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Feel Special

2月18日から始めたnote毎日投稿、昨日で一週間続けることができた。

書かなきゃいけないと思うのではなく、書きたいなって思えば書く。幸い自分はまだ、書きたいことが枯渇しない。
うーん、枯渇しないという言い方だと元々あるものを消化しているという感じになっちゃうけれど、日々、書きたいことが生まれているというのが正しいかも。

自分は鈍感力がなくて、感度はまぁまぁ高いほうだとは思う。それゆえ、ふと目に止まったものをすぐに心の中でいろんな事象に変換し始めちゃう悪い癖がある。でもそれだけでは自分でもうまく納得もできなければ、整理も咀嚼もできない。ただ溜まってくだけ。

でも、じゃぁそれを書いてみようかとiPadを開いてゴールも決めずに何となく書き始めると、自分の中で納得も整理も咀嚼もできていなかったものが、書き進むに連れ、どんどんクリアになっていく感覚がよくわかるんです。

毎日投稿の初日noteでも書いたけれど、書くことはアウトプットではなくインプット。まさにこれ。
自分の考えを書いて人に読んでもらうというよりは、書くことによって自分自身を整理する感じ。書き終えた時点で、余計なモノは総ざらい捨てている。

一回散らかして、余分なモノは捨てて、必要なモノは組み合わせて再利用し、整理してあぁスッキリ、という感じだろか。
こうなると、書くというのは大掃除みたいなもんだ。きれいになった俺の部屋を見てくれ!みたいな感覚かもしれぬ。

始める時は「正直、毎日なんて続けられるかな⋯時間もないし厳しいんじゃないか」と思っていたけれど、始めてみるとあら不思議、時間がないなんて、自分でただ勝手に思い込んでいただけ。

毎日文章を書く、という事を習慣にさえしてしまえば、書く時間なんていくらでも生み出せるのだということに気づいた。

いつも大体、書く時間は1時間弱くらい。朝の日もあれば、夕方や夜の日もある。
いくら時間がないと思い込んでいても、それくらいの時間は余裕でありました。笑

ただ書くだけでなく、そこにコーヒーやレモンサワーがあればなお幸せだし、これを書いている今もそばにはコーヒーがあり、耳にはTWICEの曲が流れている。書くことだけに没頭するのではなく、好きなものをそこにプラスしてる。すぐ横に置いてあるギターを弾いて、たまに気分転換したりもしながら。

だから今では、文章を書くこの時間が一日の中で最高に贅沢な時間になっているのです。毎日が Feel Special。

書くことは楽しいし、アップデートし終えた最新の自分の考えを人に読んでもらえることも、素直に嬉しい。

けれど、書いてそれを世に出したら最後、その文章はもう、書き手ではなく読み手のものになる。
どう読むかもどう受け取るかも読み手側の自由だし、人によっても違う。

ある人には共感してもらえるかもしれないし、ある人には反対の意見を持たれるかもしれない。
もっとキツいと「こいつとはもう関わりたくない」というレベルまで拒絶されるかもしれない。それはたぶん元々合わない人だから、もう仕方ないっすよね。

でも、批判するならばせめて最低3回は読んで文脈や行間にまで思考や想像を広げてみてからにしてくれ、とは思いますが(勝手)

僕はいずれ、今勉強中のハングルでも文章を書けるようになって、韓国の人達にも読んでもらえるようになりたいなと本気で思ってます。

一週間クリアしたので、次はとりあえず1ヶ月を目標に。明日からもまた、楽しんで書いていけたらいいな。

皆さんも
自分の考えを整理する意味でも、自分自身を知る意味でも。文章を書くのは本気でお勧めです。毎日とは言わずとも、定期的に書いてみてはどうでしょうか。

書くというか、自分自身を描く。そう考えると、ちょっと楽しいかも。

過去のnoteは こちら から。



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