛の兄)は翌年の西南戦争で政府軍の陸軍大尉として戦死し、山本

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聯合艦隊司令長官伝 (24)谷口尚真

聯合艦隊司令長官伝 (24)谷口尚真

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は谷口尚真です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

常磐艦長 谷口尚真は明治3(1870)年3月17日に広島藩士の家に生まれた。加藤友三郎などと同郷ということになる。海軍将校を志して海軍兵学校に入校し、明治25(1892)年7月26日に第19期生50名のうち5位の成

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聯合艦隊司令長官伝 (23)加藤寛治

聯合艦隊司令長官伝 (23)加藤寛治

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は加藤寛治です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

三笠砲術長 加藤寛治は明治3(1870)年11月2日に越前福井藩士であった加藤直吉の長男として生まれた。加藤直吉は戊辰戦争で新政府軍に従軍したあと海軍に出仕し、西南戦争では瀬戸内海の警戒にあたったりしたが、海軍大尉

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聯合艦隊司令長官伝 (22)鈴木貫太郎

聯合艦隊司令長官伝 (22)鈴木貫太郎

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は鈴木貫太郎です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

第四駆逐隊司令 鈴木貫太郎は慶応3(1867)年12月24日に下総関宿藩士の家に生まれた。当時父は和泉にある関宿藩飛び地の代官をつとめており、鈴木も和泉で生まれたが維新後は関宿に帰還する。その後前橋に移り住んだが

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聯合艦隊司令長官伝 (21)竹下勇

聯合艦隊司令長官伝 (21)竹下勇

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は竹下勇です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

アメリカ駐在武官 竹下勇は明治2(1869)年12月4日に薩摩藩士の家に生まれた。まだ藩は残っていたが戊辰戦争は終わっている。はじめ勇次郎と名乗ったが海軍に入ってから同じ配置に竹下勇四郎という兵がおり「士官たるもの兵

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聯合艦隊司令長官伝 (20)栃内曽次郎

聯合艦隊司令長官伝 (20)栃内曽次郎

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は栃内曽次郎です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

海軍省副官 栃内曽次郎は慶応2(1866)年6月7日に盛岡南部藩士の家に生まれた。山屋他人や米内光政と同郷になる。栃内は一時札幌で学んだりしたが結局上京して築地の海軍兵学校に入校した。明治20(1887)年2月2

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聯合艦隊司令長官伝 (19)山屋他人

聯合艦隊司令長官伝 (19)山屋他人

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は山屋他人です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

海軍大学校教官 山屋他人は慶応2(1866)年3月4日に盛岡南部藩士の家に生まれた。山屋が生まれたとき父は42歳の厄年で、この年に生まれた子供はいったん捨て子にして他人に拾ってもらわないと育たないという俗信があった

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