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FOOTBALLERS 哲学の時間・1~ フリーの概念、変えませんか

11月から「FOOTBALLERS」という新たなスクールをはじめます。

この FOOTBALLERS では、「フットボール・スタディー」という時間をオンラインで定期的につくり、フットボールとはどういうものか、どういう原理のものか、人はどのような原理で動くのか、その中で、自分はどう技術を発揮し、どう振る舞えばいいのか⋯
といったような、まさに フットボールを哲学する 時間も、普段のトレーニングに加え、セットで組み込むことにしています。

ただピッチで練習するだけでなく、フットボールを知ること、人を知ること、その中での自分⋯という考え方は、もはや欠かせないと思っています。

そんな「フットボール・スタディー」で題材にしていくような中身を、このnoteでも書いていくことにしました。

今回はその第一弾。
『フリーの概念、変えませんか』です。

小1イケメンBoy 「うん、大丈夫!」

つい最近、小学1.2年生とサッカーしていた日のこと。
自分も一方のチームのGKとしてゲームに混ざっていたのだけれど、ボールをキャッチしてさぁ誰に投げよっかなと探してたら、同じチームの子が前方で「ヘイ!くぼっち」とボールを呼んでいる。

でもその子のそばには相手チームの子がいて、くっつかれてはいないけれどガッツリと見られてる。
だから「いや、◯◯に思いっきり見られてるから出せないよ」
と言ったら、その子は爽やかイケメン全開の笑顔で

「うん、知ってるよ。でも大丈夫!」と。

「ホントだな、大丈夫なんだな、じゃいくぞ」とその子にパスしたら、本当に大丈夫だった 笑

寄せてくる相手の子をちゃんと見て、その子が食いついた瞬間にその寄せを逆利用してスルりと反転、あっさり前を向き突破していった。まるで、ネーションズリーグ準決勝でのルカクのように。

そう、あの子にとってはいくら相手がそばにいようが、インターセプトを狙われていようが、あの瞬間は自身の中で「大丈夫」という確信があったんですよね。

「この間合いなら」
「この相手なら」
「今日の俺なら」

このうちどれだったかは知らないけれど、確実にこのうちのどれか(もしくは全て)が発動して「イケる」「全然大丈夫」という確信マインドになった。

本当の意味での「フリー」って、実はこういうことだと思うんです。

概念、変えませんか

相手から離れていれば「フリー」相手がそばにいれば「フリーじゃない」という概念でサッカーしてる(教えてる)人が圧倒的に多いと思うのですが、その概念は、きっと間違ってます。

うーん、間違ってると言うと否定的だから言い換えましょう。その概念だと、超絶スーパーミラクルもったいないです。

これは確信を持ってそう言い切れます。本当に、そのままだともったいない。

いくら相手がそばにいようが、前出の小1イケメンのように「いや、この状態なら全然イケるっしょ」だったらフリー。
相手との間合いや力関係、その日の自分の調子によって「大丈夫」という確信があれば、本当にフリーも同然です。

時空を飛び越えていれば、もはやドフリー

そして「大丈夫」だけでなく、目はもっと先を見えていて、頭では「こうしてやろう」という次のプレーイメージを描けている状態であればなおさらフリー、もう ドフリー です。

だってそばにいる相手にはわからない「先の世界」が見えていて、頭では相手の何手先をいってるわけだから、地理的にはそばにいるように見えても、時空をとっくに飛び越えている。だから、超絶ドフリー。

味方の位置、相手の位置、スペースの有無、味方が準備できているかどうか。
この先に何が起こるか、何を起こせるか、何を起こそうか、と。

先の世界を見る、時空を飛び越えていくとはこういうこと。

・この間合いなら、この相手なら、今日の俺なら大丈夫、という状態
・先が見えていて、こうしてやろう⋯という準備ができている状態
・すなわち、自信があってワクワクしてる状態

相手がそばにいようが、マークされていようが「大丈夫」と自信があり、こうしてやろうというイメージの船に乗って時空をぶっ飛び、ワクワクしてる状態。

つまり、心がフリーになってる。この 心がフリー な状態が、本当の意味での「フリー」だと思うのです。

フリー!とか ターン!って言うな

相手から離れていればフリーというわけでもなく、相手がそばにいればフリーじゃない、ということでもない。

相手から離れていて安全な場所ならば、それは相手から見ても「安全な相手」です。自分にくっつかれているから、むしろ怖い。出し抜かれ、入れ替わられたらそれこそおしまいなわけで。

だから「フリー!」「ターン!」「ソロ!」「You have a time !」とか
「マノン!」「来てる!」「来とるで〜」とか、言う必要もない。

本人の頭と心はとっくにフリーになってるのに、外から余計なこと言うな、っちゅうことです。
ベンチから「フリー!」とか「ターン!」なんて叫んじゃ本当にダメ。

フリーかどうかは、その選手自身が決めればいい。そして本当の意味でフリーになったその選手を、味方がちゃんと「あぁ、あいつ今フリーだわ」と見抜いてあげること。

ルカク 「俺、フリーやで」

ルカク、相手に並ばれていても本人は絶対に「オレ、全然フリーやで」って顔してたと思いますよ。
それだけでなく「ボールさわらずにターンして相手ひっくり返して、そのままズドンとニア上にブチ込んだろ」
って、ルカクの時空はシュートシーンまで飛んでいたはず。だからあの瞬間、ルカクは「ドフリー」だったんです。

そしてそれが、彼のことを知り尽くしてるデブライネにはちゃんと見えていた。
この見方で、ルカクのゴールをもう一度観てみて下さい。

どうでしょうか。あの小1イケメンBoyと同じく、ルカクは明らかにドフリーでしたよね。

相手から離れていればフリーというわけでもなく、相手がそばにいればフリーじゃない、ということでもない。

たとえ相手から離れていても、前を向けていたとしても、自分の近くにいる相手を恐れていたり、次のプレーイメージがまるでない状態ならば、それはフリーでもなんでもない、ということです。

相手に縛られず、ボールを受けるというストレスからも縛られず。
大丈夫、こうしてやろうと時空を飛び越え、ワクワクしてる「心がフリー」な状態。

こう考えると、サッカーや選手の見方がちょっと変わるはずです。指導者の皆さんの指導ポイントも、きっと大きく変わってくるのではないでしょうか。

このように「フリーの概念を変えよう」というのはあくまでも提案ですが、僕は確信を持ってこの概念で指導していますし、この概念をもとに、もっともっと高い質でプレーし表現できるように、これから始まる「FOOTBALLERS」でも、そしてコーチを請け負っている高校生たちへの指導でも、来春から始まるLINDA SMILES でも、そこはエグく追求していくつもりです。



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