岐阜の「せんい祭」に行ってきました
こんにちはRYUです。唐突ですが、岐阜市が「アパレルの街」であることをご存知ですか? 戦争直後、満州から引き揚げた開拓団の人たちが古着を売るバラック街「ハルピン街」を作ったのが契機となり、昭和40年代にはには繊維問屋が立ち並ぶ、全国でも有数のアパレル街になりました。東京なら馬喰町とかTOC、大阪なら新大阪センイシティや船場中央みたいな街・・・と例えると分かりやすいでしょうか?その後は海外の安い輸入品に押されて衰退してしまいましたが、現在も年に4回「せんい祭」を開催して、かつての賑わいを今に残しています。例によってウチの奥さんが「行ってみたい」と言うので、「冬のせんい祭」に行ってみることに。今回はこちらの報告をしてみたいと思います。
JR岐阜駅の目前がせんい街
まずは会場マップはこちら。JR岐阜駅の北側にある繊維問屋街全域で開催されています。ご覧の通り「東部→中部→西部」にわたる広域が対象となっているので、ゆっくり買い物すると半日近くかかったりします。
まずはMAP中央の歩行者天国道路あたりに車を駐めてショッピング開始。昼頃到着したんですが、既にシニアのお客さんでいっぱいでした。地元の常連客が多いようで、お店にスタッフの世間話も弾んでいます。会計しやすくするためか?基本的に価格設定は1,000円単位が多かったです。
お店の中・・だけでなく、むしろアーケードの通路など屋外に商品がたくさん陳列されています。中にはデパートに卸しているお店もあり、高級品から処分品まで様々です。
もちろんメンズの店もあります。今回、私も買う気はなかったんですが・・結果としてダウンジャケットを購入しました。なんと2000円で(汗)。
かつて隆盛を誇った問屋街もあちこちが寂れているんですが、昭和がそのまま残る風景は、いわば昭和のテーマパーク。ショッピングだけでなく、街歩きも楽しめます。
昭和の手書きレタリング看板
さらに個人的にはもうひとつの楽しみが。最近は見なくなった、こんなナイスな手書きレタリングの看板が随所にあるんです。
アーチもペナントも、畳み掛けるような手書きの「4推し」。イイですね♪
こちらの手書き文字の看板も昭和テイストで素敵です。もしフランス語の「Belle」(美)であれば、発音は「ヴェル」じゃなく「ベル」ですが・・・。
お店の上にはバブル時代?と思しきレリーフも。当時の隆盛がわかります。
廃墟も魅力
増築を繰り返して作ったであろう、水木しげるさんの家みたいなアーケード内の造形も素敵です。2階には今も居住者がいるのかな?
こちらの微妙な造形の看板は、そろそろ落下の危険がありそうです。モルタルが剥落した箇所もあちこちにあるので、いつかは直すか?壊すか?しないとヤバいでしょうね。
商店街の建物が取り壊された後のスペースも、残された壁の造形が複雑で素敵だったりします。
アーケード商店街の裏側には、明るい青空の彩色が施された一角も。街を再生する試みも、ぜひ進めて欲しいです。
こちらの社名「新ハルピン」は、戦争直後この界隈にあった「ハルピン街」の名残り。満州から引き上げた方が繊維問屋を始めたんでしょうね。ここで生きていた人たちの人生が見えるようで趣があります。
買わないつもりが買ってしまう
個人的な趣味で廃墟ばかり紹介してしまいましたが、肝心の買い物に戻りましょう。商店街にはもちろん、現代的なキレイな店舗もあります。こちらは肌着の品揃えがめちゃ多いお店で、私もヒートテック系の発熱肌着を買いました。
幅2mくらいしかない狭い商店街もあるのですが、人気のあるお店は常連さんで賑わっています。
こちらは傘の専門店。全部で3,000種くらいあるらしいです(汗)。関西出身の奥さんが、アニマルプリント(豹柄)の傘を購入しました♪ 似合ってるよ♪
アーケードを抜けて大通り(金華橋通り)に出ると、歩道で開店しているお店もあります。昨年はこのあたりで奥さんがコートを購入したのですが、今年は掘り出しものが無かったようです。
この歩道の対面には、廃れてしまったアーケードとタワーマンションが。昭和と令和が交錯する光景です。
・・・というわけで、今回私が購入したジャケットはこちら。フードとジッパー部分にレターが入った面白いデザインで、価格は何と2000円(税込)。着心地も良いので、良い買い物だったんじゃないかと思います。
そんなわけで、なかなか楽しめた岐阜の「せんい祭」、次回は春開催(4月)です。観光がてら、また寄ってみようかと思います。(RYU)