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考え方を伝えること

日本という国は、男性は10代~40代までの死因の一位が自殺。女性も、10代~30代までは自殺が死因の第一位。
この惨状、先進国では日本だけらしい。日本はとうに先進国じゃなくなってる、という声には賛同するけれども。

自分で死を選んでしまう要因は人の数だけあり、その人が生きてきた重みの分だけあるのだろうから一概には言えないけれど、多くの人は、仕事や人間関係、また金銭の問題などで逃げ場がなくなったあげく、最後にもう耐え切れなくなって死を選んでしまうのだと思う。

居場所もない、逃げ場もない。そうなったら俺だって、どうするかはわからない。きっと耐えられないかもしれない。

とかくこの国は、子どもの頃から口を開けば
「自分のことは自分でやれ」「ちゃんと学校行け」「始めたからには辞めるな」「逃げるな」「責任持て」などと大人から言われ続け、大人になっても会社で同じように言われ続ける。

自分でやれ
自分で責任持て
逃げるな
やり切れ
人に頼るな

「自分」というフレーズがキラーワードとなり、同調圧力とも相まって多くの人が苦しめられてきたのだと思う。それは今も、至るところで。

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一気に話は飛躍し(悪いくせ)毎度恒例、ここからはサッカーの話に移ります。
上の話は忘れてください。

自分でやれ
自分で責任持て
逃げるな
やり切れ
人に頼るな

ってこれ、サッカーをする子どもたちにも言ってる人、結構いませんか?
子どもに向かってこれらのような「自分で!」という悪玉ワードを悪げもなく疑いもなく使っている人、とても多く見かけますよね。子どもの頃からこれを言い続けられて育ったこの蓄積、めちゃくちゃ悪い影響でその子に残っちゃいます。きっと。

ピッチ外でこれを言いすぎるのも最悪なのはもちろん、ピッチ内でも、ボールを持った子どもに対し同じようなテンションで
「逃げるな」「自分で!」って言ってません?結構あるあるですよねこのフレーズ。

ただ、これらの「自分」ワードたちはサッカーには明らかに不向きな言葉だし、サッカーの本質からは大きくかけ離れてる。

だから僕は、この現状を憂いています。日本人が昔から持つ変な思い込みを、頼むからサッカーにまで持ち込まないでくれよって。

何だよ「自分で!」って。サッカーは独りでやるものじゃない。

子どもたちにもっとサッカーをさせてくれ。サッカーの本質をしっかりと理解して、その本質や原理原則に基づいて指導して下さいよって本当に本気で思っているし、本気で憂いています。
サッカーが本来持つ本質からどんどんかけ離れたことが子ども時代からまかり通っている我がJAPAN。

自分でボール持って頑張ることなんて「ナイスチャレンジ」でも何でもない。単に味方と相手が見えていないだけだし、サッカーの本質や原理原則に基づいて指導されていない何よりの表れ。
もちろん、ボールを持ち出すことや相手をズラすこと、相手を引きつけ味方に時間を与えてあげるための「ボールを持つこと」はめちゃくちゃ大事ですよ。持てないと離せないし、武器は味方のために使うんだから。

でも、後ろを向かされるとか2人に寄せられてるとか自分が不利な状態にさせられてるのに、まだそこで自分でボールと一緒に頑張っちゃおうとしてる選手が、正直中学生でもまだいます。それは本人のせいではなくて、ジュニア時代にそんなプレーを奨励され「よし」とされてきたか、見て見ぬ振りされてきたか、指導者にそこまでの理念も眼力もなかったのかそれともその全てかです、きっと。

その蓄積が習性となって、本人の中に強く濃く残ってしまっている中高生の選手を至るところでかなり見かけます。
サッカーとは自分で頑張るもの、まずは自分でチャレンジするもの、逃げるなんてもってのほかだという、硬くて硬い固定観念。

そういう選手に限って、追い詰められたからって放り出すようにパスを出しちゃう。

パスは「出す」ものじゃありません。自分よりも、次の景色が見えている選手に「渡す」ものです。
それも「いつでもパス出せますけど」「抜くこともできますけど」って相手に剣を突きつけながら、そのタイミングをバラさないように。

補足ですが、だから「持ちすぎるな、早く離せ」っていうのも最悪で、これ言う人はサッカーを全くわかってない人です。これは間違いなく。

良いパスとは「そのパスを受けた味方が次のプレーを成功するようなパス」なので、追い詰められたからって放り出すように「出して」しまうとか、奪われるのが怖いから「早く出しちゃう」パスは、それだけでサッカーの本質からはかけ離れていると言ってもいい。

逃げるとか、人に頼るとか、日本では何かと嫌われるワードじゃないですか。
でも決してこれらは恥ずかしいことでも何でもなくて、どんどん逃げて、どんどん人に頼るべきなんです。サッカーでは特に。

逃げていいんすよ。
自分でやらなくてもいいんです。
どんどん人に頼ればいいじゃないですか。
人に頼るのは、決して恥ずかしいことじゃない。

これは、今自分が監督として関わっている中学生女子たちにもしょっちゅう言ってます。

「自分で何でも頑張ろうとし過ぎるな」
「もっと人を頼れ」
「だってチームだぞ」

って。

自分よりも、次の景色が見えている選手に「渡す」のがパス。

味方を成功させるそのタイミングを、逃さないように。
それはサッカーに対する【考え方】が備わっていないと、なかなか難しいものでもあります。

技術うんぬん戦術うんぬんを指導するだけでは絶対にダメで、
「サッカーとはどういうものか」
「チームとはどういうものか」
「味方とはどういう存在か」という【考え方】を、必ずセットにして伝え続けないといけない
わけです。

それこそ、伝わるまでずっと。簡単には伝わらないかもしれないけれど、それでも辛抱強く辛抱強く、絶対に伝え続けないといけない。
しかし伝えよう伝えようとしすぎてそれが強すぎるとかえって敬遠されるから、普段の振る舞いや言動で自然に伝わるようにするのがベストなんですけどね。まぁそれがとんでもなく難しいのだけれど。

「ミステリという勿れ」というドラマで、新人女性刑事に対しベテラン上司が「お前はいつまでお客さん体質なんだ」と話すシーンがありました。

「お客さんでいるな」というのは、一見「もっと自分で考えろ」とか、「積極的に自分でやれ」とか、そういうニュアンスに聞こえるじゃないですか。
でもその上司の伝えたかったことは真逆で
「お前はもうこのチームの一員なんだから、自分だけでやろうとせずにもっと俺たちを頼れ」という意味だった。

チームって、そういうことですよね。

僕もまだまだです。早く悟りを開きたいと思いながら、毎日「考え方を伝える」ことについて考えています。



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