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幸せとは

今春、昔の教え子達と、各学年ごとで立て続けにオンライン飲み会をした。
某都立高で女子サッカー部のコーチをしていた時の、代々の卒業生達と。

あれは自分が立ち上げたクラブを離れることが決まった時期でもあり、彼女達にはそのことも伝えずにただ「久しぶりにどう」ということで開いてもらったんだけど、内心は、自分の身に起きたことへの耐性がまだなくて、つらくて悔しくて、部屋で一人で過ごすのに耐えられなくてたまらなかったから、その時に思い浮かんだのがあの子達で
懐かしい彼女たちの顔が見たくて、開いてもらったのだけど。

もちろん、オンライン飲み会ではそういう話には一切ならず、毎回楽しい時間を過ごさせてもらってあっという間に終わった。
久しぶりに会っても(実際には会ってないけど)久しぶり感が誰にもまるでないから、やっぱりこの子達との繋がりは本当に濃いものなんだよなと自分でも実感できたし、そのこと自体がとても嬉しくて、少しだけ、元気を取り戻せた時間でもあった。

月日は飛んで、つい2日前
あの時の子達何人かと久しぶりに会う機会があった。今度はオンラインではなく、本当に顔を合わせての飲み会。
その帰り、家が近くのある子と二人で電車に乗って話をしていたら、いきなり、彼女にポツンとこう言われた。

「あの時、久保田さん元気なかったですよね」と。

あぁ、やっぱり。あっさり見抜かれてた。わかってはいたけど。

この彼女だけでなく、他の子達もきっとそうだったんだろう。でもそれをその場では誰も話題にも出さず、何なら昔と同じように僕をいじり倒してくれて、くだらない話や懐かしい話や近況の話をたくさんしてくれて、楽しい時間をつくってくれた。
彼女達のほうが、ずっと大人だった。

思えば、昔からこんな感じだった。サッカーしてる時間はお互い真剣にぶつかり合い、僕も彼女達に厳しく接することもたくさんあった。泣かせたこともあった。けどサッカーを離れれば、僕は彼女達からいろんなネタで(いつまでも独身ネタとか)いじられ続け、完全に下に見られてた。僕もそれが、案外心地よかった。彼女達の手のひらの上で、僕はうまく転がされていた。


そういう構図を、お互いの暗黙の了解や阿吽の呼吸で、保ち続けていたのだと思う。
お互い持ちつ持たれつ、口には出さないけどわかってる。そういう関係性だったから、こうして今でも繋がりが続いているのだと思う。
もちろん、そううまくはいかなかった子達も、当然いるんだけども。

とにかく自分は、いい教え子を持てて幸せだった。指導者人生のゴールって、きっとこういうことなんだろうと思うんです。

彼女達は、僕にとって全員が娘みたいなものだ。完全に情がうつってる。

彼女達がおばさんになっても、僕がおじいちゃんになっても、きっといじられ続け笑われながら、楽しくたまに会えるような関係性でいられたらいいなぁ。

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